第22話 噂の跡取り息子
一通りの説明が終わり、与えられた自室で荷解きをしたヒメノはゲートミルのところで待つキジノハのところに向かった。
コサクに相談したところドックウッド家にいる間は古い犬小屋を使えばいいということで彼を移動させるためだ。
到着したヒメノが目にしたのは自分と同じ年頃の男女と戯れるキジノハの姿。
上品な長袖長ズボン姿の男子とメイド服の女子。
彼らがガクリンとアズミのようだ。
「お! キミが父上が言っていたヒメノか。俺はここの息子でガクリンっていうんだ。よろしくな。キミはこの子の飼い主なんだってな」
ヒメノが来たことに気がついたガクリンはフランクに話しかけて手を差し出した。
握手のようだが初対面の挨拶として握手を求められたことが初めてのヒメノは戸惑う。
逆に握手を拒否されたと感じたガクリンは少し凹んだ様子が顔に出て、隣りにいたアズミはすかかずフォローに回った。
「俺の手なんて触りたくないのか……」
「ガクリン様はお気になさらず。どうやら彼女は田舎者だからか握手の風習が無いようなので」
「そうなのか。考えなしに握手の手を出して申し訳なかったな、ヒメノ」
「いえ……ボクがボケっとしていたのが悪いだけなのでガクリンさんには非はありません。改めて……ボクはヒメノ・ユーハヴェイと言います。よろしく」
田舎者扱いに少しイラつきつつも、握手は拒んだのではなく反応が遅れただけだと主張するために今度はヒメノから手を差し出した。
それを見てガクリンは納得して手を取ろうとするが、ここで再び割り込んできたのはメイド服の彼女。
ヒメノには理由がわからないが、どうもアズミはヒメノに対して棘がある様子だ。
「ガクリン様が手を握ることはありません。アナタも承知した通り、コチラにおられるのはドックウッド家の跡取り息子であるガクリン・ドックウッド様。そして私はガクリン様の専属メイドとして身の回りのお世話をしている、アズミ・シリーグッドと申します。アナタの事も面倒を見るように旦那様から仰せつかっていますので、こちらこそよろしくおねがいします」
「よ、よろしく、アズミ……さん」
ヒメノの手を握るとアズミは自分の立場をヒメノに告げる。
一見すると穏やかで丁寧な受け答えをしているアズミだが、握ったその手はヒメノの手を潰さんほどに力強い。
初対面だがこの子はどういうつもりであろうと小首を傾げるヒメノ。
その根底が嫉妬とはまだ幼いヒメノは思いもしない。
「はい。よろしくおねがいします」
ニコニコとしている表情とは裏腹の敵意。
この笑顔は獲物を前にした獣のモノなのか。
「挨拶はこのくらいでいいだろう。今日からウチに泊まるそうだが、屋敷の案内はもう終わったか? ウチは見ての通り広いから慣れないと迷うだろう」
「ええ」
「わからないことがあったら気軽に俺に聞いてくれ。何時でも相談に乗るからさ」
「その必要はありませんよ。ガクリン様の手を煩わせないために私たちメイドが居るんですから」
「でもよぉ」
「どうせ遊びたいだけでしょう。今日は座学の宿題が出ていますし、早く済ませてください。座学で赤点ばかりだと旦那様がお困りになりますから」
「ちぇっ!」
「さあガクリン様はそろそろ部屋に行きましょう。ヒメノさんも長旅でお疲れでしょうから、その子の犬小屋を準備し終えたら部屋にこもって休むことをオススメしますよ。明日からはガクリン様の稽古に参加するのでしょう? 下手に疲れたままでは稽古についていくことなんて出来ませんので」
ガクリンは親切心からヒメノをリードしようとしており、元近衛騎士団長だった父の資質を受け継いだ立派な行いである。
しかし傍目には新しい同居人が同じ年頃の女の子ということに下心を見せているようで、アズミにもそう見えたから彼女はヒメノに冷たい。
ヒメノに早く休むようん促しているのも善意のアドバイスよりもガクリンからヒメノを隔離するためというのが本音。
彼女にとって初対面でのヒメノは年頃の男女は自分とガクリンだけだったこのドックウッド家に紛れ込んだ異物だった。
「ご忠告ありがとう。ところで……アズミさんもその稽古に参加するんですよね? そのときは是非胸を貸してください」
「構いませんが……私のようなメイドの胸を借りたいだなんて、目的のために強くなりたいという話も大したことがなさそうですね。ガクリン様の相手をしたらとてもついていけないという意味ならば見上げた謙遜ですけれど」
「いやいや。ボクの直感ではアズミさんのほうが勉強になりそうだなと思っただけなので」
「まあ良いでしょう。では明日の稽古は朝の7時からなので送れないように。ではそろそろガクリン様と座学の宿題を始めますので。行きましょうガクリン様」
「もうちょっとだけキジノハでモフモフしたいのになあ」
「それは宿題が終わってからにしてください。その子の飼い主だから聞いておきますが、ヒメノさんもそれで構いませんよね?」
「飼い主と言ってもボクは死んだ元の飼い主から預かっているようなものだから、キジノハが嫌がらないぶんには拒否する権利はないさ。見ているとガクリンさんにはとても懐いているようなので」
「当然でしょう。ガクリン様のような貴公子が嫌いな犬なんておりません」
「そういうものかもね。じゃあまた後で。二人とも宿題、頑張ってね」
三人のやり取りを傍目に見ていたゲートミルはアズミの態度に呆れて少しため息。
ガクリンは人当たりがよく他人を嫌うことが珍しい好青年だが、その専属メイドであるアズミはガクリンのことが好きすぎるせいで同年代の女性とのコミュニケーション能力が欠けており、教習所で同年代に触れる機会が増えたせいか多少ごまかしが出来るようになったとはいえ、昔から彼女を知るドックウッド家の使用人から見ればそれはまだまだである。
同じ年頃の女の子を見て「優しい態度のガクリンがまた女を引っ掛けている」と感じて彼を女の子から引き離そうとし、「ガクリンとお近づきになりたくて下心を見せている」と女の子を敵視する。
「こりゃ明日の朝稽古は荒れそうだなあ」
アズミに尻を叩かれる形でガクリンが自室に向かい、ヒメノも犬小屋を用意した庭の場所まで移動したことで一人になったゲートミルは呟いた。
彼は朝稽古に参加しているわけではないのだがヒメノを憐れむ気持ちを漏らして。
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