補殺(アシスト)

乃々沢亮

第1話 逆転

【補殺】(ほさつ)

野球で野手がとったボールをある塁へ投げるなどして、走者をアウトにすること。[新明解国語辞典]



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 9回裏1アウト1塁。点差は1点。この回を抑えきれば野球部創部以来初の県大会ベスト16へ進出だ。

 しかし簡単にはいかない。相手からバスター(バントの構えからヒッティングに切り替える打法)などの揺さぶりをかけられ、警戒し過ぎたピッチャーが制球を乱してフォアボールを出してしまった。

 9回裏1アウト2塁1塁。1塁のランナーがホームに帰れば逆転サヨナラのランナーになる。


 ――そうはさせない。


 神林かんばやし恭一郎きょういちろうは気合を入れ直した。まだこの3年生の先輩たちと野球がしたい。負けるということは3年生が引退するということだ。


駿しゅんさーん! 切り替えて行こぉー!」


 恭一郎はサード(三塁手)の守備位置からマウンドの先輩に声を掛けた。駿さんがぎこちない笑顔で応えた。動揺しているように見えたので恭一郎は続けて叫んだ。


「駿さん、バッターに集中して!」


 打順は1番に返り、打席には小さいが足の速いバッターが入っていた。

 恭一郎はそこに微かな違和感を感じた。彼はこんなスラッガー(長打力のあるバッター)のような力感のある構えをしていただろうか。そう考えていると、彼が一瞬チラリとこちらを見たのを恭一郎は見逃さなかった。


 ――来る。


 恭一郎のが働いた。

 フォアボール後の1球目はストライクを取りたいと思うのがピッチャーの心理だ。

 バッターは駿足。しかし今日の彼は駿さんのピッチングにまるでタイミングが合っていない。 

 またチラリと視線が送られる。間違いない。彼はサードの守備位置を確認している。強打の構えはフェイクだ。


 ――セーフティーバント!


 恭一郎はピッチャーが投げると同時に猛然とホームに向かってダッシュした。

 2塁ランナーを3塁へ進めるバントは、サードに取らせるのがセオリーだ。恭一郎はバントしろ、こっちに転がせ、と祈りながらダッシュした。

 思ったとおりバッターはヒッティングの構えを解き、ストライクゾーン低めのストレートをバントした。


 ――しめた!


 勢いを殺し切れていない打球が恭一郎の前に転がってきた。素早くそれを捕球すると2塁へ振り返った。恭一郎は2塁へ走るランナーの位置を見て、いけると思った。肩には自信がある。

 2塁封殺、1塁に転送してダブルプレー。ゲームセットの映像が見えた。

 2塁に送球するその一瞬、セカンド(2塁手)君嶋きみしまのベースに入るタイミングが少し遅いと思ったがそのまま強く腕を振った。


 投げた瞬間、恭一郎の全身から血の気が引いた。


 強く速い送球は君嶋のはるか頭上を通過し、詰め気味にバックアップしていたセンターも虚を突かれたかたちで後逸した。ボールは誰もいない外野を転々とし外野フェンスに向かっていった。

 2塁ランナーがホームに生還し同点。センターの田丸先輩がボールに追いついた頃には1塁ランナーがホームを踏んでいた。


 逆転サヨナラ負け。


 恭一郎は呆然と立ち尽くした。君嶋と田丸先輩が両手をついてうずくまっているのが見える。

 駿さんが真っ黒な顔に白い歯をのぞかせながら近寄ってきたが、恭一郎は何を言われたのかまったく聞こえていなかった。

 掴んだと思ったベスト16の夢は指と指の間をすり抜け、3年生の夏を呆気なく終わらせてしまった。


 ――オレのせいだ。


 恭一郎は責任の負いようのないこの結末に、ただ呆然と立ち尽くすことしかできないでいた。

 

(つづく)

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