第17話 勧誘

 ヒメノがまだカシューを仕留める前に遡る。

 先に逃げたミオと合流すべく匂いを追っていたキジノハは見知らぬ男といる彼女を発見した。

 不審に思い少し離れた位置に身を隠して聞き耳を立てた彼は賢い。

 人の言葉を完全に理解していた。


「──だから、ゲイルはアルスくんたちが危険だと判断したら加勢してね」

「斥候専門の俺が助太刀したところで何もできないですよ」

「これがあれば大丈夫でしょ」


 キジノハが知らない男とはゲイルのこと。

 ミオは自分は最後までヒメノに正体を悟られぬように戦いの行く末を離れた位置で見届けるので、万が一のときにはとゲイルに命令していた。

 年齢ではゲイルのほうが五つほど上なのだが、元風組の有名人にして現最高幹部のミオに言われれば彼には逆らう理由はない。

 派閥争いの末に選ばれた精鋭であるカシューやアルスと比べて、彼にはその手のしがらみがないとも言えよう。

 しかし戦闘能力に自身のないゲイルは何もできないと突っぱねる。

 強さで言えばこの場にいるサンスティグマーダーの人間で一番強いミオがかたをつけろと暗に示していた。

 そこでミオが取り出したのは衣服の中に隠していた短い刀。

 いわゆるドスと呼ばれる鞘付きのショートソードだった。


「わたしの精気をこめたナイフよ。抜いてから一分間なら軽く刺すだけでアルスくんでも殺せるから、むしろ気配を消して近づけるキミ向けの一品ってわけ」

「これであの子を刺せと?」

「まあね。くれぐれも事故と称してアルスくんたちを刺し殺そうとしないように」

「わ、わかりました」


 ドスを受け取り、固唾を飲み込んだゲイルはヒメノたちのほうへ走り出した。

 そして一緒にいたのを誤魔化すかのように少し離れて徒歩で戻るミオ。

 この会話からミオが敵の仲間だと理解したキジノハは、ヒメノの元に引き返すことにした。


「猪でもいたのかな?」


 ガサガサと獣道を駆けるキジノハの足音が周囲に鳴り響く。

 この音をミオは野生動物のものと判断して気に留めず、ゲイルは自分のことで手一杯なのでそもそも音に気づかなかった。

 キジノハは好機に見舞われているようだ。


「セイッ!」


 キジノハより先行していたゲイルが術で身を隠していると、ついに二人の勝負が決した。

 アルスの右手がヒメノの腹を貫いて彼女の意識を刈り取る。

 しかしヒメノは意識を失う瞬間に鉈を勢いよく手放したのだが、無意識に残りの精気をこめて射出されたそれは円盤に見えるほど早く回転してアルスの首筋を捉えていた。

 左鎖骨を砕いて突き刺さった鉈の刃は動脈スレスレの位置で下手に動けば失血死確実である。

 土の術で傷を塞ぐにしてもこれ以上は動けない。

 つまり二人は相撃ちになったわけだ。


「ごくり」


 身動きができないアルスと気絶した様子のヒメノ。

 今ここでヒメノの命とサンスティグマを奪えばゲイルは漁夫の利を得ることができる。

 ここは身動きを取れないアルスにトドメを刺してしまって独占状態を確定させるべきか。

 そんな邪念を浮かべながらドスを鞘から引き抜くと、ゲイルの目線が不意にアルスと重なった。

 風の術の一つ「マリシテン」により姿が見えず、己の精気を周囲に漂わせてセンサーにするにしてもこの深手では無理だろう。

 目線が重なったのはゲイルの思い過ごしではあるのだが、それにドキリと萎縮した彼はサンスティグマを手に入れることを優先してヒメノの方に振り向いた。

 この間10秒ほど。

 ドスにこめられたミオの気が消えるまでにはまだ時間の余裕があり、なんならそんなものなど不要とさえ思えるほど気を失った裸のヒメノはか弱い。

 かわいそうだがサンスティグマーダーの殺しに情けは無用。

 返り討ちにあって死んだカシューをチラリと見ながら心に言い聞かせてゲイルはドスを振りかざした。

 ドスを逆手に持ち、しゃがみながら勢いをつけた刺突。

 当たればひとたまりもない。


「タッタッタッタッ」


 大柄の獣が地面を蹴り上げる音が鳴り響く。

