第11話「調査終了」



<みんな、今日は本当にありがとう~!!>



 テーブルの上に置かれたスマートフォンで、生配信中の動画が再生されている。



<おかげで私にとって、人生最高の誕生日になりました――!!>



 横向きにしたちいさな画面の中央で、可憐な少女が手を振っていた。

 セーラーカラーの華やかな衣装は、舞台で身動きする都度、ひらひらしたすそひるがえる。同時に長い黒髪も揺れ、観衆の目を釘付けにしているようだった。

 彼女の周囲には、他にも左右に二名ずつ、同じ年頃の少女が並んでいる。しかしながら明らかに今、舞台に立つ少女の中で、センターポジションの彼女がひときわ輝いていた。



 この屋外ステージで真ん中に立つ少女こそ、星澄市を中心に活動する新規アイドルグループ「LovelyラブリーStarスター」のリーダー・花菱はなびしきらら――


 本名を山村夕子という、数ヶ月前にデビューしたばかりの新人アイドルだった。





「最初に聞いたときには、まさかと思ったけど――」


 鏡峯は、自分のスマートフォンを手元で見詰め、ちいさく苦笑をらしていた。

 片側の耳にだけイヤフォンを着け、会話しながら動画の音声を聴いている。


「こうやって生配信でライブ映像見せられると、マジでユッコはアイドルになったんだなって、実感しないわけにいかなくなるね。ホントめっちゃウケる」



 六月二七日、日曜日。


 私と鏡峯めぐみは、星澄駅前の喫茶店で、窓際のテーブルに着席していた。

「依頼人の友人が音信不通のため、消息を確認し、再び連絡を取れるようにする」

 という、山村夕子を巡る依頼を達成してから、もう半月以上が経過している。


 この日は大学の課外活動に関わる事務的な用件で、鏡峯と面会せねばならなかった。

 依頼人には、ハードボイルド同好会が作成した報告書の内容を点検した上で、同書面の末尾に署名してもらわねばならない。後日それを文化連合会本部に提出し、承認が得られれば、晴れて我がサークルに新たな活動実績が加わるというわけだ。


 尚、実際の活動においては、いささか調査過程で公序良俗にもとる手段が用いられている。

 無論当初の想定に従って、そうした外聞に関わる箇所は報告書の中から丁寧に省き、他の記述で文面を埋め合わせた。

 藍ヶ崎大学ハードボイルド同好会の活動は、あくまでも「依頼人の相談に応じ、困り事を解決する」という、真っ当な社会奉仕ボランティアという建前なのだ。


 また余談ではあるが、報告書の提出前には文化連合会と我が同好会のあいだで、秘密保持契約が取り交わされる。無論、依頼人を含む関係者の個人情報を保護するためだ。

 取り分け山村夕子の素性については、慎重を期さねばならない。芸能活動に従事している事実が露見すれば、厄介な問題に発展する恐れがあった。




 さて一方、本日は星澄市郊外の「ぎんの森」と呼ばれる地域で、恒例の野外ライブイベントがもよおされていた。

 山村夕子こと花菱きらら所属のアイドルグループ「LovelyStar」も参加している、県下最大規模の音楽フェスティバルだ。三日間にわたる公演だが、今日が最終日らしい。


