【習作】五十円玉二十枚の謎 病床探偵

赤羽 未紗

第1話

 殺風景な白い廊下が目前に広がっている。ここは市内にある総合病院の入院病棟。勤め先の上司の見舞いに訪れた私は、異様な雰囲気に身のすくむ思いをしていた。


 聞こえる音は自らの足音と、ビニール袋のこすれる音だけだった。怪我や病気におよそ縁のない私にとって、病院という場所は居心地が悪い。もう何度も見舞いに訪れているのだが、気味の悪さが消えることはない。長い廊下を右に折れ、左に折れ、しばらく歩いていると目的の病室にたどり着くことができた。


ネームプレートを一瞥すると、軽く息を吸ってドアをノックした。

「七海さん失礼します、幹久です。入ってもいいですか?」 

「どうぞー」

 病室から、欠伸まじりの間延びした声が聞こえてきた。


ドアを開けて声をかけると、病室の主である七海はベッドからゆっくりと身体を起こした。今の今まで寝ていたのだろう、寝ぐせがいたるところで跳ね回っている。

「どうも。お加減いかがですか?」

「おや、元気に見える?」


「ええとっても。少なくとも連日残業まみれの下っ端よりは」

「私だって好きで入院しているわけじゃないから。その様子じゃ企画部は相変わらずなんだね」


 私は派手なため息をついてうなずいた。私たちが所属するデバイス企画部は、業界を見渡してもかなり忙しい部類に入る。業務内容はもとより、組織体制に問題があると私は思っている。口を出したがる役員に、その機嫌をうかがう部課長たち。ころころと変更される指示に我々下っ端は右往左往の毎日である。昨日も帰路に就いたのは日付が変わってからのことだった。


「まあ、そんな状況でも幹久がこうやって来てくれるのはありがたいね。ところで頼んでたものは買ってきてくれた?」

 七海は耐えかねたように話題を変えた。私は苦笑し、手に持っていたビニール袋を手渡した。中身は私がセレクトした小説十冊ほど。どれも発売されたばかりの新刊だ。七海は無邪気な笑顔を浮かべて受け取った。

「いつもありがとう。頼めるのはキミしかいないからほんとうに助かるよ」

そう言うと本を一冊取り出し、愛でるように撫ではじめた。


「七海さん、今日はちょっと聞きたいことがありまして……」

私は自分の鞄から、もう一冊新たに本を取り出して言った。今日の目的はおつかいだけではないのだ。


「この本って読んだことありますか?」

 七海は表紙を見るなり頷いた。

「ああ、あるよ。“競作 五十円玉二十枚の謎”か。これはまたずいぶんとマニアックだね」

「古本屋で見つけて、気になって買ってみたんですけど……」

「もしかして挑戦したの?」

 私は『問題編』を開いて続けた。


「ええ、私ならどういう解答を出すのかこれでもいろいろと考えてみたんですけどね。正直言って手がかりが少なすぎるんですよ。どこから手を付けていいのかもさっぱりで」

 私はかぶりを振った。この数か月、暇さえあれば考えているのだが、これといった進展がない。

「それはそうだよ。高名な作家先生だって頭を抱える難問なんだから」

「七海さんはこの問題の“解答”について考えたことはありますか?」

「もちろん考えたよ。ただ、他の作家先生とは少しアプローチが違うんだ」

 七海は目を細めて言った。

「どういうことですか?」

「つまり、私は小説を書こうとしていないってこと」

 七海の言っている意味がわからず、私は首を捻った。


「もう少しかみ砕いてくれませんか? 何を言いたいのかさっぱりですよ」

「ま、じきにに理解できるよ」

 こういうときの七海は、重要なことであっても決して説明してくれない。私はあきらめて先を促すことにした。

「で、七海さんの考えでは、その男はなぜ毎週決まった本屋で両替なんてしたんです?」

「怪しまれるのを避けたかったんじゃないかな。他人に知られずに両替したかった」

「え、それだけですか」

 七海の答えに私は拍子抜けをした。


「実際、若竹先生がこの話をするまで誰も知らなかったわけだよね?」

それはそうかもしれないが……。確かに結果として、書店員ひとりに怪しまれただけで済んでいる。その書店員が小説家になどならなければ、こうして表に出ることはなかったのかもしれない。


「じゃあ、その男はいったい何を隠そうとしてたんです?」

「あくまで私の想像の話だけど……」

 そう念を押し、少しの間言葉を溜めると七海は口を開いた。聞こえてきた言葉は、私が予想だにしていないものだった。

「たぶん、そいつは人を殺している」


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