第32話 当日朝
約束の日の朝がおとずれる。
連日の特訓疲れで惰眠を貪ったヒメノをアズミが叩き起こし、急いで準備を整え終えたのは朝8時のことだった。
トゥルースが来訪する直前の時間であり危うく失礼をしてしまうところ。
当事者のヒメノ以上に教官への印象を悪くしたくないガクリンが焦っていたが、間に合ったのでこの話はここまでとしよう。
教習所の授業に間に合うようにギリギリまでトゥルースが来るのを待ってから家を出たガクリンたち。
そんな彼らと顔を合わせたくなかったと言わんばかりに入れ替わりでトゥルースはやってきた。
そのまま朝の挨拶を済ませて用意していた荷物をヒメノは手に持ち準備は万端。
水筒や非常食、着替えやお金等が入ったバックと弓矢や鉈を収納している武器ケース、それに昨夜ガクリンから渡された黒い木刀を腰に差していた。
「その木刀は黒檀かな。随分と良いものを用意したものですね」
「ハハハ。これは息子からのプレゼントですよ。街中で刃物を振り回すのは要らぬトラブルを招くのでな。護身用に木刀があったほうがいいとはワシもアドバイスしましたが、そうしたらアイツが小遣いを奮発してこの子に買い与えたんだよ」
「お優しいことで」
「そう思うのなら戻ったらガクリンさんの評価に色を付けてあげてくださいね。今日も寝坊したボクの準備を手伝ってくれたり、それ以外にも特訓の相手をしてくれたりとお世話になりっぱなしだったので。コレくらい交渉しないと恩を返しきれません」
「賄賂まがいはいかんぞヒメノ。それにアイツもお前のことが気に入っているからその木刀を用意したんだ。恩を返したいと思うのなら、無事に帰ってくればそれで充分。金額的なことはワシもフォローするから気にしなくても良い」
「わかりました」
「ではそろそろ出発しましょうか。川下りの船は手配済みですし」
出発を促すトゥルースにコサクは小さな違和感を覚えつつも、そこは見栄でも「私が絶対に護って二人で帰ってくる」とは言えないのかと思う自分が傲慢だろうかと口を開かなかった。
そのままコサクらは見送ろうとしたところで犬小屋からキジノハが飛び出す。
トゥルースとは面識がなかったキジノハは初対面の相手を直感で疑っているようだ。
「グルルル」
「この人はボクと一緒に旅に出るトゥルース先生だよ。この前話したじゃないか」
「コサクさん、この犬は?」
「ヒメノが飼っているキジノハだ」
「まさか彼女はコレも連れて行くつもりではないでしょうね?」
「いいや。今回の旅では連れて行かないと言い聞かせてはいたのだがなあ」
「それなら一安心です」
「なんだ、キミは犬が苦手だったのか」
「昔から嫌われやすいもので」
トゥルースの犬嫌いには理由があるがそこは今は語らず。
とりあえずキジノハは直感でトゥルースを敵だと認識して噛みつこうとするのだがヒメノはそれを必死に止める。
ここまでキジノハが荒れる姿はヒメノには初めてなので面食らうが、なんとかなだめると犬小屋に押し込んでそのままヒメノとトゥルースは出発した。
船着き場へと歩く道中ヒメノの顔はそのせいか曇りがちである。
トゥルースは見かねて彼女にたずねた。
「犬を置いてきたことを気にしているようだね」
だがヒメノは違うと答える。
「それは気にしていませんよ。面倒ならドックウッド家のみんなが見てくれますし」
「それにしては浮かない顔だ」
「ボクが気にしているのはトゥルース先生に対して彼が豹変した事のほうです。ここに来るまでの間に預かった子で出会って一ヶ月程度なので彼の全部を知っているわけではありませんが、なにぶん初めてのことだったので」
「だったら気にしなくても良い。昔から私は犬に嫌われやすい体質なんだ」
「本当ですか? 人当たりの良い好青年と言われている先生のイメージとはかけ離れた話ですけれど」
「人間と獣は勝手が違うだけさ」
このときヒメノはキジノハの豹変をトゥルースが言うように彼の体質によるものだと受け入れてしまっていた。
そんな彼女の様子を心の中でトゥルースがどう思っていたのかは彼のみぞ知る。