 それで私と鏡峯は、先程から各々がスマートフォンを手元に置き、ライブ映像の生配信を動画チャンネルで視聴しているのだった。

 尚、私もまたライブの音声に関しては、片耳にだけイヤフォンを着けて聴いている。

 もちろん喫茶店を利用する他の客へ配慮しつつ、鏡峯と円滑に会話するためだった。


 花菱きららをはじめとするアイドルグループの面々は皆、画面の中で見事なパフォーマンスを披露ひろうしている。

 現地のライブ会場には、大勢のファンが参加して、色とりどりのサイリウムを振っていた。

 ステージ上の歌とダンスも、客席からの熱い後押しを得て、ますます盛り上がっていく。

 デビューから間もないにもかかわらず、すでに少なくない人気を博しているようだ。


 動画配信ページのコメント欄にも、視聴者の好意的な書き込みがあふれていた。

[やっぱきららちゃん歌うめーわ][他のミニライブでも見たけどここの振り好き][わかる][スカートの下の足ほっそ][さすがきらら、さすきら]などなど……


 そうしたコメントの中には、花菱きららの誕生日をいわうものも少なくない。

[きららちゃん、誕生日おめでとう!]という書き込みが、歌のサビに差し掛かったところで、一斉に投稿されはじめる。コメント欄が凄まじい勢いで流れていった。



「しかしヤバいよね、このお祝いコメントの嵐。おまけにユッコ、髪の毛もこんな真っ黒に染め直しちゃってさ」


 鏡峯は、自嘲混じりにつぶやく。


「あたし、ついこないだまでこんな子に誕生日のサプライズ仕掛けようとか考えてたんだと思うと、正直笑えるんだけど。こっちの方が逆にサプライズ喰らってビビりまくりだっつーの……」


 どうやら鏡峯も私と同様、女性アイドルの情報にはうといようだった。

 何しろ「LovelyStar」を認知したのも、山村夕子と再会した夜のことだ。

 だからあのとき、山村に同行していた男性から「現在人気急上昇中のアイドルグループ」だと聞かされても、ほとんど理解が追い付いていない様子だった。

 あの身形みなりの派手な男性が、実は花菱きららのマネージャーだったと判明したあとでさえ、いまひとつ要領を得ていなかったのではないかと思う。


 ちなみにマネージャーの男性がアミューズメント施設で山村と一緒にいるところを目撃されたのは、仕事の初期に打ち合わせで面談した際のことだったらしい。

 花菱きららは当時まだギャルファッションで、芸能事務所がある場所さえ知らなかった。そのため星澄駅前の馴染みがある建物で、待ち合わせしていたそうだ。

 そうして最近は仕事で帰宅が遅くなった場合、先日のように車で送ってもらっているという。



「それで君は結局、あれから山村夕子との親交を回復したのか」


 私は、コーヒーカップに手を伸ばしながらたずねた。


「彼女は決して、今でも君を嫌っていたわけではなかったのだろう」


「うん、まあそれね……。たしかにそうだったんだけどさ」


 鏡峯は、おもむろに顔を上げ、スマートフォンの画面から目を離した。

 私の顔をのぞき込むように見てから、またすぐに視線を外す。

 それからケーキにフォークを突き立てると、ひと口の大きさに切り崩した。

 以前にこの店で注文したものと、鏡峯は今日も同じ品を注文している。


「でも実はあのあと、二、三回メッセージ往復しただけで、また連絡取り合うの止めちゃったんだよね。今度はあたしの方から。折角リュウちゃんのおかげで、ユッコとやり取りできるようになったのに」


「それはなぜだ? あとリュウちゃんは止めろ」


 例によって呼び名に抗議しつつ、私は理由を問いただす。

 鏡峯は、窓側へ顔を背け、困惑した様子でうなった。


「なぜって、まあ何となく……? 向こうは今アイドルで、いそがしそうなのがわかったし――」


 はじめは思い付くままにつぶやいていたようだが、そこでいったん言葉を切る。

 たっぷり一〇秒近く考え込んでから、こちらへ向き直った。



「や、違うかな。たぶんユッコがもう『ギャル』じゃなくなったからだわ」



 鏡峯は、軽い調子で言って笑った。

 その声は少し乾いていて、さびしげだった。


 ライブ映像の中では、「LovelyStar」の楽曲が終了した。山村夕子は、笑顔で手を振って舞台上から去っていく。

 私と鏡峯は二人共、配信動画の視聴を止めて、それぞれチャンネルのページを閉じた。

 スマートフォンをスリープ状態にすると、片耳のイヤフォンを外す。


 それから鏡峯は、先を続けた。


「やっぱユッコね、去年の秋にスカウトされたんだって。駅前一人で歩いてたら、今所属してる芸能事務所の社長に声掛けられたって言ってた。その社長は女の人らしいんだけど、絶対ユッコなら人気取れるようになるからって、しつこく口説くどかれたっぽいの。


