第16話


あの体育祭から二か月後。


11月の初頭、青春の一ページと名高い文化祭を終えた俺は片付け係としての自身の責務を果たしていた。

俺が誰かと何かをやるよりも孤独に何かをやる事の方が向いているのは間違い無いだろう。

社会には適材適所というものがあるのだ。

そこで俺は適した役割をはたしている。


夕方になり、降りていく日が宴の終わりを告げる。

彼らはまたこうしてこれを思い出にして糧にして、未来へと進んでいくのだと人々は信じている。


過去を後悔したり、過去の過ちを認めなかったり、過去に未来を毒された人達は決して少ないはずだ。

ましてや未熟な思春期を迎えた少年、少女に過去を制御できるとは思えない。

制御できない過去は後悔へと変わり未来さえも侵食していく。


ほかに、あの時、俺にはどの選択が選べたのかと。

その選択は今の俺を変えられたのかと。

どうして、あの時、その選択をしなかったのかと。


考えても、それは絶対に想像の域を出ずに、過去を変えられない事を人は理解しているはずなのだ。

それでも考えずにはいられない、それを愚かと呼ぶか青春の美学と呼ぶか。


俺は適当に片付けをひと段落させると、教室を抜け飲み物を買いに自動販売機へと向かった。

流石片付け係だけあり、俺に話しかける事もなく、訝しむような目線で俺を送り出す。

コミュニケーションが微塵も発生しない片付け係は、誰かが声をかけないため休憩時間が発生しない、よって適当に自分で取るしか無い。

そもそも現場責任者を決めておくべきだったのだろうが、クラスの実行委員長様は後夜祭へ直行だ。

どうせ、明日も片付けをするのだから片付け係単独でやる今日は完全にやる気がないのかもしれない。


少し離れた、自動販売機でカフェオレを買う。

ゴロっと鈍い音と共に無造作に缶が落ちてくる。

動作はとても機械的で冷たい。

俺はそれを人工的な暖かさを感じながら手に取った。

例えそこに愛が無くても暖かさはある。

だが、それでも愛に勝る暖かさなど無いのかもしれない。

人は"何をしたか"だけでは無く"なぜそれをしたか"も重視する生き物だから。

業務の一部として金を受け取り、缶を落下させた機械には最低でもプロセスに暖かさを感じることはできない。


俺はそんなことを考えながら、物置として使われている教室を開けた。

大量に積まれた机と椅子を見ながら、入り口近くの空間に座り込むように屈んだ。

孤独な俺を缶は無条件に温めてくれた。


"愛"は愛する人のためにある暖かさだ。

だが、これは違う。

皆平等に悪人から善人まで暖かめてくれる。


そう考えていると、ふと不自然な気配を感じた。

これはきっと誰かがいる気配だ。

だが、話をする訳ではなく、感じるのは気配だけ。

その人も孤独にここにいるのだろうか。

その雰囲気はとても俺に似ていて、引き寄せられるように奥へと近づいた。

近づけば近づくほど排他的で誰をも拒絶する気配を感じる。


その人は窓を見ていた。

何をする訳ではなく、いや何もしないからこそ、排他的な気配を出せるのだ。

「あ、クリスタか…」

金髪の少女は声を聞くと嘲ったような視線で俺を見た。

だれも来ることを求めていないように見えるのに、誰かを待っているようにも見えた。

そしてまるで俺が"来るべき人間"ではなかった気がするのだ。

では、果たして"本来クリスタを訪れるべき人間"は誰だったのだろうか。


「なんだ、夜彩くんか」

クリスタはそう心底興味がなさそうに吐き捨てた。

言わずにも伝わる"お前は求めていないと"。

しかし、俺もクリスタに用が無いと言えば嘘になる。

4年前の精算にクリスタは不可欠であるからだ。

そして、クリスタの存在自体が罪悪感として雪憐を呪っているとしたら、そのせいで4年前のように笑えないのだとしたら。


「なんだってなんだ」

俺は聞いた。

そんなもの聞かなくても分かっている。

だが、それでも確認を取りたかった。


「なんだはなんだだよ。失望したって意味」

クリスタの反応も表情も行動も発言も俺の予想通りに行われた

。予想通りなのにすごく癪に触る。

いや、もしかしたら予想通りすぎて腹が立ったのかもしれない。


「クリスタは一体何を期待していたんだ?」

