よいこのみんなはてきのたおしかたもかんがえておこうね

 扉をくぐった僧侶は、あぜんとした。そこには月光があり、草木もあり、いささか唐土もろこしがかった空気の庭園があった。

 そして三人の坊主頭――額にそれぞれ『心』『技』『体』と書かれている――を侍らせ、人狐の女が茶を嗜んでいた。その姿形、所作には、美しいものがあった。彼女こそが己を騙した老婆の正体だと分かっていても、思わず見惚れてしまう。


「どうしたの、おかけなさいな」


 言われて僧侶は、己を取り戻す。見れば、彼女の前にもう一つの席があった。当然だが、茶も置かれていた。僧侶は本能的に身をこわばらせた。仮にもう一度盛られていた場合、今度は痺れ薬ではすまないやもしれぬ。


「アタシが、同じ手を二度使うほど白痴に見えて?」


 問い掛けが飛んで来る。さては機嫌を損ねたか。僧侶は内心の冷や汗を隠しつつ、滑らかに応じた。


「そういうわけではござらぬな」

「ならばおかけなさい。この場において、まやかしはただ一つよ」


 雌狐御前は、『心』と書かれている坊主頭を引き寄せた。ほのかに見える胸元にまで、彼を抱き寄せる。ほとんど時を同じくして、庭園の風景がわずかに揺らいだ。ジジッという、音が走った。


「ふふっ。ちょっと刺激が強かったかしら」


 『心』を解放して、女はクスリと笑う。『妖艶』という言葉が、どこまでも似合う笑みだった。彼女は己の前にある茶を、一息に飲み干した。


「アタシの力と、彼の増幅された『さいきっく』能力。二つを合わせて生まれたのがこの空間。少なくともアタシを倒さなければ、ここからは出られない。アタシを倒すためには、三人も倒さねばならない。どうするのかしら?」

「ぐっ……」


 僧侶は小さく唸った。一人が能力を増幅されている以上、他の二人もなんらかの強化を施されていると見るのが正しいはずだ。はっきりと言えば、鎧武者でも手こずるやもしれない。しかし武者は白狼王にいざなわれて別の扉へと向かった。今はここには、己しかいない。ならば。


「いただこう」


 一度乗る。それが僧侶の出した結論だった。幸いにして茶は舌に合い、雌狐御前の言葉に嘘はなかった。しかし、このままでは姫君の元へ向かうこともできない。それが敵手の、策であろうか。僧侶は推し量った。ならば?


「……美味い」

「でしょう? アタシ手ずからのお茶だもの。来客に粗相を働くほど、不躾ではないわよ」


 会話を交わしながら、僧侶は意識を己から手放していく。ただし半分だけだ。これは彼の持つ法力の中でも、とりわけ扱いが難しい。一歩集中が切れれば、最悪戻ってこられなくなる恐れがあった。

 彼は改めて、半分の意識で状況を俯瞰した。男が四人に、女が一人。場所はまやかしの庭園。根源は二つ。ならばやることは。


『三人のうち、『心』だな』


 意識の中で、言葉を放つ。幸いにして、雌狐御前には気付かれていない。今がその時だと、僧侶は覚悟を決めた。


 ***


「あ、あ」


 それは突然に起きた。『心』の坊主頭が、突然己の制御を失ったのだ。身体をひくつかせ、茶の置かれていたテーブルへと倒れ込む。当然、音を立てて茶器が割れた。


「ちょっと、なにを!」

「あ」


 雌狐御前は茶会を壊されて怒り、視線を僧侶から外してしまう。ここが分岐点だと、僧侶はほんの一時、全力で意識を『心』へと注ぎ込んだ。『技』『体』が状況に気づく前に動かなければ、すべてが不意になる。


「あ! あ!」

 バリン!


 『心』が頭を押さえて膝をつく。その瞬間、景色が一息に割れた。御前の怒りと、『心』の乱れ。その二つが、彼女の空間を打ち破ったのだ。ここだ、と僧侶は一息に思考する。


「っ! オンッ!」


 己に強いて意識を引き戻し、僧侶は自身の法力を展開した。かつて姫君と鎧武者を招いた、幽玄なる空間が展開される。川のせせらぎに虫の声。蘭学荒野にも、洞窟を改造した基地にあっても、有り得ないはずの空間だ。


「くはっ! どうだ、打ち破ってみせたぞ」


 脳を過剰に活動させた反動で、僧侶は口の端から血をこぼした。御前が、『心』『技』『体』が、辺りを見回している。僧侶は背後から隙を突き、『心』を錫杖にて引っ叩いた。


「がっ!」

「ぬんっ!」

「はっ!」


 『心』が転がると同時に、残りの二人が動いた。僧侶は一手先に飛び退く。すでに過活動で頭は酷くきしんでいる。奇襲が通じるとすればこの一度のみ。ここから先は、回避に専念する他ない。それでは倒せない? 否、彼なりの考えがそこにはあった。


「はっ、ほっ!」


 『技』が空を蹴って押し迫る。図体に比して、あまりにも身軽で早い。僧侶は錫杖を掲げ、一撃を受ける。しかしここからが『技』の真骨頂だった。右のかかとが錫杖にふわりと乗ったかに見えた直後、左足が僧侶の顔面を打ち抜いたのだ。


「がはっ!?」

「ほっほ! 唐土の軽功使いが、その力を高められているのよ! 付け焼き刃の錫杖さばきで、敵うわけがないじゃない!」

「っ……」


 僧侶が膝を付き、敵から目線を切る。そこへ飛び込んで来たのが『体』だった。凄まじい速さと強さで僧侶の顔を蹴上げた後、がら空きの胸に左の正拳を叩き込んだのだ。あまりの衝撃に、一瞬呼吸が止まる。仮に心の臓を叩かれていれば、それだけで死ねたであろう一撃だった。


「ゲホッ!」


 再び下を向き、一息に空気を吐き出す僧侶。だが次に襲いかかったのは『技』のアクロバットな一撃。空に舞い上がったかと思えばくるくると回って脳に踵落としをブチ込んだのだ。そして。


「二人とも……、俺にもやらせてくれ……」


 凄惨な暴行に割って入る、三つ目の声。僧侶が気絶せしめたはずの『心』だった。少々歩みはヨタ付いているが、目の光は保たれている。


「ああ、いよいよだな……」


 僧侶は目を閉じ、己の運命を悟った。幽玄の森では、にわかに虫がざわつき始めていた。

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