 あの子も最初のうちは断ろうとしたみたいなんだけど、結局最後は押し切られちゃって。試しにやってみることになったんだってさ。まあユッコって、男はギャルメイクしてるとわかんないかもしんないけど、元々可愛い顔してるからなー。きっと事務所の女社長も、化粧とか服装とか変えればイケるって、ぱっと見て気付いたんだろうね……」


 鏡峯の話に耳をかたむけながら、私はコーヒーを口の中にふくんだ。

 苦みと香りを味わっている間にも、鏡峯はさらに続ける。


「ていうかユッコ、やっぱマジでいい子だよ。あの日の夜も『みんなに黙ってアイドルになってごめん』ってメッチャ謝ってくれてたじゃん。そのあと電話でも話したんだけど、なんか事務所の指示? そういうので、髪色好きに変えさせてくれないみたいで。アイドルでもギャル系の子がいるグループもあるらしいけど、ユッコのことは清楚キャラで売りたがってるっぽい。それで服装も普段から、ガーリー系とかフェミニン系にしろって、うるさく言われてるらしくて――

 だけどそしたら、みんなに会うの怖くなったんだって。


 でもってだんだん、電話やメッセージの着信が来ても反応し難くなったとか言ってた。色々とこう、板挟いたばさみ的な? そんな感じになっちゃったって。――特にユッコさ、前々からセアラとはショーマのことでビミョーにめてたし、そこはあんたも察してた通りっぽいんだけど。それもあってますますどうしていいかわかんなくなって、でも友達とのつながりを全部なかったことにしたくもない、みたいな」


「だから山村夕子はアイドルになって友人知人からの連絡を受け流すようになっても、着信拒否やブロックはしてこなかった、というわけか」


 念のために確認すると、鏡峯は「うん、そんな感じっぽい」と答えて首肯した。

 その合間に崩したケーキを口の中へ運び、ゆっくりとんで、嚥下えんげしている。

 何度かそれを繰り返したあと、殊更ことさら自嘲的に続けた。


「そういやユッコんに押し掛けた日にさ、あんたが買ったお菓子をユッコの小母さんに渡したじゃん。ユッコ、あれガチであたしからの誕生祝いだったと勘違いしてんの。電話でどちゃクソ『ありがとう』ってお礼言われたわ。ホントは他にちゃんとプレゼント贈るつもりだったのに、メチャ渡し難くなって草でしょ」


 鏡峯は、フォークをテーブルの上に置き、座席の背もたれに上体を預ける。

 両手を上へ掲げ、背筋を伸ばす動作をしてから、深々と呼気を吐き出した。

 掲げた手を下ろし、居住まいを元に戻す。


「まあうてあの子もアイドルだし、きっと事務所にファンから大量にプレゼント送られてきてんだろうし。今更サプライズもないし、あたしらがパーティー開こうとしても迷惑だろうしね。誕生日にお返しする計画も、これじゃ全部リセットかな……もう何したって、あたしの自己満になりそうだしさ……」



 私は、コーヒーカップを皿の上に戻し、内ポケットを探った。

 煙草のパッケージから一本抜き出して、先端に火を点ける。

 フィルターの部分を口でくわえ、静かにい込んだ。


 鏡峯は、紅茶をひと口飲んでから問い掛けてきた。


「ねぇリュウちゃん、ついでにちょっといときたいんだけど」


「いったいどうした。ただとりあえずリュウちゃんは止せ」


「こないだ初めてユッコと会ったときさ、あんまリュウちゃん驚いてなかったみたいじゃん」


 こちらの要求を無視し、鏡峯は続ける。


「見た目がギャルじゃなくなってたことにも、今はアイドルしてるって聞いたときにも。あれはなんで? ユッコがあんなふうに変わっちゃってるの、もしかして予想してたの?」


「……私は『ある時点までに得た情報を踏まえた上で、あらゆる可能性を排除すべきではない』という趣旨の話を先日もしたはずだ。基本的な姿勢は調査中、一貫して変えていない」


