魔導煙突掃除人アリス~チムフィッズの空は今日もきらめく~

青戸部ラン

第一話 魔導煙突掃除人になりました!

―――【修了証書】―――


 アリス・R・ヘンドリッジ

国立チムフィッズ魔導学園魔力制御専攻において全ての課程を修めたことを証明し、特級魔導師を名乗ることをここに認める。


国立チムフィッズ魔導学園 学園長 エッフェルノ・ナミオカ


――――――――――――


「うふふ……いつ見てもいい眺め」


 壁に貼られた額を見ながら呟く瓶底めがねの奥では、不思議な色の瞳が極限まで細められていた。

 魔導都市チムフィッズの中でもトップランクに位置する、国立チムフィッズ魔導学園を修了した証拠たるこの修了証書は、アリスの宝物でありお守りだ。


 続いてアリスは、金色のひどいくせっ毛を大雑把に束ねながら、修了証書と並んで壁にかけられたもう一つの額に向かって声をかけた。小さな額の中からはアリスに似たくせっ毛の男性と、柔らかな笑みを浮かべた女性がこちらを見つめ返している。


「パパ、ママ。研修が終わって今日から初仕事なんだ。私、頑張ってくるね。早く立派な魔導煙突掃除人になってみせるね!」

「――おい新入りっ! 何やってんだ。もう出るぞ!」

「えっ? もうそんな時間?! は、はいっ! すぐ行きます!」


 扉の向こうから投げ込まれた大声にアリスは慌てて部屋を飛び出した――今日はアリスにとって何よりも大事な日なのだ。


「ったく、初日から先輩を待たせるかねぇ」

「すみません……」


 呼ばれたアリスが乗り込んだのは“煙突のマキノ”の社名入りの車だ。

 揺れる車内で先輩にあたるリュゼが赤毛をいじりながらアリスに小言を投げつけた。

 彼女は支給の作業着の胸元を大きく開け、健康的なボディを惜しげもなく晒している。実際は三つしか歳が変わらないが、小柄なアリスとリュゼが並ぶと大人と子どものように見えてしまう。

 目のやり場に困ったアリスはきまり悪さを誤魔化すように、窓から町を眺めることにした。


 魔導都市チムフィッズの動力源は魔力だ。今アリスが乗っている車も、部屋の明かりも水道も、この都市で生きるために必要な物は全て魔力によって動かされている。


 地下の魔力管を通って各家庭に供給された魔力は、使い終わると微細な残滓ダストを生む。そしてダストは排出装置を経て、煙突から空に放出され、いつの間にか魔力として再生される。


「いつ見てもきれいですね……」

「ははっ。ずっと見てんのに、変な子……」


 思わず漏らしたアリスの呟きを聞いたリュゼは軽く笑い、同じように車窓から空を見上げた。空に排出されたダストは太陽の光に輝き、チムフィッズの空は星屑をまぶしたようにきらめいている。


 リュゼはしばらくぼんやりと空を眺めた後、わずかに胸を張ったように見えた。


「ま、あたしたちが守ってんだと思えば悪かぁないかもね」


 そう、アリスはこの空のきらめきを守る職業――「魔導煙突掃除人」として働き始めたのだ。


 普通は使い終われば外に排出されるダストだが、時折排出装置や煙突で詰まりを起こしてしまう。

 魔力を帯びたダストを扱うには「特級魔導師」として認められるほどの特殊技術と知識が必要となる。魔導煙突掃除人はこの国でダストの取り扱いを唯一許可されている専門職である。


「でもさあ、安全な生活を守るために、何年も学校に通って魔力制御の勉強してきたけど、世間様からの扱いは雑だよなぁ」


 リュゼの恨み節にアリスは苦笑いで答えた。専門職と言えど、することは煙突掃除。他の箇所の掃除も頼まれたり、半ば便利屋のように使われてしまうのが現状だ。



「二人とも、着いたよ」

「おう。さんきゅー」

「あっ、ありがとうございます!」

「ん、いってらっしゃい」


 そうこうしているうちに目的地についたらしい。運転席からぶっきらぼうな声がかけられた。声をかけたのは先輩掃除人の一人、オーリオだ。

 アリスの研修を担当してくれたオーリオは、前髪で目が隠れているので表情が見えない。しかしアリスがもたもたしていても、いつも変わらない調子で穏やかで……。アリスが秘かに憧れる先輩でもある。

 

 住宅街の一角に停められた車から降りたリュゼとアリスは、荷台から背丈ほどもある大きな丸ブラシを取り出した。この丸ブラシこそ、魔導煙突掃除人の必須アイテムだ。まあ、実際はブラシを使った掃除はしないが、煙突掃除人のアイデンティティのようなものである。


「さぁ新入り! 今日は飛び込み営業だよ! 上客捕まえに行くよ」


 丸ブラシを肩にかけたリュゼが威勢よく声を上げた。しかしアリスは驚きにめがねの奥の目を丸くした。


「え……注文を受けたところに行くんじゃ?」


 アリスが驚いたのも無理はない。一般的に魔導煙突掃除人の需要は高く、多忙の日々を過ごすと聞いていた。


「ばかだねぇ。うちのやる気ない社長を見たらわかるじゃないか。注文でいっぱいなのは、あんなふうに広告を流せる金持ちなとこだけさ」


 アリスの反応を鼻で笑ったリュゼは街角に建てられた看板をくいっとブラシで差した。そこには【メゾン・スムース 魔導煙突掃除の専門家】という文字がブラシの絵と共にでかでかと描かれている。


「そういえば、皆さんいつも会社にいたかも……」


 アリスはこれまでの社内研修の日々を思い出した。社長のセオ、その妻で事務のツミ、研修担当のオーリオにリュゼ。小ぢんまりと居心地の良い会社だが、よく姿を消すセオ以外はいつも姿を見ていた。

 

 (『住み込みで働けるから』って先生に紹介されるままに入った会社だけど、もしかして就職先を間違えた……?)


 だがアリスの胸によぎった不安は、すぐにリュゼの声に吹き飛ばされてしまった。


「ほらぼんやりしてると時間が無くなるよ! さぁ行った行った!」

「ひえええっ!? 行ってきまーすっ」


 丸ブラシで追い立てられ、アリスは慌てて住宅街へ向けて駆け出した。

 こうしてアリスの魔導煙突掃除人としての初めての一日が始まったのだ。

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