こ、これは人命救助なんじゃ

 大主教を一刀のもとに沈めた鎧武者は、姫君を担いで来た道を戻ろうとしていた。それゆえに、魔法陣の光に反応するのが一歩遅れた。視界の端に眩しさを感じる頃には、すでに大主教の身体がひくつき始めていた。


『ククク。弱い身体や血を捧げられても、高位の悪魔はそうそう出てこれない。だが、俺っちみたいな小物の悪魔には上等なシロモンだぁ』


 あからさまに、大主教のものとは異なるであろう声がまろび出た。どうやら彼の執念は、わずかながらに通じたらしい。悪魔は大主教の身体を操り、態勢を立て直していく。わずかな変化ではあるが、ローブからのぞく手。その爪が伸び、鋭くなっていた。


『お? 強そうな身体、みーつけた』


 そして鎧武者の背後に立つ。瞬間、鎧武者は姫君をかばった。あえて爪を受け、傷を負う。幸い大鎧のおかげで深手こそ避けられたものの、悪魔は爪に付いた血を舐め取った。


『おほ!? オマエ、こっち側のニオイがするなあ? 極上の血じゃねぇか』


 大主教としてまとっていた黒ローブが、いよいよ鬱陶しげに剥がされた。その身体は老い、貧相なものだった。しかし鎧武者の血が作用し始めているのか、身体の各所が脈打ち始めていた。


『そーのー血ーをーよーこーせぇ!』


 奇妙な節回しで、悪魔が鎧武者を標的に定める。鎧武者は巧みに姫君をかばうが、反撃の態勢をとるにまでは至れない。すでに日食は空間のほとんどを闇へと変えている。しかし両者は瞳を光らせ、相対していた。


『キヒヒ……いっそ娘ごと死ぬかぁ?』


 悪魔が吠える。彼の身体は、一つ技を振るうごとに漲っていった。たった一滴の血だというのに、なんたる復元力。あるいは、なおも続けられているサバトの嬌声にもよるものか。このままではいずれ、鎧武者はすべてを奪われるであろう。状況は、窮地と称しても構わないものだった。


「武者どの! こっちへ!」


 響いたのは僧侶の声。傷をおしての、張り上げた声だ。鎧武者は鋭敏な聴覚でそれを捉える。姫君を抱え、悪魔に背を向け、先刻駆け抜けた通路を一息に走り出した。


『おいおい、逃げるのは面白くねぇなあ?』


 悪魔が、ケタケタと笑って追走する。しかし、鎧武者は振り向かなかった。全速力で対岸を目指した。悪魔も必死に背中を追う。もう一撃を浴びせんと、爪を振り上げる。


「ぬ、ぅんっ!」


 そこへ飛んで来るのは錫杖。痛みに耐えて投げられたそれは鎧武者によって隠され、ギリギリのところで悪魔の視界に入った。これでは回避も間に合わない。


『ギエエッ!?』


 狙いを誤ることなく、錫杖は悪魔――大主教の心臓を貫く。しかし悪魔は止まらなかった。わずかに怯んだものの、再び動き出した。


「やはり心臓程度では止まらぬか……」


 意地で立ち上がった僧侶が、ガクリと膝をつく。しかし彼の援護射撃は鎧武者を救っていた。姫君を抱えて彼のもとへとたどり着き、優しく床へと下ろしたのだ。


「……」


 悪魔へと向き直る鎧武者。いつの間に抜刀したのか、その手には大太刀が握られている。一方悪魔は、錫杖を引き抜き得物に変える。


『オマエの血肉を俺っちによこせえ!』


 悪魔が錫杖を突き出す。鎧武者は刀でさばき、流れるように踏み込む。一息に斬り上げれば、胸が裂けて鮮血が溢れた。


『ギャバァ! 痛え! 痛えなあオイ! だが俺っちは悪魔だ! 悪魔が人間のように死ぬか? 死なねえよ!』


 鎧武者に突き刺さるのは強引な前蹴り。今や悪魔は、鎧武者と同程度の体格にまで活性化していた。闇の中、両者は目を光らせて対峙する。刀が、錫杖が、時折目を焼くように火花を散らす。


「くっ……!」


 そんな中、僧侶は這いつくばって姫君を目指していた。彼には未だ、勝利の策が残されていた。だがそれを為すためには、姫君の正気を取り戻さねばならない。己の法力が、足りないのだ。


「せめて、せめて……」


 懸念事項だった悪魔は、鎧武者に執心している。戦に励んでいる。だから、今が千載一遇の機会だった。彼の懐にしまわれた印籠。中にある薬が、彼の希望だった。しゃにむに這いつくばって、彼は姫君の元へとたどり着いた。

 闇の中、目を凝らして彼女の瞳を見る。焦点を失っており、呼びかけにも応えなかった。やはり、そういう薬を盛られているのだ。


「これならば……」


 僧侶は姫君の口を開こうとした。しかし開かなかった。意識のない状態にさせられているのだと、彼はあたりをつけた。わずかに考え込んだ後。


「しからば、ごめん」


 彼は薬を口に含み、静かに姫君の唇を奪った。

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