 だがゲイルはその音に気づかぬほどに目の前の宝に気を取られている。

 しかも姿を見えなくしているため、よもや誰かに攻撃されるなどと思わない。

 だから的確に体当たりを仕掛けたキジノハに彼は気づかなかった。

 相手は犬。

 いかに視覚的に姿を消そうとも、主に嗅覚と聴覚で物体を捉える犬には意味をなさない。

 さきほどミオと密談していた男が金物を振るう姿がキジノハにはわかっていた。


「がるるる!」

「あたっ! 何だこの犬は!」


 キジノハの体当たりで狙いがズレたドスの刃先はゲイルの太ももを軽くなぞる。

 業物の切れ味によるものなのだろう。

 それだけで彼のズボンが裂けて血が滲み出す。

 動揺と逆上によってマリシテンを維持できなくなったゲイルは姿を表して目の前に現れた獣に刃を向ける。

 大柄だがたかが一匹の犬。

 このナイフで一突きにすれば容易い相手だとゲイルは見誤る。


「ワォン!」

「あがぁ」


 四足の動物ゆえの機敏さを考慮していなかったゲイルはドスを空振る。

 その隙を突いて噛み付いたキジノハの顎に挟まれたゲイルは苦悶の声を上げるとともにドスを落とす。

 この時点で鞘から引き抜かれてから50秒ほどが経過しており、僅かながら刀身に残っていたミオの精気が地面に伝わって散らばっていった。


「いい加減にしろ。この畜生!」


 痛みが引いたところで既にミオの精気など残っていないただの刃となったドスを拾い上げたゲイルはキジノハを怒鳴る。

 知らない犬に邪魔をされて噛まれたことで怪我もしている。

 彼の恫喝も自然な反応だろう。

 だが彼は時間をかけすぎた。

 ものの数分とはいえ、偶然近くに漂っていた水の精気を治癒に当てることができたことで、彼女が復活してしまったのだから。


「畜生はお前だ」


 おもむろに拾い上げた木の枝の先を喉元に突き立てながらゲイルを羽交い締めにする彼女。

 回復したヒメノはゲイルの命を握りしめる。

 もとより大きな外傷はないので体力と精気が回復すれば問題ない。

 腕っぷしに関しては姿を消した状態での闇討ち専門な彼にはこの状態は積みであろう。


「な、なんで起きているんだよ」

「知るか。ボクはこんな状況で寝ていられないんだよ。でも助かったよキジノハ。お前が来なかったら刺されていたようだし」

「ナニがキジノハだ。お前なんかあの御方が……」

「まだ他にも仲間がいるのか」

「そういうこと。だからそのあたりで離してくれないかな、ヒメノちゃん」

「ぐるるるる」


 トドメを刺そうとしたヒメノに対してイキるゲイル。

 ヒメノは構わず喉に枝を刺そうとしたのだが、それをミオの声に止められた。

 逃げたはずの彼女が何故いるのか。

 それ以上にこの人は何を言ったのか。

 そういうこととはどういうことか。

 困惑したヒメノは木の枝に纏わせていた精気が乱れてしまう。

 ミオの接近に素性を先に知っていたキジノハは警戒して吠えており、その様子にヒメノも彼女が敵なのだろうと肌で感じ取る。


「騙していて悪かったよ」

「騙してたってことは、騙し討ちにする気ならいつでも出来たってことですよね? だから質問に答えてくれれば流しますよ。ミオさん……アナタは何がしたいんですか」

「昨日の話は覚えているでしょう。大雑把に言えばアレよ」

「まさか喧嘩? 奴らの仲間なのにどうして」

「同じサンスティグマーダーの人間と言っても事情があるのよ。ヒメノちゃんは全員を倒したい。わたしはある二人を始末するためには犠牲は厭わない。だからわたしと手を組みましょう」

「それはつまり、表向きはボクも奴らの仲間になれってことですか?」

「そういうこと。ヒメノちゃんだってサンスティグマーダー相手に一人で喧嘩して勝てるとは思っていないから、オバタの町長のツテを頼ってパチゴーに行くところだったんでしょう? 同じ誰かと手を組むのなら、近衛騎士団よりのわたしのほうが近道だよ。だってわたしは四聖痣の一人、水のミオ・コーヤマ。単純に言えばサンスティグマーダーでは四番目に強いんだから」