「それじゃあユッコが髪の色黒くして、アイドルになってることもあるかもしんないと思ってたわけ? マ?マジ? いや待ってよそれ、ちょっと信じらんないんだけど」


「さすがに私も当然、具体的にそこまでは予見していなかった。だが諸々の状況を勘案すると、山村夕子がアイドルだというのは意外さより納得感が勝る事実だった。驚愕きょうがくまでしなかったのはそのせいだ。ミュージシャンや声優業などというような、芸能系の仕事に関わっている可能性も、なるほど皆無ではなかったのだ――と、彼女とじかに会って、改めて気付かされた」


 私は、テーブルの隅から灰皿を手繰たぐり寄せた。

 煙草の灰を一度落とし、唇で再度はさんで喫う。



「山村夕子はかつて、君と親しくなるよりも先に田中聖亜羅と友人だった。最初はSNSで知り合って、実際に面識を得たのは高校一年生の頃、野外ライブイベントに参加したときだと言ったな。そう、まさしく山村が今アイドルとして立っている舞台と同じ催しだ。この会場で二年前、山村と田中は一般客同士として出会ったわけだな。


 単に面会するだけなら、駅前の喫茶店やアパレルショップでもかまわないのに、あえて二人は野外ライブ会場で顔を合わせた。これは田中だけでなく、山村も歌やダンスに類するような音楽パフォーマンスに関心のある少女だったということだろう。最初の接点がSNSだったことも、共通の趣味をきっかけに接点が生まれたからだと思う。ネット上での交流では、非常によくある展開だろうから。


 それと山村夕子は、単独行動で駅前のアミューズメント施設に出入りしていたことが判明している。これは主にカラオケルームを利用していたのではないだろうか。もちろん一人でストレス解消に歌う、あるいは歌唱練習にはげむというのは、然程特別な行為ではない。だがいずれにしろ歌が好きで、音楽にそれなりの関心があったことをうかがわせる。付け加えるなら、電話で初めて山村と言葉を交わした際、非常に透明感のある声質だと感じた。生まれつきの素養にも恵まれていたのだろう。


 他にもひるがえってみれば、山村が通信制高校に在籍しているという点は示唆に富んでいる。柏木翔馬の説明によると彼ら彼女らが通う学校には、不登校経験があるとか、心に障害を抱えているとか、何らかの事情を抱えている生徒が少なくないそうだ。しかし一方では、柏木のような背景を持つ人間も存在している。つまり、スポーツや芸能活動などをはじめ、何かしらの分野に目標を持って取り組んでいる生徒だ。


 通信制高校のカリキュラムは、全日制高校のそれに比べて、様々な部分で融通が利く。柏木はサッカー下部組織の試合や練習、個人トレーナーからの指導、アルバイトなどと並行して、学業に従事していた。そうした制度を積極的に利用して、高校生活と芸事を両立する、という高校生は近年随分ずいぶん増えたという。通信制高校で高卒資格を取得したスポーツ選手や芸能人は、実際にかなり多い。


 もっとも山村夕子の場合は、元々通信制高校に通っていた状況で芸能事務所にスカウトされている。だから順番としては事態が前後するのだが、アイドル活動にたずさわる上で都合が良かったことは間違いない。それでスクーリングによる登校を避けるなどし、空いた時間で歌やダンスのレッスンに打ち込む時間を捻出していたのだろう。


 そうして、もし山村夕子がアイドルになったとすれば、以前までと容姿の印象が変化していることも充分あり得る状況だった。私のような人間は、ギャル姿の山村に特別な個性を感じない。だが彼女の母親と会った際には、若々しい美貌に少し驚かされた。同時に山村が母親似の面立ちなら、メイクや服装を変えることで、異性に好まれる外見になるとも感じた。それは男性ファンの獲得が職業上重要な女性アイドルにとって、選択しない手はない戦術だ――……」


