第15話 カシュー

 翌日もヒメノはミオの案内通りに山を登る。

 昨日までで全体の三分の一ほどを登ったので、このペースならあと二日もあれば王都に着くだろう。

 そんな心づもりでいたヒメノも昼時を目前に控えたところで殺気に気がついた。

 キジノハも警戒してワンワンと吠えるその先に立つ二人の男性は行く手を阻んでいるかのように並び立ち、ヒメノのことを見る。

 カシューとアルス。

 特にカシューはヒメノを獲物の兎のように甘く見ており、それは彼から漏れ出すぬるい殺気が物語っていた。


「何かボクらに用事ですか?」


 一応ヒメノはたずねてみるが彼らは怪しい。

 返事もなく。

 そのうちのカシューが黙って己が左腕を見せつけるのだが彼の腕には大きな痣が見受けられた。

 ヒメノはひと目見てそれがサンスティグマを複製した入れ墨であると気がつき小声でミオに確認する。


「もしかしなくても、彼がミオさんが言っていた男ですか?」

「まあね。それで……親の仇を目の前にして、ヒメノちゃんはどうするつもり?」

「もちろん向こうが襲ってくる気満々なんだし戦いますよ。だけどミオさんのことは巻き込めません。ボクに構わず来た道を引き返して逃げてください」

「言われなくてもそうするよ」


 ミオはヒメノに逃された体でこの場を離れると、隠れていたゲイルと合流して彼にあることを命令する。

 命令に従ってゲイルが移動したので一人になったミオは、彼らの戦いで自分の行く末を占うことにした。


「ミオ様は引くのか。じゃあ昨夜打ち合わせた通り俺から行かせてもらうぜ」

「ああ。構わん」

「今のうちに言っておくが、ミオ様の幼馴染だからって邪魔するんじゃねえぞ」

「文句を言う前にさっさと手を動かせ。逃げられるぞ」

「わかってるって」

(コイツらは何を言っているんだ?)


 ミオが離れるのにも目もくれず、ブツブツとモメる二人にヒメノは困惑していた。

 ミオの面体があるので相手がサンスティグマーダーの刺客なのは知っている。

 てっきりヒメノは問答無用で殺そうと襲いかかる非常な集団だと思っていたわけだが、一対一で戦う様子の彼らはどういうつもりだろうか。

 それに獲物を目の前にしてどちらが襲うかと舌なめずりな態度は何様なんだろう。

 ヒメノが持つ猟師としての経験が彼らの侮りを見抜いた。


「そこのお嬢ちゃん。さっきから見せているコレで俺らの要件はわかるよな。投降する気なら命だけは助けてやるぜ」

(先手必勝!)


 カシューはようやく要件を伝えるが、その内容は抽象的で回りくどい。

 いい加減に焦れたヒメノは麓で買い足した矢を弓につがえ、弦を引いてカシューを狙う。

 相手はこれから自分を襲うとブツブツ言っている連中だ。

 特にあの腕に火の痣を持つ男は「自分から行く」と言っていたハズだ。

 ならば撃たれても恨まれる筋合いもない。

 ヒメノはそう考えていた。


「オイオイ。マジかよあの子。イカレ女だぜ」

「お前がグズグズしているせいだろうが!」


 イカレ女とは自分の呼びかけを無視して矢をつがえるヒメノを見ての一言。

 彼女をサンスティグマというお宝を持った鴨としか考えていなかったカシューの侮りが「イカレている」と決めつけた今の言葉に濃縮されていよう。


「待て待て!」

(もう充分待ったあとだ!)


