第3話「田中聖亜羅」

 まず私は自ら名乗り、鏡峯めぐみの依頼を引き受けた経緯に関して、簡単に説明した。

 そうして鏡峯から伝え聞いた話の中でも、田中聖亜羅に関係がある点を、本人の口から改めて聞き出そうとした。


 鏡峯めぐみと同じ梓野西高校に在籍し、クラスメイトであること。

 田中聖亜羅も鏡峯と同様、山村夕子とは半年以上前から連絡が途絶えていること。

 山村夕子とは当初SNSで知り合い、地元のライブイベントで初めて顔を合わせたこと。

 山村夕子との付き合いは鏡峯より若干長く、田中が両者を引き合わせたこと、など。


 田中の回答は当然、鏡峯から得ていた情報とおおむ重複ちょうふくする。

 だが関係者全員に同じ質問をして、事実関係を確認するのは、聞き取り調査の基本だ。

 各々の発言内容を突き合わせて、仮に齟齬そごや矛盾があれば、いずれかが虚言をろうしているか、事実誤認しているおそれがある。


 このとき田中聖亜羅が語った内容は、鏡峯からの伝聞を充分に裏付けるものだった。



 そこで私は、次に鏡峯の話を下敷きにしつつ、田中聖亜羅でなければ答えられない問いを投げ掛けた。


「地下鉄星澄駅からの帰路にく際、鏡峯と君はそれぞれ異なる路線を利用しているそうだな。自宅が梓野にある鏡峯は東西線で、明かりの園にある君は南北線だと聞いたが」


「んー、そうだけど。それがどうかしたわけ?」


 田中は、フルーツパイにかじり付きながら、気怠けだるそうに返事する。

 鏡峯は私の隣で、やり取りに耳をかたむけていた。


「だが一方で、山村夕子と君は同じ南北線ユーザーだったと聞いている。事実か」


「……ああ、そういうことね。そうそう、以前に一緒に遊んだときには、よくユッコも南北線を使って家に帰ってたみたい。まあアタシとあの子じゃ、地下鉄待ちするホームは反対方向だったはずだけど」


「反対方向? そうすると山村夕子の自宅がある場所は、明かりの園方面ではないのか」


「たぶんね。ユッコの家の住所、アタシも知らないからわかんないけど。普通に反対側のホームから地下鉄に乗ってたなら、行き先は平伊戸ひらいどか、雛番ひなつがい方面じゃないの……」


 平伊戸は近年、再開発が進みつつある土地で、非常に庶民的な地域だ。

 雛番は星澄市内でも一、二を争う高級住宅街で、富裕層の住民が多い。



「ていうか今更だけどさぁ、アンタの話を聞きながら思い出してみると、やっぱユッコってよくわかんない子だったわ。まあ普段から周りにけっこう気を遣う方で、悪い子じゃなかったと思うけどね」


「仲が良い友達の誕生日には、パーティーしてみたりとかね」


 田中が山村夕子に対する印象をつぶやくと、鏡峯が付け足す。

 フルーツパイをまたひと口齧って、田中は「それな」と首肯した。


「あの子から去年の誕生日に祝ってもらったみんなで、今年はお返しにユッコのパーティーする予定だったっけ」


「うん。だからユッコのこと、あたしもあんまよく知らないんだけど。ただ誕生日だけは聞いたことある。今月の二七日なんだよねあの子の誕生日」


「あーそっか、もうすぐじゃん。それで今こっちの探偵みたいな人に手伝ってもらって、ユッコと連絡取ろうとしてんのかメグは……」


 田中聖亜羅は、ようやく鏡峯が山村夕子と接触しようとしている意図を得心したらしい。

 私はコーヒーをすすりながら、ギャル同士の人間関係にいささかいびつさを感じていた。

 互いの素性に深入りしないことを是として、それが市内のどこに居住しているのかを大まかにすら知らない相手であっても、この少女たちは過去にそれなりの友情を築いてきたのだとうかがい知れたからだ。