 ミオはそう言うと左脇腹を隠していた布を捲ってサンスティグマをヒメノに見せる。

 入れ墨とは異なる精気に溢れた瑞々しい聖なる痣。

 父が言うには始まりの四人は全員それなりの年齢の男のはずだが、何故彼女がサンスティグマを所持しているのか。

 疑問に思うヒメノだが、それ以上に今の状況に危機感を覚える。

 素っ裸で木の枝一本を握る自分と白鞘の刀を握るミオ。

 無傷の彼女と傷だらけの自分。

 同じサンスティグマ持ちとはいえ、さきほど相討ちになった彼よりも強い彼女に勝てるのだろうかと。


「こ、断ったらどうするつもり?」


 昨日は同じ申し出を「巻き込みたくない」と、キッパリ断ったヒメノも歯切りが悪い。

 断ればミオはこの場で殺すと言うと思っているため、いくら人質を取っていてもこうもなろう。


「別に何も。アナタの気が変わるまでわたしは待つぜ」

「なっ!」


 だがミオの回答はヒメノからしても予想外のモノだった。

 この状況で「ならば今すぐ死ね」とならないのは、人質に取られて一緒に殺されると思っていたゲイルも驚いて声を上げるほどだ。


「何を遠慮しているんですかミオ様。仲間に引き入れたいと言ってはいましたが、断られたのならばさっさと殺してサンスティグマを奪うべきです。俺のことは気にせず、さあ早く!」

「──煩い男だ」


 自分のことなど気にするな。

 英雄じみたゲイルの態度を前に、眉間にシワを寄せたミオは刀の鞘を地面にトンと突き刺す。

 するとジワジワと地面をミオの精気が伝わってくる。

 ゲイルは気づいていないようだが、僅かながらミオの精気に触れていることで水の力に目覚めつつあるヒメノはそれに気づいて彼から離れた。

 飛び退くのに合わせてゲイルの足元から噴出するのは精気で出来た蛇。

 具現化してゲイルにも見えるようになったそれは彼の体に絡まって、ヒメノの羽交い締め以上に身動きを封じてしまう。


「こ……これは……」

「ヒメノちゃんを説得するために色々と歌っちゃったからね。申し訳ないんだけれど、キミにはヒメノちゃんへの詫びついでに消えてもらおうかなと」

「乱心したか! アンタは悪い噂が絶えない人だったが、まさか裏切り──」

「あーダメダメ。伝心を飛ばそうとしているのなんてお見通しだよ。その蛇は絡みついた相手の精気を吸い取ってしまうから、キミ程度じゃその状態では術は使えないぜ」

「く、クソ!」

「これはわたしが言っていた喧嘩がガチなのをヒメノちゃんに教えるためのケジメさ。だからわたしの申し出を考えてくれないかな」

「う、うぎゃああああ」

「ボン!」


 ケジメだと言い放つミオの言葉に連動した蛇は胴体による拘束はそのままに、伸びた先端をゲイルの口の中に入り込む。

 気なので味はないが、見た目が生きた蛇なので吐き出しそうな嫌悪感。

 それだけで苦しいのに、喉を塞いで腹の奥に溜まっていく蛇の重みは気色悪くて吐きそうになる。

 だが吐き出せない。

 そして限界までミオの精気で満たされたゲイルは、腹から破裂してそのまま命を散らす。

 先に人質にしたのは自分だとはいえ、この男は部下ではなかったのか。

 それをエグい方法で殺すミオの行為にヒメノは血の気が引いてしまう。


「何故こんなことを。手下だったんでしょう?」

「繰り返すけれど、さっきも言った通りにヒメノちゃんを秘密の仲間に引き入れるためのケジメだよ。それとアイツは生かしておいたら余計なことを確実に口走った。だからキミを勧誘した時点で頃合いを見て殺すしかなかっただけだぜ。それでヒメノちゃん……そろそろ答えを聞かせてくれないかな」


 回答を急かすミオを前にしてヒメノはゲイルの遺体をチラリと見る。

 周囲には断りづらい雰囲気が漂った。

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