第2話 ヒメノ

 小国ストーンヒルの山奥に位置する田舎町オバタ。

 この町の郊外に一件の小さな家がある。

 住んでいるのはミュージンと名乗る色眼鏡をかけた白髪の男と彼の娘ヒメノ。

 遠くの国からこの親子が移住してきて十数年が経過しており、娘は町の一員として受け入れられていた。

 もともとオバタは田舎故に排他的な気風が目立つ土地で、しかも離れた位置にある父娘の家は普通なら迫害の対象になってもおかしくない。

 そうならないのは移住した直後の父が町を悪人から守ったことと、その時の無理が遠因となって今は体を悪くしているため。

 以来、何かと住民たちから食べ物や日用品を恵んでもらえていたヒメノはこの町の皆が育てたと言ってもいい。


「お父さんの具合はどうだい? ヒメノちゃん」

「ここ最近はだいぶ具合がいいようで、ボクが山に出たりしている間に川で魚を釣ってきたりしていますよ。これはそのおすそ分けです」


 この日、いつものように森で採取した薪と引き換えにして食料や薬を受け取りに来ていたヒメノはパン屋の女将にそう言うと川魚の干物を三尾渡した。

 本当は世話になっている住民全員におすそ分けをしたいくらいなのだが、さすがに十尾ではとても足りない。

 それでも受け取る側もその気持ちだけで充分だと言って快く受け取っていた。


「あらありがとう。そういえば今月はヒメノちゃんの誕生日だったわね。これも持っていきな」

「良いんですか?」

「もちろん。お祝いごとには欠かせないじゃないか」


 干物と交換する形で女将が渡したのは紅白二色の食べ物だった。

 この地域で祝い事に出される「コウハクモチ」というモノで、予めヒメノにプレゼントするために用意していた小麦と芋を練って作ったモチの一種である。

 今月と言っても実は今夜。

 日が沈んで日付が変わればヒメノは16歳だ。


「ありがとう。ちょうど今夜なので、父と一緒にいただきますね」

「おやピッタリかい。じゃあお父さんにもよろしくね」

「はーい」


 食料を受け取ったヒメノは薬屋や町長など世話になっている場所を巡り、行く先々で干物や薪を渡して薬やもてなしの品を受け取った。

 最後に立ち寄った教会に残った薪をすべておさめて、日が沈み始めた町並みを背に家に戻る。

 帰ったら父親とささやかながら誕生日のお祝いをしよう。

 モチをつまみ食いしたい気持ちを抑えながら家の前に来たヒメノだったが、嫌な空気が正面から吹き抜けるのを感じ取った。


「お父さん?」


 恐怖にかられたヒメノは右手を縄で背負っていた鉈に手をかけていつでも振るえるように準備しながら家に近づく。

 思い過ごしであってほしいと願う彼女だが、鉈から伝わる熱が彼女の直感を裏付けていく。

 いくら体を悪くしているとはいえ薄暗くてそろそろ灯りをともしても良い時間なのに家の窓は暗い。

 まるで父親が寝ているかのように静かでそれが余計に恐怖を誘う。


「ただいま」


 恐る恐る玄関のドアを開いたヒメノの背後から指す夕日に照らされた床は濡れていた。

 ヒメノらが住む家は寝室とそれ以外のみのこじんまりとした山小屋で、水を貯めておくための大瓶を玄関に置いている。

 それが割れてしまったのならこの濡れ具合も納得だが何故割れたのか。


「何だろう?」


 ヒメノは左手に持った無影灯をつけて足元を照らす。

 大瓶が割れたのなら破片が落ちていて危険だろうと判断してのモノだが照らした先は割れていない。

 それどころか灯りが強くなると床の濡れには色がついているのが見て取れた。

 しかもその色は赤く、そして立ち込める匂いは鼻に粘りつくようで気色が悪い。

 そして液体が流れてくる先を見るとそこには───


「きゃ!」


 見知らぬ男がうつ伏せになって倒れていた。

 男はピクリとも動かず滴る血には流れがあった。

 死体になって間もないのだろう。

 ヒメノも獣の死体ならば狩りで見慣れてはいたが人間の死体は初めて見る。

 だからか、まるで熊に襲われて死んだ鹿のようなこの死体が人間だったものという実感がなかった。

 それよりも父親は無事なのか。

 なまじ家の中で誰かが死んでいるんだから、そちらのほうが気がかりである。

 死体を飛び越して父娘の寝室に向かうヒメノだったが開けようとしていたドアはない。

 部屋の外に向かって破壊されたようで、廊下にはドアだったモノの破片が散乱していた。


「ヒメノか?」


 足音で誰かが来るのを察したのであろう。

 白い髪の毛が血液で赤く染まり、壁に背を持たれて座る父がヒメノに話かける。

 ヒメノは頷くがどうやら父は気づいていない。

 正面にヒメノ立っても返事がないためか、気配がする方へ字のある右腕をつきだした。


「違うのか? ならお前は……」

「どうしたのよお父さん。そんな格好で、そんな怖い声を出して」


 その敵意を向ける父の威竦みが逆にヒメノの動揺を正す。

 ハッとして父に触れたヒメノは手ぬぐいで顔の血を拭おうとするのだが、いくら拭っても血が溢れて止まらない。

 よく見れば血液で覆われて隠れているだけだと思った父の色眼鏡がなく、あったのは目元を真一文字に切り裂く大きな傷跡。

 父は視力を失っていた。


「め、眼が……」

「ゴメンなヒメノ。お前を驚かすだなんて父親失格だな」

「そんなことよりも、早く医者に見せないと治らないよ」

「良いんだ。そんな暇はない」

「でも……」

「それよりも、予定より少しだけ早くなってしなったが、今夜伝えようと思っていたことがある。それを聞いてくれないか?」

「嫌だよ。そんな今から死ぬわけじゃないんだから」


 父の態度を察したヒメノは否定したが本当は気づいている。

 父の受けた傷は失明するほどの目の傷だけではなく、腹にも大穴が空いて血が滴っていた。

 もう少しヒメノが家につくのが遅かったら間に合わなくなっていたかもしれない重症を負っている。


「お前だって見ればわかるだろう。いいから黙って俺の話を大人しく聞くんだ。そして町長に挨拶をして他所に移るんだ。こういうときの行き先は前から相談して決めてあるから、それに従ってな」

「でも……」

「これはお前を守護るためなんだ。犠牲者は俺だけでいい。だからお願いだ」

「……わかった。でも終わったらちゃんとお父さんをお医者のところに連れて行くからね」

「それでいい───」


 息も絶え絶えながらも父が語る話を聞いたヒメノはにわかに信じられないでいた。

 だが父から受け継がれた右腕の痣とその力を見せつけられてしまうと信じるしかない。

 その後、父は医者に見せるべく町に移動する最中に息を引き取り、父の死を確認したヒメノはある目的を胸に抱いてオバタを出る。

 父の遺言を破る行動なのは重々承知していても、ヒメノは目的を果たさずにはいられない。

 決意を固めたヒメノを町長も止めようとはしたのだがそれは叶わず、彼女は一人死地へと旅立つ。

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