 田中と鏡峯は、尚もやり取りを続ける。


「とにかく、ユッコはそんな感じで色々と気をつかう子だったから、以前は友達付き合いもかなり良かったよね。こんな長いこと連絡取れなくなるだなんて、去年の今時期ぐらいにはマジで想像もできなかった」


「あたしもほんそれ。だからメチャ気になって」


「ただ何となく、そういう気遣いは別にして、あの子は危ないところがある感じもしたけどね」


「え、危ないところ? ユッコに?」


「いつもユッコってさ、みんなで遊んでて夜遅くなっても、一番最後まで残ってんのよ。本人も街中で深夜零時過ぎるまでさわいでて、いっぺん帰りの地下鉄で最終便逃しそうになったことあるって言ってた」


 会話の途中で、鏡峯は私の顔をちらりとのぞき見た。

 私は何も言わず、ギャル二人に先をうながした。


 鏡峯は、田中の方へ向き直って続けた。


「……マ?マジ? 一緒に遊んだときは大抵、あたしの方がユッコより先に帰るのは気付いてたけど」


「メグは遊んでても、ヤバいことは上手くかわすタイプだからね。でもユッコはたぶんヤバいと思ってるときでも、わりと付き合いの良さが勝つっぽい子だからさ」


「そっか、知らなかった。でもそんな深夜まで遊んでて、ユッコの親はうるさくないわけ?」


「そうそれ。アタシもクッソ気になってさ、以前一緒に夜遅くまで遊んでたとき訊いてみたことあんの。たしか夜の一〇時半は過ぎてたと思うんだけど、試しに『ユッコの親って、こんな時間まで家に帰んなくても怒ったりしないの?』ってさ。そうしたら、あの子は『うちはそういうのユルいから』って言った」


 田中の話をそこまで聞くと、鏡峯は手元のチーズタルトへ視線を落とした。

 迷路で右往左往する迷子のような顔付きで、黙々と洋菓子を食べている。



 鏡峯は山村夕子について、自分のことをあまりしゃべらない子だと言っていた。

 それはおそらく事実で、鏡峯も友人の秘密に踏み込もうとはしなかった。

 しかし田中聖亜羅は鏡峯の知らない場面で、行き掛りから何気なく、山村夕子のプライベートな部分を聞き出したことがあったわけだ。あくまで断片的で、曖昧な情報ではあるが。


 鏡峯は今、「うちはそういうのユルいから」という言葉が意味するところを、チーズタルトを食べながら思案しているのかもしれない。

 あるいは私という第三者を挟むまで、田中とのあいだにさえ、まだ山村夕子に自分が把握していなかった事実があることを知り、傷付いているのかもしれなかった。



「あと二つ、いておきたいことがある」


 鏡峯が黙り込んだあと、私は入れ替わりに口を開いた。


「まずひとつは山村夕子と君に共通の知り合いで、山村が在籍する通信制高校の生徒のことだ。そういう人物がいるはずだろう。鏡峯はその生徒のメッセージIDを知らないそうだが、君なら私に紹介できるかもしれないと言っていた。どうだ?」