それは怒りから出た言葉ではなく、きっと俺の心からの疑問だったのかもしれない。

クリスタが会いたかった人に興味がある。

きっとクリスタはその人とは約束などしていないのだろう。

ただ、それでも夕陽を眺めながら、来るはずがないその人を待つ気持ちに偽りは無いはずだ。


「別に」

クリスタはそういうとぷいっと目を逸らした。

俺に言いたくないと、言わずに伝わる。


「元々期待していなかったなら"失望した"は使えないぞ」

「相変わらず、屁理屈は上手みたいだね」

クリスタは諦めるようにそう呟いた。


「そうだな」

否定する要素も無くそう俺も応じた。

クリスタは俺を見定めるように見ると、笑顔を浮かべた。

悪い笑みだ。

俺は直感でそう感じたのだ。

無邪気なからかいでは無く、あるのは嫌悪と諦めに近いネガティブな何か。


「だから、紗恵に愛想尽かされちゃたの?」

それはおそらく意外な言葉だったのだろう。

だが、俺は少しばかりクリスタのことを知っている。

なんとなくこういう事を聞いてくるだろうという事も予想できてしまった。

悪意を感じる尖った問いだ。


「さあ、どうなんだろうな。紗恵の気持ちは紗恵本人しか分からない」

紗恵本人にしか紗恵の感情が理解できない。

他人が紗恵の感情を答えても、それは推測の域を出ない。


だが、クリスタはつまらなそうに口をつぐんだ。

「酷い男。他人に興味が無いのかしら」

そう一蹴。

吐き捨てられた悪意と共にクリスタは明確な拒絶を示す。

「中途半端に興味を持たれて、人は喜ぶと思うか?」

俺はそうクリスタに聞いた。

中途半端な興味など、本人から見れば、何もしないくせに情報を抜き取ろうとしている行為だ。

なぜなら最終的に物事をやるのは本人だ。

なのに中途半端な興味に基づく共感や理解など無責任にも程がある。

苦しむ人に共感や理解をするのであればそれなりの覚悟を持ってするべきだ。


「人ってそうなんじゃない?」

クリスタはそう白々しく答えた。


「じゃあ、クリスタは4年前どう思っていたんだ?」

俺がそう聞くとクリスタは言うまでもなく俺を嫌悪するような表情をする。

そこには俺の上部だけの興味に対する明確な拒絶と苛立ちが窺えた。


「うわ、気持ち悪い」

こう言う内容の事を言う時のクリスタはとても輝いて見える。

白々しく答えた時より今の方がよっぽどクリスタらしかった。


「だろ。喜ぶはずがない」

俺が苦笑いに近い表情でそういうと、クリスタは俺が同意を求めていると感じたのか露骨に嫌な顔をした。

別に俺はクリスタの同意なんて要らないんだけどな。


「私は死んでもごめんだけど、紗恵はあなたに興味を持ってほしいと思ってたみたいだよ」

クリスタはそう少し寂しそうに言う。

それが少し意外だった。

クリスタが紗恵に興味を持つのも意外だが、それよりもクリスタがこんな表情をする方が意外だ。


「わざわざ、説教するのか。クリスタらしくない」

俺はそう答えた。

これは紗恵と俺の問題で、クリスタは関係の無いはずだ。

他者の関係性に口を出すのは違う。

そして、クリスタが"そうことをするはずが無い"と何か確信めいた考えが俺の思考を支配していた。


「あなたに説教なんてしない。時間をドブに捨てたくないもの」

「じゃあ、なんなんだよ」

「哀れんでるの。可哀想だなって」

クリスタは苦虫を噛み潰したような表情で俺を見ていた。

哀れんでいると言うことをこうもストレートに言える人はそう居ないだろう。

大抵は顔か行動で出す、相手に声で伝えることなんてまずない。


「勝手にしろ。俺はクリスタの考えに興味はない」

クリスタの考えが何であろうと俺に関係は無い。

そして、クリスタが何を考えていようが俺にどうこうできる権利も無い。

クリスタが俺を見下ろすように見る。

…いや身長は俺の方が高いのだからあくまで心理的なものだが。


「で、なんでここに来たの?」

クリスタはおそらく最初に尋ねるべき問いを俺に投げかけた。

しかし、面と向かって俺に聞かれても困る。別に一人で快適に缶コーヒを飲みに物置に来たのだから。

と、俺はそこまでの思考である重要な事を思い出す。

缶コーヒー飲めてない!