 私は、灰になった煙草の先を、もう一度灰皿に落とした。

 鏡峯は居住まいを正して、神妙にこちらの話を聞いている。

 ギャルメイクの顔には、かなり不似合いな面持ちだった。


 私は、さらに先を続けた。


「ただし一連の要素を踏まえても、『山村夕子が現在芸能系の仕事に携わっている』という仮説には、ひとつ気掛かりな部分があった。それは彼女が未成年なら、就労に際して保護者の同意を必要とすることだ。ところが山村夕子の自宅を訪れた際、彼女の母親は娘のアイドル活動を把握している素振りを見せていなかった。あの日の夜のやり取りを思い出してもらえれば、この点は仔細を言及するまでもないだろう。これは仮説を成立させる上で、見過ごせない問題だった。


 だがここで、柏木翔馬が興味深い話をしていたことを思い出してもらいたい。過去に山村夕子は、自らの学業状態に関して『単位の心配はしていない』と言っていたそうなのだ。これは結果的に重要な手掛かりだった。このままだと卒業要件を満たさないはずの生徒が、単位の取得数に悩む必要がない理由とは何か? 卒業をあきらめているわけではないのなら、考え得る可能性のひとつはすでに要件を満たすだけの単位に都合が付くから、としか思えない。とすれば山村夕子は、それだけの単位をいつどこで取得したのか? 


 さて、ここで新たな仮説が浮上する。もし『山村夕子が一年近くも余計に高校生活を経験していた』とすれば、どうだろう。彼女がかつて、全日制高校を一年足らずで中退しており、通信制高校に再入学していたのだとすれば? この場合に生徒は、過去に他の学校で取得した単位を、現在の学校へ繰り越すことが可能で、通常の高校三年間より卒業要件を満たすのが、ぐっと容易になる。……そう、実は田中聖亜羅が出会ったとき、山村は二度目の高校一年生だったのだ。


 突飛な着想に感じるかもしれないが、そのように定義すれば、すべての仮説の辻褄つじつまが合う。山村夕子は自分一人の判断で芸能事務所と契約できたし、それを母親にも打ち明けずに済んだ。アイドル活動が忙しくなっても、スクーリングにあまり時間を取られず、それでいて高卒資格の取得に困難もなかった……。


 しかしこれらはあくまで、山村夕子が芸能活動に携わっている可能性を肯定こそするものの、それ以外のあらゆる可能性を否定するものではない。ゆえに本人と直接会ってみるまでは、あり得ない話ではないことのひとつでしかなかった。私は残念ながら、本格ミステリに登場するような天才探偵ではなく、真相すべてを見通す直観力は持ち合わせていない。包み隠さずに言えば、彼女が援助交際やパパ活のような行為に及んでいる可能性も、最後まで完全に疑いを捨てていたわけではなかった。

 だから事実を目の当たりにするまで、捜査対象の消息に結論を下さなかった」



 ひと通り語り終える頃には、煙草が一本灰に変わっていた。


 私は、次いでコーヒーカップを手に取り、口元で傾けた。

 残りをひと息に飲み干してから、二杯目を注文する。

 ウェイターがやって来て、おかわりをれてくれた。


 そのあいだ鏡峯は、やや瞳を伏せてうつむいていた。

 ウェイターが立ち去るのを待って、ゆっくり口を開く。



「一番最後に話した電話でユッコね、あんたが言うようにあたしよりいっこ年上だってことも、自分でも認めてた。でもって、そのことも隠しててごめんって。やっぱり何度も謝ってたよ」


 鏡峯は、カップの中の紅茶を、スプーンで意味もなくき混ぜながら言った。


「詳しく訊いてみたらさ、あの子って通信制高校に入る前、藤凛学園に通ってたんだって。でも高校一年生の頃に親が離婚したみたいで。そのへんの事情で学校にいられなくなって中退して、次の年から今の学校に入り直したみたい。ホントは特に隠すつもりもなかったらしいんだけど、何しろセアラなんて藤凛生大嫌いでしょ? それで正直に話すのも気後れしちゃって、今更言い出せなくなってたっぽい。


 ……藤凛を中退したとき、ユッコは『周りの友達が一気に自分から離れていった』ってことも話してた。名前が母方の苗字に変わったら、誰も彼も赤の他人みたいに距離を置きはじめたんだって。あの時期の知り合いはきっと、もう自分のこと忘れてるんじゃないかなって、そんなふうにも言ってたっけ。