「……それって、やっぱユッコのことを訊いてみたいからってこと? 今アタシにあれこれ質問してるみたいにして」


「無論そういった認識で間違っていない」


 田中聖亜羅は、こちらの問い掛けに少し答えを逡巡しゅんじゅんしているように見えた。

 明らかに該当する知人が存在するにもかかわらず、名前を挙げるのを渋っている反応だった。

 だが五、六秒待つと、観念したように溜め息を吐き、やや不機嫌そうな声で返事を寄越よこした。


「わかった。ショーマに一応訊いたげるわ、アンタにメッセージアプリのID教えてもいいか」


「そうか、すまない。ショーマというのが、通信制高校に在籍する生徒の名前だな?」


「なんだ、メグからまだ聞いてなかったわけ? ショーマはね、柏木かしわぎ翔馬しょうまっていうの。高三でアタシやメグと同い年。女じゃなくて、男だけどね」


 田中は、わずかに眉根を寄せ、鏡峯を目だけで見ながら言った。

 鏡峯は愛想笑いを浮かべて、その視線を受け流そうとしていた。

 しかし何はともあれ、田中は私の要求を承知してくれた。どうして柏木翔馬を紹介することに消極的な態度を取ったのかは、判然としなかったが。



 私は、ジャケットの内ポケットへ手を入れ、煙草のパッケージを取り出そうとした。

 だが周囲を見回し、すぐ思い止まった。洋菓子店の中は禁煙だと気付いたからだ。


「もうひとつの質問は、鏡峯にも心当たりを訊いておきたい。君たちが山村夕子と街中で遊ぶ際、よく出入りしていた場所がどこかということだ」


「……ユッコとよく遊んでた場所? んーまあ色々あるけど。アパレルやコスメのショップとかには、あちこち出入りしてたと思うし。それからみんなと定番で行くのは、やっぱVEGAベガじゃないの普通に」


「VEGAというと、星澄駅前の複合アミューズメント施設のことか」


「そうそれ。ボーリングとかスカッシュとかしたり、他にビリヤードもカラオケもあるし。あともちろん、ゲーセンでプリ撮ったりクレーンゲームしたりもできるし」


 こちらの問いに返答してから、田中は賛意を求めるように鏡峯の方を見た。

 鏡峯は、チーズタルトを咀嚼そしゃくする合間に「……だね」と、短く答えてうなずく。

 鏡峯も田中も、山村夕子と遊ぶ際の行き先は、どうやら大差ないらしい。



 私は、ニコチンの欠乏を感じながら、カップに残ったコーヒーを喉へ流し込んだ。




     ○  ○  ○




 翌日は、午前八時半過ぎに目が覚めた。


 私は、ベッドから起き上がると、自室を出た。

 寝間着代わりのTシャツとハーフパンツを、まだ着たままだった。

 階段を下り、一階のリビングへ入る。家族の姿は見当たらない。


 キッチンに移動しようとしたとき、ダイニングテーブルの上に置かれている紙切れがふと目に留まった。すぐ横には、やや風変わりなピンク色のボールペンが転がっている。

 紙片は葉書サイズのメモ用紙で、丁寧ていねい楷書かいしょの字が表面につづられていた。手に取って読む。



――――――――――――――――――――


 兄さんへ

 朝食のお皿は、ラップに包んで冷蔵庫の中

 に入れてあります。

               里奈


――――――――――――――――――――



 妹の書置きだった。

 文面からは生真面目な性分が伝わってくる。それが他者との関係においては、良く言えば世話焼き、悪く言えば過干渉なかたちで表れる場合もあるのだが。


 これを書いた当人は、とっくに家を出て登校した様子だった。

 里奈が通う藤凛学園高校では、すでに朝礼の時刻を過ぎているはずなので、当然だろう。

 ましてや妹は、生徒のはんとなるべき風紀委員長だ。遅刻が許される立場ではなかった。



 キッチンに立って、冷蔵庫のドアを開ける。

 内部を覗き込むと、いためたソーセージやポテトサラダの盛られた皿があった。

 それをケチャップやバターの容器と一緒に取り出し、コンロで湯をかす。

 トースターでパンを焼き、ダイニングテーブルに食器を並べた。

 沸かした湯でコーヒーをれたら、朝食に取り掛かる。


 新聞の朝刊を広げ、スポーツ欄で贔屓ひいきにしているパリーグ球団の記事をチェックした。

 ハードボイルドの世界では、しばしば探偵たるものプロ野球にも通じておかねばならない。

 試合結果は、中継ぎ投手の自滅による敗戦で、見るも無残なスコアだった。

 落胆しながら経済面をめくり、一方の手でトーストを食べる。



 朝食を済ませると、洗面所で歯を磨いて顔を洗い、身形を整えた。

 次いで二階の自室へ引き返し、着衣を取り替える。クローゼットの中には、タブカラーシャツや黒いダブルヴェスト、ジャケット、ツータックパンツが複数詰まっている。

 どれも同じものなので、どれを着るか服選びには迷わない。


 着替えを済ませたあとは、これもいつもと同じようにトレンチコートを羽織って、中折れ帽を頭に乗せた。革鞄を脇に抱え、玄関で革靴をく。内ポケットには、煙草のパッケージを忘れずに忍ばせた。