慌てて、手にある缶コーヒーを見る。

それは冷め始めており、全盛期のあの暖かさは消えてしまっている。


俺が思わずうへーとした顔をして視線を泳がせるとクリスタは嘲笑するようにこちらを見ていた。

クリスタさん、今日一番で嬉しそうですよ。


過ぎ去った時間は悔やんでも返ってこない。

ため息に近い吐息を吐くと、缶コーヒーを開けた。

現役時代に飲んでもらえなかった缶コーヒーの気持ちを考えると胸が痛む。

後悔と缶コーヒーへの罪悪感を丸々胃へ飲み込むように一杯飲んだ。


「来たかったからだ。クリスタの土地じゃないだろ?」

俺はフタから缶コーヒーの中身を見ながらそう答えた。

中身は暗がりでよく見えず、真っ黒な得体のしれない液体が渦巻いているように見える。

それがなんなのか分からないということはとても恐ろしいことだ。


「そうだね。ここは学校だよ」

クリスタは平坦な声で答える。

それがクリスタにとっても普通の声なのだろうが、普通の人から見るととても不機嫌そうに聞こえる。


「そこまで、分かってるなら言う事は無いな。公共の場所では静かにしてくれ」

俺はそう答えた。


「なーんだ。せっかく孤独な夜彩の話し相手になってあげようと思ったのに」

それは誰の声だっただろうか。

いや、この教室にはクリスタと俺しかいないはずだ。

そして、俺はこれほど高い猫撫で声を出せるはずがない。

とそこまで思考を巡らせると思わず口をつけていた缶コーヒーでむせた。


咳き込むたび鼻にコーヒーが入ってくるような気分になる。

肺が息をするために無理やり吐き出すので、苦しい。

コーヒーをぶちまけないように必死で制御すると、少しすると治まり、呼吸のありがたみを実感する。


そこにはクリスタしか居なかった。

そしてクリスタはいつもよりも柔和な顔をしている。声と表情でわかる。

俺は自然とクリスタにかつての友達の紗恵を重ねてしまう。

だが、それらはとても似ているのに何故かクリスタが真似したものだと分かるような欺瞞的な暖かさに満ちていた。

本物とは違う。


「言ってる事が支離滅裂だ。そんな心にも無い事を俺に言って何になる」

「何もならないよ。あなたと同じ」

「何が言いたいんだ?意図が分からない」

「分からないの?」

クリスタは最後のチャレンジだと、最後通告にように聞いた。

「もういい、面倒だ。くだらないなぞなぞに興味は無い」


今更変えるわけにもいかなかった。

俺とほぼ絶縁状態の紗恵をずっと放置している俺を見て、クリスタは何を思うか。

クリスタは紗恵を友達だと思っていて、俺の事を信用していない。

絶縁状態になった原因が俺にあると推測するのは当然だ。

原因を知っているか否かは不明だが。


そして、原因が俺にあるのは事実であるのだから。

「本当に最低だね。なんで、こんな男を紗恵は好きになったのか」

クリスタはそう紗恵に同情するようにいう。

クリスタはこれがもう紗恵の話題である事さえ隠さなかった。


クリスタの言う通りだ。

何故俺を好きなってしまったのだろうか。

"愛するのに理由なんてない"と言えばそれまでであろうが、それでも理由くらい知る努力を俺はすべきだったのかもしれない。


「紗恵を振ったんでしょ?」

「クリスタに答える義務は無い。最低でも俺からは何も言わない」

もしかしたら、紗恵からこの話をクリスタは聞いたのかもしれない。

でも、例えそうだとしても、俺が勝手に話すべき事じゃない。

それにあの時紗恵の事をろくに知らないのだから、俺では客観的な事実を語ることができない。


「それが答えだね。こんなの嘘なら否定するから」

クリスタの声は無情で冷たかった。

俺がどれだけ上手い言い訳したとしてもクリスタは聞く耳を持たないだろう。


「紗恵、すごく落ち込んでるんだけど」

俺は何も言わなかった。

いや、言えなかった。

俺からクリスタに言える事なんて何一つ無いない。


クリスタは黙っている俺を何も言わずに見ていた。

嘲笑うわけでもなく、悲しむわけでもなく。

その真剣な視線が俺に回答を求めている事は言うまでもない。

黙る事は許さないと。何故紗恵を傷つけたのかと。

全てをクリスタの前で晒け出し、弁解しろとそう言っているのだ。


「…驚いたな。クリスタに人を想う気持ちがあったのか」

それは俺のある意味での回答であった。

例え何があってもクリスタには話さないと言う回答だ。


「そうだね。夜彩くんは人だとは思ってないけど」

