第72話 悪魔

 突然、ゾンクが苦しみ出し、彼に駆け寄った冒険者が吹き飛ばされた。

 その冒険者は体を船縁ふなべりに打ち付け、海への落下は免れたものの、倒れたまま苦しげに呻いている。


「なっ、何事だ!?」

「何やってんだよゾンク!」

「いきなりどうした⁉︎」


 途端に色めき立つ船上。船に居る者全員の視線が集まる中で、ゾンクはゆらり、と幽鬼のごとく立ち上がった。

 その動作は一見して体調不良のようにも見えたが、どこか悠然とした余裕のようなものが感じられる。


「この高貴なるわたくしに対して無礼ですよ、人間風情・・・・が。死にたくなければ言葉は慎重に選ぶことです」


 そうして立ち上がったゾンクにはいくつかの変化が見受けられた。

 一つは彼の体から立ち上るドス黒いオーラ。黒いオーラは側頭部や背中、腰部ようぶに多く集まっており、角、翼、尻尾を象っているように見える。

 気配も増大しており《中型迷宮》の最終守護者を思い起こすほどだ。

 だが、《ステータス》を見ていた俺には、それ以上の変容を目撃した。


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人間種―魔人 Lv51

個体名 ゾンク

職業 土拳士 火拳士

職業スキル 土纏の拳 魔術強化 儀式魔術 体術強化 肉体強化 火纏の拳


状態 衰弱

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 つい先ほどまでは確かに、このようになっていたのだ。弱ってはいるものの、何の変哲もない《ステータス》だ。

 けれど、ぽつぽつと現れたノイズが虫食いのように情報を覆い出し、全体に広がり、そしてそれらが晴れたとき、彼の《ステータス》は変わり果てていた。


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悪魔種―ミドルデーモン Lv74

個体名 ディンシオ

職業 土拳士 火拳士

職業スキル 土纏の拳 魔術強化 儀式魔術 体術強化 肉体強化 火纏の拳


状態 通常


スキル 剣術(下級)Lv9 体術(上級)Lv4 風魔術(中級)Lv5 土魔術(上級)Lv5 火魔術(上級)Lv2 水魔術(中級)Lv8 闇魔術(上級)Lv7 影魔術(特奥級)Lv3 悪意の侵食Lv3 悪魔の囁きLv1 悪魔の翼Lv5 暗視Lv10 気配察知Lv9 自動再生Lv5 潜伏Lv7 デビルズパクトLv-- 魔の大器Lv-- ワイドディストラクションLv7

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 《種族》も《レベル》も《個体名》さえも変わってしまっている。《スキル》にもそれまで存在しなかったものが増えている。


