第11話
夕日の中、二人は歩いていた。背後には無限に伸びる影。
正面には我々を熱する灼熱の太陽。
雪憐とのモールでの買い物と食事を終えて、家が目の前の俺達は今日の余韻に浸かりながら帰路に着いていた。
そして、俺はそんな光景を4年前の思い出と重ねてながら感傷に浸る。
服屋の後、書店、ファーストフードを回り、雪憐は買ったブラウスと小物と小説を袋に持っている。
ブラウスの袋にまとめてそれらを入れており、服の買い物袋は大きく見えるため余計な事を言ってしまった。
「雪憐重いなら持とうか?」
俺は言うと手を伸ばす。
本来、人の持ち物を持つのは気が引けるが、重いのを持たせるのも良くない。
しかし、雪憐は首を振った。
「大丈夫ですよ。大きいだけで軽いですから」
雪憐は笑ってそう言うと、俺はうなずく。
雪憐が持ちたいのであれば、それは雪憐の物だから雪憐の選択を尊重するべきだ。
「分かった」
雪憐は付け加えるように言う。
「その、ありがとうございます」
雪憐にそう面と向かって言われるのが凄く恥ずかしく、俺は雪憐の方を見る事が出来ず照れ隠しのように雪憐から目を逸らす。
そして、俺は気が付いた。ここが4年前よく遊んだ草原である事に。
「先輩」
雪憐は先程の4年前に近い声とは違い凛とした今の声で俺を呼び止める。
「寄って行きませんか?」
どこに、と聞くまでもなかった。
雪憐、夜彩、そしてこの草原。
それは4年前と関わりがある何かである事は良く理解していた。
俺が答えに窮していると、雪憐が草原に入る。
真っ赤の夕陽に照らされ、何もない草原を歩く白色のワンピースの少女は4年前のあの頃のように。
無数の思い出と強烈な初恋の思い出が頭を駆け巡る。
俺は飲み込まれるように草原へ入っていった。
淀みが無く一歩一歩しっかりと進んでいく雪憐に対して、俺は進む毎に後悔と不安に襲われていく。
雪憐が何をしようとしているか分からない。
とても告白や何か喜ばしい事をしようとしているようには見えない。
雪憐の背後を振り向かない歩き方は過去の決別するかのような、覚悟のあるものだったから。
雪憐が不意に止まる。
俺もどうしてここで止まったか良く分かった。
俺たちの場所は4年前の場所と同じ場所だったから。
「先輩」
もう一度問いかけた。
決して逃さないと俺を真っ直ぐと視線に捉えていた。
「ここへ来たのは先輩と話をするためです」
雪憐と俺達の間を夏の風が通り過ぎていく。
話をするために来たのくらい察しの悪い俺でも分かる。
「ああ、分かってる」
そして、何を話すのかも。
「4年前の話と…これからの話だろ」
言ってしまえば、後戻りが出来なくなるのは理解していた。
しかし、言わなければ、雪憐から切り出されるのだろう。
4年前の事の俺の責任を放棄して、それを雪憐に押し付けるのは許されない。
「ええ、その、先輩には辛い話なんですけど…」
雪憐は申し訳なさそうに言う。
それは確定した過去をどうする事もできない目で見ているような、そんな印象を受ける。
でも、本当に辛いのは俺なのだろうか?
4年前で本当に苦しんでいるのは誰だ?
「雪憐に比べたら全く辛くないから安心しろ」
きっと、4年前の親友だったクリスタを傷つけられて、俺が裏切った行為をして、一番傷ついたのは雪憐だ。
「…だから」
これ以上、雪憐を傷つけてはいけない。
それは今の俺の願いであり4年前の願い。
「大丈夫です」
だが、雪憐は俺の言葉を遮った。
その声色は低く、誰に何を言われても揺るぎはしなそうだった。
「私は話しますよ。辛いですけど、ちゃんと話さないと伝わらないから」
雪憐はそう言う。
雪憐の選択だ。
「そうか。悪かった」
俺は端的にる。
雪憐の選択を邪魔した事、そして雪憐の選択を止める勇気がなかった事をだ。
「いえ、こちらこそ…」
雪憐はそんな俺を見て言う。
何か見るに耐え難いものを見るような目で。
「先輩はどうしたいですか?この私達の今の関係を」
"今"と言う事をわざわざ雪憐はつけ、強調したのは昔があるからに違いない。
連続的では無い4年の歳月がぽっかりと開いた、昔の関係と今の関係。
「俺は…」
俺は思考をフル活用させて考える。
どれが正解かは分からない。
だが、どれが俺の本心かはなんとなく分かる。
ならば、本心に出来る限り近い回答を俺はするべきだ。
「雪憐が望んでくれるなら、この関係を続けたい」
「そうですか…」
雪憐はそう言う。まるで聞きたい答えが聞けなかったような声色。
雪憐が聞きたかった質問は実は別の事なのだろうか。
「あの、先輩…」
雪憐は言い淀み、これで良いのかと苦悩した顔で俺に聞く。
4年前とは違う色っぽい女の子の唇が動く。
「4年前、私が好きでしたか?」
雪憐が開けたのは俺たちのパンドラの箱だった。
これで、後戻りは出来なくなる。
「好きだった」
俺は深呼吸の後そう答えた。
雪憐が息を呑むのが分かる。
雪憐は知れた事への喜びと知ってしまった事への苦しみが表情に現れていた。
きっと逆の立場なら雪憐のような表情を俺がしていたはずだ。
「俺もあの時はとても戸惑ってさ…」
俺の言った事は言い訳のようで情けない。
しかし、本当に戸惑っていて、何をするのが正解なのか、どうすればこの気持ちに答えが出るのか分からなかった。
その気持ちは初恋を終えていない今も変わらない。
「よく覚えてる」
俺はこれ以上何も言わないように全ての息を吐き出して、締め括った。
後悔を頭の中で封じ込め、思考を目の前にのみ集中させる。
きっと、今後悔すれば、後でさらに大きな後悔をするから。
「じゃあ、"今"、私が好きですか?」
少し間を置くと、雪憐は聞く。
「え?今…」
俺は言いよどむ。
「今は…」
目の前に雪憐がいて、4年前のこの場所。
今こそ伝えるべき時なのに、肝心な俺の本心が分からない。
俺は果たして今の雪憐は好きなのか?