 動揺して待てと言うカシューを無視したヒメノはそのまま矢を放った。

 構えた矢は二本。

 一の矢はカシュー、二の矢はアルス。

 共に狙うのは彼らの心臓だ。

 距離は約20メートルほど離れているが、この矢も当然のようにサンスティグマの力で気を充填した一条櫻であり矢の勢いは凄まじい。

 かけるように早く射た矢の二の矢がヒメノの指を離れる頃には、一の矢はカシューの胸元を貫く。

 そのハズだった。

 だが──


「待てと言ったじゃねえか」


 矢は突如出現した火柱のようなものに遮られて一瞬のうちに焼き尽くされてしまった。

 同時に前髪が揺らぐのを感じたヒメノが飛び退くと、さきほどまで立っていた箇所にも同じものが噴出し、足元の石が焼けて色を変える。

 これがあの男が持つ痣の力だろうか。

 これは危険だと判断したヒメノはキジノハに命じる。


「ここは危険だ。キジノハはミオさんを追って!」

「フン!」


 くしゃみのような仕草をして頷いたキジノハは道を外れて森に入っていった。

 カシューはキジノハの行動に対してヒメノが「あれがOKのサインなのか」と感心する間も与えずに、「オラオラ」と叫びながら左腕を突き出して駆けてくる。

 火のサンスティグマが持つ特性は精気の放射。

 ならば矢を防ぎ足元から攻撃した火柱も、今放っている光球も男の気なのだろう。

 そうカシューの能力を想定したヒメノは弓を背に抱え直しながら光球をかわし右手の武器を鉈に持ち替えた。

 放射の特性は空のサンスティグマが司る放出とも似ているところがあるがやはり違う。

 精気を操るサンスティグマそのものの共通能力による身体強化だけのカシューは、元より年齢の割に鋭敏な身体能力を空の放出によって底上げしているヒメノからすると鈍い。

 矢を撃ち落とされたのには面食らったが懐に入り込めば行ける。

 それにもう一人の男は胸に矢が刺さったのを見ているので今は横槍などできないだろう。

 さきほど矢で狙ったときも。

 いや、先日のサーカエでの騒動で強盗を射抜いたときにも。

 ヒメノは自分が人間を傷つけたり、命を奪うことに抵抗がないと思い知る。

 もっと嫌な気分なのかと思いながら振るう鉈はヒメノの気で切れ味を増した楓。

 このまま振るえばガードした腕ごとカシューの首はもたげる。


(これで!)