 まあとにかく、それでメッチャ寂しい思いしたせいで、今の高校に再入学してから出来た友達には、絶対に嫌われたくないって気持ちがあったみたい。だから同じ仲間意識持つためにギャルファッションしてたし、みんなの誕生日パーティー計画したり、いつもバリ周りに気を遣ってたらしいんだよね。でもそんなユッコがいざアイドルになってみたら、今度はあたしとまるで連絡取らなくなっちゃうんだから、クソウケるけどね……。


 あとはユッコさ、小母さんにもアイドルになったこと秘密にしてたじゃん。それは小母さんが何かの間違いで、自分のことを外でしゃべったりするかもしれないのが怖かったみたい。やっぱお客さんと会って話する種類の仕事してるし、内緒にしてって頼んでもうっかりってことはあるからって。元々あの小母さん、おっとりした性格で、そのテの失敗しがちな人っぽいんだよね。


 ただまあとにかくアイドルの母親がホステスしてるっていうの、あんまイメージ良くないから表沙汰? だっけ、そういうのにし難いらしくてさ。色々考えて、今でも小母さんにも黙ってるんだって。そのうちもっとユッコが売れて、小母さんが仕事辞めても暮らせるぐらい儲かるようになったら、何もかも打ち明けるつもりみたいだけどね。


 でも言うてユッコもギャルファッションすんのは止めたわけじゃん? それで同居してんのに気付かれてねーのかよって訊いたら、なんか小母さんはあの子の見た目が変わったことを『男がデキたせい』だろうと思ってるらしくて。メチャ勘違いしててヤバいって言ってたわ。

 普段は夜に働いてる都合でテレビ見ることもないみたいだから、ユッコがローカル局のテレビ番組に出たりしてもバレてないらしいし……」



 鏡峯は、紅茶を混ぜる手を止め、スプーンをカップの皿に乗せた。

 薄茶色の液面から波紋が消え、そこにギャルメイクの顔が映り込む。

 似通った価値観のギャル同士で連帯を強め、周囲の身勝手な外見に対する評価にあらがおうとして、仲間内で共有されたファッション。

 しかし今は素顔をおおうう化粧の下から、隠し切れない懊悩おうのうにじみ出ているかに見えた。


「なんか結局、リュウちゃんが前に言ってた通りになっちゃったね」


 鏡峯は、カップの中身を見詰めたままで言った。


「ユッコと連絡取れるようになったけど、もうユッコは昔のユッコじゃなくなってたし、あの子があんなに大事にしてたはずの友情も戻んなかった気がする。まあこれがあたしたちにとってのハッピーエンドじゃないかどうかは、ちょっとわかんないけど……」




【山村夕子はもう、ギャルではなくなっていた】


 だから以前までとは同じように接することができない、と鏡峯はいましがた言っていた。

 その言葉はおそらく、心根から出たいつわらざるものに思われた。


 もしかすると鏡峯や田中、山村のような少女にとっての「ギャル」とは、単なるファッションの方向性に止まらず、世代の中に作り上げた共同体そのものを指す概念なのかもしれなかった。

 しかし山村夕子は、それを放棄することを選んだのだ。


 これまでギャルであることは、自らを肯定してくれる仲間と、それによって形成される居場所を、彼女に提供していたはずだった。

 だがアイドルとなった今、すでにいずれも必要なくなったのだろう。


 なぜなら山村夕子にはもう、彼女を肯定するファンが数多く存在し、華やかなパフォーマンスを披露できる居場所が用意されているからだ。




「一応、訊いておきたいのだが」


 私は、二杯目のコーヒーに口を付けながら言った。


「田中聖亜羅と柏木翔馬には、やはり山村夕子がアイドルになったことは教えていないのか」


「うん、言ってない。ユッコも、たぶんその方がいいって言ってたからさ」


 鏡峯はうなずき、山村夕子の意向を尊重する旨を明らかにした。


 今日ここで面談するに際して、それは事前に伝えられていた話だった。

 山村夕子は、今回の調査によって、鏡峯と再び面談する機会が得られたことを感謝していた。

 だがそれでいて、自分の現状を周囲に打ち明けることに対し、抵抗感を抱いているようだ。


 取り分け田中聖亜羅は、山村がギャルではなくなったことも含め、事実を知ると強く反発する恐れがあるだろう。下手に刺激して、逆恨さかうらみさせたくない心情は理解できる。


