ヤツが生まれた日

 果てのない攻防のさなか、鎧武者は怒っていた。敵への怒りも強いが、己への怒りのほうがもっと根強かった。己は、この程度の敵に振り回される存在であったか。失望が、胸中に渦巻いていた。

 忍者にも、蘭学女中メイドにも。いずれの相手にも己は優位を取れていない。相手の手管に、翻弄されている。怒りはふつふつと湧き上がり、臨界点を越え――

 気が付けば、白狼王との対峙の際に目にした、凄惨な光景があった。いつの間に、己は移動したのか。否。これはもしや――


『己の、心中か』


 鎧武者は、驚いた。思っただけだというのに、声になっていた。武者はひとまず、風景の中を進むことにした。折れた旗指物。壊れた武具。死骸の山。面頬で阻んでこそいるものの、凄まじい死臭が漂ってくる。


『敗戦の痕か』


 鎧武者は、思考をまとめた。あちらこちらで立ち上る火。苦悶の相を残した、侍の屍。見るも無惨な光景の中にあって、鎧武者はある人物を探していた。白狼王に追い詰められた際に見た、あの光景にいた人物。屍や武具をかき集め、髑髏どくろを持ち来たり、最後には腹を掻き切って臓物を撒き散らした男。その男に、己の起源があるやもしれぬのだ。しかし。


「しょうぐん……らんがくはてき……さむらいはほろびぬ……」


 見つけた男は、すでにこの世を見ていなかった。瞳孔が開き、口の端から泡をこぼしていた。どこか遠くを見るような目をしており、鎧武者の接近にさえも気付かない。意味のわからぬうわ言が、彼の口からは紡がれ続けていた。


「ぶしのたましい……けっしょう……すべてをあつめる……うひっ!」


 その言動に、鎧武者は眉をひそめたくなった。しかし耐える。己の起こりを目の当たりにして、それを嫌うことなどできようか。

 やがて、男は祈りを始めた。先に見た時と、変わらぬ文句であった。蘭学の滅びを、悪逆の殲滅を、武士の復活を夢見る祈りであった。鎧武者は、耳をそばだてる。いつしか、引き込まれていく感覚を覚えた。彼の怒りが、己の怒りと同調していく感覚を覚えた。そうだ、己には――為すべきことがある。


 ドクン!


 脈動。同時に、一息に景色が現実と入れ替わった。蘭学女中メイドどものナイフが、己に襲い掛かる。大太刀と四肢を振るって、さばき切る。気付けば、四方に四人の蘭学女中がいた。


「……あくぎゃく……ほろぶべし」


 強い怒りが、噴き上がった。己のものとも、あの男のものとも区別がつかなかった。力が湧き上がり、目の前の光景が冴えて見える。夜の闇など、些事でしかなかった。


「おんっ!」


 内側から湧き上がるなにかを、外へと発散する途端に、蘭学女中どもがひるんだ。吹き飛ばされた。衝動のままに、鎧武者は動いた。前方にいた二人の胴を、無造作にたたっ斬る。振り向けば、またも蘭学女中が一人。たじろいでいる。好機。


「断」


 怒りの中でも冷徹に、鎧武者は大太刀を振るった。大きく振りかぶってからの、脳天から胴までの唐竹割り。いとも容易く、三人をほふった。

 すると背後から忍者の声。振り向けば彼は膝をつき、蘭学女中どもが襲い掛からんとしていた。鎧武者は手元を見る。いつの間にやら、槍があった。四尺の、十文字槍だ。


「殺!」


 鎧武者は吠えた。忍者の頭上をめがけ、槍を横薙ぎに振るう。忍者に飛び掛かっていた女中どもが、いともあっさりと吹っ飛ばされた。薙ぎ倒された。状況一転。一帯に響くのは、やられた蘭学女中のうめき声ばかりだ。


「オオオッ!」


 鎧武者は踏み込んだ。目の前には、殺すべき敵がごまんといた。飛び込み、たたっ斬ろうとする。その瞬間、宙吊りにされた。己から伸びる黒い線の彼方に、あの女がいた。二度にわたって取り逃がした、あの蘭学女中だ。


「ブモオオオオッ!」


 牛じみた叫びを上げ、憤怒の雄叫びを上げ、鎧武者はもがいた。己を拘束する髪を、引き千切ろうとした。しかし髪は強靭だった。千切れなかった。どんなに力を込めても、ギシギシと軋むばかりだった。


「……不確定要素の出現を視認。当方の損害を鑑み、一時退避します。お客様。これ以上踏み込まれるのであれば、次は相応の対処をさせていただきます」


 平坦な声が、耳を叩く。その平坦さが、鎧武者に平静を取り戻させた。急速に、怒りが鎮まっていく。

 そうだ。己は、なんのために忍びと手を組んだのか。すべては、あの蘭学女中を葬るためではなかったか。にもかかわらず、怒りに我を失ってしまった。


 どさっ。


 髪による宙吊りから地面に落とされ、甲冑が鈍い音を立てる。少し慌てた様子で、忍者が近付いてきた。


「それでは、ごきげんよう」


 先の戦とは異なる八十四番の声色が、鎧武者の決意を新たにさせた。

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