それから雑談をしつつしばらく歩いて船着き場に到着すると、トゥルースが手配した船頭が貸し切りの小舟を用意していた。
その船に乗って川下りをすれば登るときは数日かかる山道もあっという間に麓まで一直線である。
麓のオイスタに到着するとトゥルースは一人の騎士に呼び止められる。
一体何があったのだろうと小首を傾げるヒメノをよそに彼は話を始めた。
曰く、治安の悪いゴロツキが多い一角にあるサルーンへの襲撃作戦に参加してほしいのだという。
集まっているのは10人以上のアウトローだが、多勢に無勢をひっくり返せる戦力が足りないそうだ。
そこでこの騎士が目につけたのは休暇を利用して王都から川下りでやって来るトゥルースの存在。
教習所の現役教官ならば腕前も確かである。
「管轄外の仕事ではありますが同じ近衛騎士団員としては協力は惜しみません。ですが内容が穏やかではありませんね。貴公一人では手が足りず、パトロールの人間では心もとない相手となると、ただのアウトローでは無いのでしょうね?」
パトロールとはオイスタのように大きな都市に配置している治安維持を目的とした騎士団のこと。
近衛騎士団の下部組織ではあるが一般からの志願者を都市ごとにある支部の裁量で採用した人間が多いため、教習所で本格的な訓練を受けている騎士と比べれば強くない。
ちょっとしたコソドロやゴロツキが相手ならばまだしも、それよりも手強い相手ということは本来ならば王都に応援を頼むべき案件であろう。
「前から問題になっているサンスティグマーダーの関係者です。貴公が個人的に追っている連中が怪しい動きをしているところにこうして麓までやってくるのは運命という他にないでしょう」
相手はサンスティグマーダーだと聞いてヒメノはゴクリとつばを飲む。
この旅の目的を考えれば出発地早々最初の街でのエンカウントなのだからさもありんん。
一方でトゥルースはと顔色を一切変えずに騎士に協力の条件を提示した。
ヒメノには自分のための条件に聞こえたそれは──
「そういう話ならばこちらこそ協力は惜しみません。それに相手が奴らならこの子も連れて行こうと思うのですが構いませんよね?」
「もちろん。反対する権利など私にはありませんので」
「流石ですね。話が早い」
ヒメノの参加を条件にしたわけだが、自分の話を知らない相手ならば着いてくるなと言われるであろうと思ったヒメノ本人の懸念など関係ないと言わんばかりに了承の返事が帰ってきた。
ここでトゥルースが流石と返したのは相手の騎士がナイトホークという特務隊の人間であり、その所属ならば二人ともサンスティグマーダーと戦うべく外遊に向かう最中で目の前に連中がいれば当然ながら鉾を交える覚悟だという事などお見通しという意味だが部外者のヒメノは知らぬ隠語のやり取りなので気づかない。
「下手に近づくと警戒されます。一旦ここで止まってください」
騎士に案内された二人の前にはアルバ・イトという名前のサルーン。
どうやらそこにサンスティグマーダーが集まっているようだ。
「では私とこの子の二人で行こう。貴公はここで待機して、サルーンから誰かが逃げ出したところで押し込んでもらいたい」
トゥルースの提案は外遊目的で長旅を想定した格好をしており役人には見えない自分とヒメノが乗り込むというもの。
流石に二人で大丈夫だろうかと騎士も不安に感じるわけだが、トゥルースの態度に押される形で彼も提案を飲む。
「では参ろうかヒメノ。ついでにキミの実力も見られると良いが」
「見せなければ命の保証なんてないでしょうに」
「言われてみればそうであるな」
旅の途中で立ち寄った二人組を装っているからか、それとも目の前に迫る戦いを前に高揚しているのか。
少し雰囲気が変わったトゥルースのことをこのときのヒメノは軽く見ていた。
サルーンのドアを叩く二人。
ヒメノは目の前の戦いに目が奪われていた。
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