クリスタは笑っていなかった。

感情の波もなく、クリスタの奥底にあるのはきっと、静かなるドス黒い何か。


「あなたはもう二度と紗恵に近づかないで」

それの真剣な表情はクリスタらしくなかったのに、まるで本来のクリスタがこっちであるような気がした。

いつもの、軽蔑しきったような表情でもなければ嘲笑った表情でもなかった。


「ああ、それでいい」

否定する事もなくそう頷いた。

そして、しばしの沈黙。


「なあ、クリスタは4年前の事で俺を恨んでいるのか?」

それはきっとずっと聞きたかったことで、俺の長年分からなかった命題の一つだ。

いくら仮説を立てても、真実が分からずにいつのまにか答えを出す事を諦めてしまった。


クリスタは表情を一つも変えずに、俺を見つめた。

そこに雪憐の暖かさはなかった。

そこに紗恵の優しさはなかった。

それは藤堂先輩のように待ってくれない。


「私は夜彩くんが思うような過去に囚われた可哀想な女じゃないから。私は私の意思でここにいる」

そう言った。

このシンプルであまりに真っ直ぐな答えは、きっとクリスタの選択なのだ。

だれのためではないクリスタ自身のための。


「そうか」

俺はそう呟くしなかった。

反論の余地がないほどに真っ直ぐで、否きっと共感してしまったのだ。

その真っ直ぐさはある意味俺が求めているモノでもあったから。


「私はあなたのことがとても嫌いだけど、恨んではいない。だから私はあなたに向き合う事なんてない」

補足のように付け足した。それにも俺は文句はなかった。


「意外だった?」

クリスタはそういって、いつものように邪悪な美しさで笑う。

だが、俺はそれをいつもと同じように見ることができなかった。

もし、こいつがクリスタの価値観が夜彩凛の価値観に近いものであるならば…。

俺はそれを認めることができないだろう。


俺はクリスタが嫌いだ。あの、嘲笑うような表情も人を小馬鹿にした態度も他人への不信感も。

「ああ」

俺はやっとの思いでそう答えた。

息を無理に出すようにしないと声も出ない。


「私の選択を"あなたへの恨み"が決めるなんて、死んでもごめんだよ」

最悪だった。

本当に共感できてしまうのだから。

まるで俺が望んだ回答をしているようにも思えた。

それともわざとそう答えてクリスタは俺を弄んでいるのだろうか。


そして俺自身とクリスタの過去を向き合う機会は最後まで与えられなかった。

思えば最後まで思い出そうとすらしなかった。

一体何が雪憐とクリスタの間で行われていたか、俺は最後まで知らない。

知っているのは燃えている家とその時悔やんだ雪憐だけだ。

雪憐とクリスタに友情があったことくらい。


クリスタについて何も思い出せない。

なぜあの時家は燃えていたのか。

なぜ雪憐とクリスタの間に何があったのか。

なぜ記憶があいまいなのか。

ただ分かるのは俺は雪憐が好きで、あの時の選択を悔やんでいるということだ。


「正しい判断だな。自分の選択は自分自身によって決めるべきだ」

もう何もいうべき事はない。

できるのはクリスタの言葉に賛同するだけだった。


「あなたがそう思うなら、4年前の選択は夜彩くん自身によって選んだ選択だったの?」

「覚えていない。でも、俺が選んだ選択だ。あの時最善だと信じて選んだに違いない。過去の自分を信じている」

「…今でも信じてるの?最善だったって」

「もう最善とは思えない。最善でも雪憐が悲しむなら、それは間違っていたと思う」

「そう。私も少し意外。最善だと信じて疑わないものばかりだと思ってた」

クリスタはそうぼそっと言った。


「まさか。考えれば後悔するから、目をそらしてるだけだ。本来考えるべきはずなのに、ずっと考えられていなかった」

「そんな、生き方をして楽しい?」

「楽しくは無い。でも、これはそういう問題じゃない。楽しくても辛くても後悔しても人は選択を迫られる。だから、最善の選択を信じて選ぶんだろ」

クリスタは俺を見ていた。

馬鹿にするわけでもなく、嘲笑うわけでもなく、俺と向き合っていた。


「それは誰のための選択?」

静かな声だった。

それは誰にとっての最善なのか。

…分からない、答えが出てこない。

最善の選択であるかどうかはずっと考えてきたのに、それが誰のためかなんて考えてことがなかった。

今まで見えていたはずの"最善の選択"が気体のようにフワフワとしているように感じる。