 戸締りしてから、家の外へ出る。



 私の自宅からは、JR明かりの園駅まで徒歩七分の距離だった。

 定期券で改札を抜け、二番線から隣町の藍ヶ崎方面へ向かう電車に乗り込んだ。

 ぎんの森、大柿谷おおがきだにと経由し、いったん藍ヶ崎で乗り換えてから、新委住あらいずみで降車する。

 片道一時間ほど掛けて移動すると、藍ヶ崎大学のキャンパスに到着した。


 二限目の時間に所定の教室へ入り、刑事訴訟法の講義を受ける。

 九〇分間聴講したのち、今日は星澄へとんぼ返りせねばならない。

 午後一時半から、柏木翔馬と面談する予定になっているからだ。


 昨日は洋菓子店でのやり取りのあと、すぐに田中聖亜羅が柏木翔馬と接触する機会を用意してくれた。

 ただし通信制高校に在籍する柏木は、面会時間を午後二時から同三時までのあいだに設定して欲しいと指定してきた。夕方からは外せない用事があり、都合が悪いという。


 その時間帯だと、梓野西高校はまだ午後の授業中なので、鏡峯や田中は立ち会えない。

 従って柏木翔馬とは、私一人だけで顔を合わせる運びとなった。



 やがて講義が終了した。

 教室を出たあとは、いったんサークル棟に立ち寄った。

 これでもハードボイルド同好会には一応、ちいさな部室があてがわれている。かつては棟内の掃除用具置き場として使用されていた場所で、四畳半にも満たないスペースだが。

 そこにテキストや六法など、余計な荷物は置いていくことにする。


 大学の敷地から足早に去り、新委住駅で星澄方面行きの電車へ飛び乗った。

 家を出た際に利用した明かりの園も通過して、今回は星澄駅まで移動する。


 柏木翔馬との待ち合わせ場所は、駅前広場だった。

 広場の中央には、高さ一二、三メートルほどの大時計が立っている。

 その長短二本の針は、文字盤上で午後一時五〇分を示していた。

 鏡峯に面会した際と同様、一〇分早く着いたらしい。

 そして今回も、長く待たされることはなかった。



「あなたが安千谷さんですか?」


 名前を呼ばれ、私は声が聞こえた方向を振り向いた。

 背の高い少年がこちらを見ている。薄手のインナーの上から白いシャツを羽織って、スキニーデニムを穿いていた。髪は短めに刈り込んでおり、清潔感がある。細身だが筋肉質だ。

 大きなリュックを背負って、ネットに包まれたサッカーボールを肩から吊るしていた。

 かたわらには、自転車を押している。あまり私はくわしくないのだが、たぶんフレームの形状からするとスポーツサイクルと呼ばれる種類のものだった。


「安千谷隆だ。君が柏木翔馬か」


「ああ、やっぱり。すぐにわかりましたよ」


 私が名乗ると、柏木は鼻筋の通った顔に笑みを浮かべた。

「すぐにわかった」というのは、私の服装が目印になったという意味で誤解はないだろう。

 あえてそれを確認しようとは思わなかった。柏木の表情から悪意は感じられない。



「差し当たり近くの店に入らないか。ファーストフードでいいなら、私が支払いを持とう」


 まだ昼食を済ませていないので、私は小腹が空いていた。

 一方の柏木は、安い店に誘われても、一切不満そうな態度を見せなかった。挙措に如才のない少年なのかもしれない。あるいは男子高校生の経済感覚からすると、他人の金で食べる飯なら何でもかまわないのかもしれなかった。

 私には何となく、前者の理由であるように感じられた。

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