「悪魔……に、なった……?」

「悪魔だと!? それは確かなのか!?」


 状況を呑みこめていないままの俺の呟きに、ロイ船長が反応した。


「はい、あれの《種族》は悪魔です。ですがどうして人間が……」

「ガキの頃、祖父ジイさんに聞いたことがある。悪魔と契約すると段々と精気を奪われて行き、最後には体を乗っ取られるってな。今の今まで迷信だと思ってたが……」

「それは事実ですよ。わたくし達にはそう言った力があります」


 本悪魔からの肯定もあった。悪魔の言葉なので信じていいか微妙なところだが。

 その悪魔に向かって冒険者の一人が叫ぶ。


「じゃあゾンクは悪魔と契約してたってのか!?」

「ですから言葉は選べと……いえ、良いでしょう。今の私は受肉を果たして気分が良い、特別に教えて差し上げます」


 冥途の土産という奴です、と口端を吊り上げてわらう悪魔。


「その問いには是と答えましょう。彼はこのわたくしの契約者でした。もっとも、体をいただくことは知らせておりませんでしたが」


 何が楽しいのか、ニタニタと笑いながらそんなことを言う。


「……その体を返してはくれませんか?」

「それは無理な相談ですねぇ。《デビルズパクト》の効果はわたくし自身でも破棄できませんし、何より元の貧弱な精神体に戻るのはお断りです」


 駄目元で訊いてみたがやはり返してはくれなさそうだ。


「やいっ、テメェは何がしてぇんだっ。ゾンクの体を乗っ取りやがって、何が目的だ!?」

「おや、ご存知ありませんか? 我ら悪魔の本懐は人類を苦しめることですよ。そのためにもまず、この島に居るあなた方にはわたくしの《経験値》となっていただきます」


 改めてそう宣言されると、息が詰まる。

 岩島と陸地の交通手段は採掘船のみ。悪魔がここに居座る限り、俺達が揃って逃れることは出来ない。

 そしてその状況を、あの悪魔は理解しているようだ。契約者であるゾンクから情報を得ているのかもしれない。


「さて、問答はもう終わりでしょうか。それでは、さような──」

「〈ガストブレード〉」


 何か、甲板全体を攻撃範囲に捉えた強力な〈魔術〉の気配があった。それを挫くべく風の刃を飛ばすが、悪魔には跳躍で躱されてしまう。

 後ろへ大きく飛び退った悪魔は、そのまま海の上空に浮かんでいる。

 背に集まった黒いオーラで《悪魔の翼》を使っているのだろう。


「〈ウィンドアロー〉」

「手遅れです、〈ダスクブランチ〉」


 追撃の風の矢が届く前に悪魔の〈魔術〉が発動した。瞬間、影が迸る。

 恐ろしい速度で迫って来たのは樹木のように幾つにも枝分かれする影。その影の先端には人体を貫きうる鋭利さがあると《気配察知》が告げている。

 

「〈セイクリッドウォール〉」


 いつでも使えるよう備えていた〈セイクリッドウォール〉を発動させた。

 聖なる壁が影の梢を食い止める。この壁はそれなりの大きさのため、俺だけでなく船長ともう一人の飛救士、それから付近にいた船員も守れた。


「……っ!」


 だがそれだけだ。他の冒険者や船員には手が回らなかった。

 悲鳴のした方に目をやり、奥歯を噛み締める。

 冒険者達は各々に防御策を講じていたものの、仲間が悪魔になった動揺が残る彼らのそれは充分とは言い難く、立っているのは半数ほど。

 冒険者達が守ったために船員を含め死亡者は居ない。が、無傷の者もほぼ居ない。流れ出る血に船板が赤く塗装されて行く。


「ふうむ、範囲を広く取り過ぎましたかね。一撃で終わらせる心算でしたのに」


 効果時間が終わり消えた影の枝の向こうで。この惨状を引き起こした悪魔は、顎に手を当て、事もなげに考察している。

 これだけのことをしておいて悪びれる様子は全くない。その仕草はとても自然で、何てことないかのようで。

 ガッと沸騰する感情。

 それに歯止めをかけるように冷め込む理性。

 二つが脳裡で衝突した。


「では次は──」

「〈ガストブレード〉……!」


 激情を吐き出すようにして突風の刃を放つ。

 悪魔は高度を下げて避けるが想定通り、そうなるように敢えて上半身を狙った。


「先程からちょこまかと──」

「〈ウォーターカッター〉っ」

「〈ウィンドハンド〉!」

「〈ファイアバレット〉」

「──ぬぅっ!?」


 悪魔の言葉を遮り、冒険者達が集中砲火を浴びせる。高度を下げれば攻撃が激しくなるのは当然だ。先程の場合、一も二もなく上空へ逃げるべきであった。

 だというのに、俺の方を向いて何か言おうとしていたため距離を取るのが遅れた。相手のミスに救われる形で集中砲火は大成功。〈魔術〉の大半が命中した。

 《レベル》の恩恵からか致命傷には程遠そうだが、そこそこの痛手にはなっただろう。

 そして悪魔が集中砲火に晒されている間に俺も〈上級魔術〉を構築し終えた。


「図に乗るなよ屑共がッ! 〈ダークネス──」

「〈サイクロン──」


 ベキッ!

 奇しくも、俺と悪魔が揃って〈上級魔術〉を使おうとしたその時。

 弾丸の如く飛来した石くれが悪魔の巻き角をへし折ったのだった。

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