 そこで話し合いの結果、この件の顛末てんまつは私と鏡峯の胸の中に止め、調査協力者である二人にも口外はするまいと決めた。


 田中や柏木には、私の調査が不調に終わり、山村夕子の消息はつかめなかった――

 と、鏡峯は実情と異なる成り行きを説明する手筈てはずになった。

 それが依頼人の意向ならば、探偵は黙して従うのみだった。



 おそらく山村夕子は遠からず、かつてのギャル仲間たちのあいだでは、「いつの間にか音信が途絶え、現在は何をしているのかわからない友人の一人」になっていくのだろう。

 人生の中では少なからず、そういった人物が身の回りから去っていく。珍しいことではない。

 一方で何某なにがしかの概念に仮託した共同体にも、個人が永遠に帰属し続けることはできない。



 鏡峯は、ケーキの最後のひと欠片を食べながら言った。


「ねぇリュウちゃん。折角だし、あたしからもいっこ訊いていい?」


「私に回答できることであれば。ただしリュウちゃんは止めろ」


 ハードボイルドにあるまじき呼称に関して、私はかたくなに訴え続けた。

 しかし鏡峯は、あくまで自分の要求にしか関心がない様子だった。


「その自分の呼び方のことなんだけどさあ。リュウちゃんって、なんで『私』なわけ? 地味に初めて会ったときから気になってたんだけど。他にも俺とか僕とか、なんかあるじゃん」


「何かと思えば、そんなことか」


 私は、コーヒーのカップを受け皿に戻し、軽く肩をすくめてみせた。


「ハードボイルドの世界では、私立探偵の一人称は『私』が定番だ。取り分け翻訳小説ならば、フィリップ・マーロウもスペンサーも、コンチネンタル・オプもそうだった」


「……ごめん、やっぱ何言ってんのか意味わかんないわ」


 こちらの回答を聞くと、鏡峯はあきれ顔になって言った。

 それから声を押し殺すように笑い出し、腹を抱えて息も切れ切れになる。

 まなじりに涙が滲むと、メイク崩れを防ぐようにして、そっと指先でぬぐっていた。


 それまでの幾分重い会話の空気を、鏡峯はそうすることで振り払おうとしているかに見えた。

 ギャルファッションの少女にはいまや、ギムレットをみ交わすような友情がひとつ失われているのだった。

 山村夕子の誕生日を祝うにも、もう遅すぎる。




 私と鏡峯は、その後も二、三の益体やくたいもない会話を交わした。


 それから互いに二杯目のコーヒーと紅茶を飲み干したところで、喫茶店を出ることにした。

 鏡峯に署名済みの報告書を返却させたことにより、依頼も事務処理を含めて完了した。


「まあ何だかんだで、マジでお世話になったわ。色々ありがとね」


 地下鉄星澄駅の構内まで来ると、鏡峯は一連の出来事を総括するように言った。


「もしまた困ったことがあったら、助けてもらうかもしんない」


 私は、ただ黙ってうなずいた。

 ハードボイルド同好会の活動実績作りは、サークル存続のために是非とも必要なことだ。

 鏡峯からの依頼で、同じような機会があれば、私は大抵の案件を引き受けてもいいと思う。


 もっとも真相を突き止めることは、必ずしも依頼人の幸福に寄与しない。

 今回を例に引くまでもなく、むしろ関係者の心によどんだおりを残す場合が多いと感じている。

 だから私に出番をうような問題と、鏡峯はあまり出くわすべきではないのかもしれない。


「じゃあねリュウちゃん、さよなら」


 鏡峯は別れを告げて、東西線の改札をすり抜けた。

 表面だけの面差しかもしれないが、快活に笑っていた。


 私は、リュウちゃんは止めろ、ともう一度だけ声を掛けた。


 しかし鏡峯めぐみは振り返らず、そのままホームへ下りていった。

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