 すれ違いざまに首を狙うヒメノの一刀。

 狩りで身につけた鉈捌きはカシューの首を袈裟がけに切り裂く。


「下がれ!」

「!!!」


 だがそれは思いがけない呼び声によって防がれた。

 男の声に驚いて飛び退くカシューと入れ替わるように現れたのは矢に胸を貫かれたはずのアルス。

 突き出した左手がカシューを突き飛ばし、右手が鉈を受け止めると、ヒメノが振り抜いた重みに弾かれてアルスは5メートルほど弾かれる。

 そのまま勢いよくアルスは木に当たって大きな音をたてるがヒメノの手応えは悪い。

 さっくりと骨ごと肉が断たれる抜けるような感覚ではなく、栗のイガを木の棒で叩き落としたような鈍い感触が手首にも負荷を残してしびれさせていたからだ。

 もう一人の男はそもそも心臓に矢が当たって倒れたはずじゃないか。

 狩りの対象だった猛獣相手の常識が通じない痣持ちの暗殺者にヒメノは恐れを抱く。


「邪魔するんじゃねえって言ったじゃねえか!」


 異常な事態への恐怖からしばし呆然とするヒメノを狙うのはカシューが仕込んでいた追撃。

 さきほどかわした光球から放たれる火柱がヒメノを襲いかり、背後からの強襲への反応に遅れた彼女は複数の柱に貫かれた。

 一本あたりの火力は最初の矢を防いだものと比べれば随分と弱いが、背中から三本の柱で刺されれば並の人間ならばひとたまりもない。

 よほど体を鍛え上げた屈強な男か、あるいは痣の力を使いこなすサンスティグマーダーの痣持ちでなければ死んだであろう。

 衣服を燃やす火が消えたら確認すればいい。

 そう考えたカシューはさきほど自分を庇ったカシューに詰め寄る。


「さっきはよくも邪魔したな。そんなに新しいサンスティグマをアポトー様に捧げたいか」


 まさかさきほどの一閃が当たれば自分が死んでいたと思いもしないカシューの言葉は荒い。

 アルスが横取りしようとしたと思っているので無理もない状態で、ヒメノを殺したと思っているのもあり彼は興奮していた。


「そうじゃない。やられそうになっていたお前を助けただけだ。これを見ろ」


 アルスが見せた右手の傷は深い。

 鉈を受け止めたダメージが、土の特性で増幅された精気がアルスの肉体を硬化しなければ肘まで上下に裂かれていたほど深い傷なのはカシューにもわかるほど。

 だがそれでも彼は認めなかった。


「余計なことを。当たる前に俺のリフレクタービットが決まっていたんだ」

「そう思うんなら勝手にしろ。次は助けないからな」

「次? もう勝負はついているじゃねえか。だからってサンスティグマをよこせとは言わせねえぜ。そうなったらいくらお前でもコレだぞ」

「馬鹿なヤツだ」


 アルスは深手を負ってまでカシューを助けたことを少し後悔するとともに、ヒメノが持つポテンシャルに驚かされていた。

 自信があった硬化した肉体をこうもズタズタされれば無理もない。

 最初の矢こそ勢いの強さに飛ばされて横に倒されたがそれでも傷はない。

 さきほど斬撃で弾き飛ばされたときに投げ出されてぶつかった木に打ち付けた背中も同様。

 だが直撃した右腕だけは掌がざっくりと裂けており、土の術で出血を含めてすべてを固定しなければ失血死してもおかしくないほどに傷は深かった。

 致命傷こそ避けているが、ミオのような高度な水の術を用いる能力者に見てもらわなければ治すのは難しい。

 短期間でこれほどの破壊力を引き出せるほどにサンスティグマの力を引き出すヒメノに片腕で勝てるのか。

 自分の評価とは真逆に、なおもヒメノを侮るカシューの明暗はここで決していたようだ。


(だがここまでとは思わなかったぞ)


 ヒメノが着ていた服は火柱を受けて着火した炎で焼かれてしまう。

 だが弓や食料といった手荷物はすぐに投げしてていたので無事である。

 そこまでのことを攻撃を受けてすぐに行えたヒメノはアルスが思うように卓越していた。

 上着が焼き尽くされて下着姿になろうとも、ひるまずに起き上がって飛びかかる彼女の鉈がカシューを捉える。


「なんで生きてるんだ!」


 火だるまの中から飛び出したヒメノを見てカシューは驚き大きな声を出していた。

 彼もとっさに足元から最大の火柱を出して迎撃するがヒメノは焼かれない。

 そもそもさきほどの光球からほとばしる火柱──リフレクタービットで焼き殺したと思っていたカシューはカウンターで焼き尽くせば他愛もないと思っていたのもあり、火柱で御せないヒメノは彼の想像を上回っていた。


(こっちの男が使う火の術はすごいけれど、彼はボクのことを甘く見ている。今がチャンスだ!)


 火の痣が持つ精気の放出を巧みに操ることで実現しているカシューの火炎術。

 ヒメノが評価する通り彼の術技はサンスティグマーダーでも期待された若手のそれである。

 練度はサンスティグマを受け継いで数日のヒメノと比べれば雲泥に近いだろう。

 だが渾身で戦うヒメノと甘えがあったカシューの差はそれよりも大きい。

 はらりと燃えつきた衣服を剥がれ落としながら振るう鉈がカシューの頭を縦に切り裂く。

 鉈の刃がカシューの頭蓋を捉えると、大きな丸太を割るときのように食い込んだ刃先が刀身の重みに乗って真下まで降り、ふり振いたときにはカシューの顔は二つに分かれていた。

 頭蓋を砕かれたことによる即死。

 これが狩りの対象である獣ではなく、人間相手の命の奪い合いとしてヒメノが奪った最初の命だった。

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