「雪憐のためだ」

確信も持てずにそう言った。

酷い話だ、4年間ずっとそれを考え続けてきたのに肝心な時に何にも、何一つ役立たない。


「4年前と同じだね」

「…いや、違う。今はきっと昔よりも雪憐のことを考えられる」

自分でも空回りしているのが手に取るように理解できた。

クリスタどころか自分自身にさえ響かない。

ただただ言葉は空っぽだった。


「昔と向き合わない。思い出せない。それなのにどうしてそんなことが言えるの?」

クリスタは見苦しいと言わんばかりにそう断じた。

「そうじゃない、今回は!」

「今回は?今回のあなたの最善の選択は本当に花ちゃんのための選択なの?」

遮ったクリスタの声は俺の荒げた声よりもとても小さかったのに、この物置に響いた。

それだけ俺の言葉は空っぽで意味がなさなかったのか。

黙って俺を真っ直ぐ見つめるクリスタ。


「あなたは花ちゃんの気持ちを考えたことがあるの?分かってあげようとした事があるの?」

「それは…」

何も言えなかった。

自分の気持ちと向き合ったことがあっても、他人の気持ちと向き合った事なんてなかったからだ。

いつだって考えた相手は"俺から見た花ちゃん"だった。


「いい加減気づきなよ。これじゃあ何も変わらない、4年前と同じ。あなたの最善の選択は文字通りあなたにとっての最善の選択なだけ」

突きつけられたそれは、俺が抱えてきた矛盾なんだ。相手の気持ちを考えられない人間に誰かを愛す事なんてできるはずがない。

「人の気持ちを理解しようとしないで、誰かのための最善の選択なんてできるわけがない。そして花ちゃんはもういない。

いい、いないのよ?仮にあなたの記憶が取り戻せてあの時を思い出しても、もうその花ちゃんはこの世にいないの」

それが全ての答えだった。

雪憐の気持ちは雪憐しか知り得ないと決めて、今の雪憐と一度も向き合わなかった。

それで得られるのは利己的な選択だけなのに、それを"雪憐のため"だと偽造した。

「記憶を思い出しても、思い出さなくてもいい。そこは重要じゃない。大切なのは今の花ちゃんと向き合うことでしょ」


「…俺は…雪憐のために…」

なら、俺はどうするべきなのか。

「雪憐のために何をしてあげられるんだ…」


「何もできないよ」

クリスタはそう言った。答えどころかヒントですらなかった。


「4年前の花ちゃんにしがみついているあなたには」

俺がずっと"4年前の花ちゃん"の事を考え続けてきた。

逆に考えない事は思考の放棄だと思っていたし、それは悪だと信じていた。

そして、4年前の事の精算と贖罪は俺と雪憐のためであるとも信じ切っていた。


「今の花ちゃんの事が本当に好きなら、今何をすべきなのか考えたら?」

俺は今の雪憐のことを考えられていたのだろうか。

4年前に囚われているのは俺だけではないのか。


「きっと、それはとてもシンプルで分かりやすいものだよ。どうして理解できなかったのか私には理解できないくらい」

ああ、きっとそうだ。

単純な事なんだと思う。

だけど、俺には凄く難しくて、困難な課題だ。

誰かを理解しようとする事が果たして俺にもできるのだろうか。

俺が何も言わずにクリスタの方を見ていると、クリスタも不審がるようにこちらを見つめてきた。


「夜彩くんが私の意見を聞くのはすごく意外だった」

言葉こそ変わらないが、いつもよりも柔らかく感じた。


「俺はクリスタが俺に教えてくれたのが意外だったが」

「勘違いしないでね。私は花ちゃんの恋が実るための手伝いをしただけだから」

ツンデレ的な台詞だが、そこに可愛げは一切なかった。

あるのは不機嫌そうな拒絶だけだ。


「勘違いする事なんてない。クリスタが俺のことを嫌っていることを疑ったことなんて一度も無い」

俺もそう答えた。

クリスタとそのような展開などあり得ないだろう。

想像すらできない。


「ならいいかな」

クリスタはそういうとプイッとそっぽを向いてしまった。


「なあ、クリスタ」

そういうと金髪の少女は不機嫌そうに俺を見た。

だが、それの瞳はとても真剣で、そして黙って俺の言う言葉を待っている。

浮世離れしたその容姿と達観した考えの彼女に複雑な思いを抱きながら、俺は伝えるべき事を言った。


「ありがとう、気づかせてくれて。そして、やっぱり俺もクリスタが嫌いだ」

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