4年間傷つけて、ほったらかしにした男が今の雪憐が好きだと言っても良いのか?
正解が分からず、4年間積み重ねた深く広く浸透した呪いが俺全体を侵食していく。
俺がどんな顔をしているのか分からないが、最低でも嬉しそうな顔をしている訳がなかった。
「"花ちゃん"は今も先輩を苦しめていますか?」
雪憐はそんな俺を見て、赤子をあやすような声を出した。
「俺は…」
雪憐の優しさは、俺の惨めさを加速させて、抑え込んでいた後悔を決壊させる。
俺がどれを選べば正解だったのか分からなくて、どうしようも無いこの想いを口から吐き出してしまった。
「…雪憐はなんて言って欲しいんだ?」
それは、雪憐に答えを伝えず、雪憐から見れば実質的な回答拒否。
俺はちゃんと伝えたかったのに、自分の覚悟が足りずに言えなかった。
「私は、もう先輩に苦しんで欲しくないから…」
「先輩が"花ちゃん"にもう囚われずに、ちゃんとちゃんと…」
雪憐は止める気は無く、時がだけが進む。
俺はどこで選択肢を間違えたのか分からず、途方に暮れて、ただただ後悔だけが湧き出てくる。
俺は、雪憐言葉を聞き取るだけで精一杯だった。
「忘れて、幸せになって欲しい」
雪憐はそう言った。
雪憐の"幸せになって欲しい"という言葉に強烈な違和感を俺は感じ、声が大きくなる気持ちを抑えて、冷静を心がける。
「俺は別に不幸なわけじゃない…今日、俺はすごく楽しかった」
きっと、雪憐と共有でき、雪憐に対して一番説得力のある根拠だ。
「だから違う」
俺は言い切った。これで良いのかとこれが本心かと問い続ける自分自身を抑えて。
「では、本当に"花ちゃん"は先輩を苦しめていないのですか?」
雪憐は凛とした声、4年前を連想させる顔で4年前とは程遠い力強い声。
「それは。それは…」
言えない。
言える訳がない。
これが正しい選択だなんて、4年間、初恋をずっと引きずり続けた男が幸せだなんて、断言できない。
「先輩は優しいから、ずっと4年間苦しんできた」
「違う…」
だからと言って、苦しんでいたなんて言えない。
4年前の初恋は4年前の雪憐のせいで俺が不幸になったなんて言えない。
悪いのは俺のはずだ。
「私の中学校では色々な人が色々な恋をして終わりを迎えてました。私も、何人かに告白されましたよ。全部振りましたけど。
…ほら、先輩、責任を感じて、そういう顔をする」
雪憐は俺を見て笑った。
待ってましたとばかりに指摘した。
「先輩、4年前の花ちゃんはもういないです」
その事実は、俺の心をえぐる。
「凛は、いつまで初恋を続けてるの?」
雪憐の声は4年前の花ちゃんそのもので、俺の心をトドメとばかりに引き裂いた。
「雪憐…」
「先輩は、自由になるべきです。私は…これ以上先輩を苦しませたくない…」
雪憐はもう俺に苦しんで欲しくないと。
「お願いです。もう、私の事を忘れて、新しい恋を見つけてください」
雪憐はもう俺に初恋をやめて欲しいと。
何も言えなかった。
雪憐の悲痛な叫びを、この納得のいかない結末に何も言えない自分がいた。
これは4年前と何も変わっていない。
「納得がいかない。こんな結末…納得がいかない…」
俺はただ、繰り返した。
雪憐が俺から目を逸らす。
例え雪憐の望んだ選択でも、こんなものはおかしい。
「じゃあ、雪憐は4年前、俺を好きだったのかよ?」
ひねり出したのがあまりにひどい。
だが、こんな言い方くらいしか方法がない。
「俺は新しい恋で幸せになんかなれない。ちゃんと初恋を終わらせなくちゃ意味が無い」
俺は雪憐から答えを聞いていない。
俺が苦しんでいるから初恋を中途半端に中止しても、それは一生拷問にかける行為だ。
「"他人が苦しまないため"なんて、理由になってない」
雪憐の願いは雪憐自身の願いを俺はまだ聞いていないから。
「俺は、雪憐の想いを知りたい。俺は雪憐自身の選択を知りたい」
それは4年間ずっと引きずった初恋の答え合わせ。
雪憐はただただ俺を見ていて、目を逸らした。
「先輩…ひどいです。
そんなの…私は…凛が好きだった」
雪憐はぼそりぼそりと4年前の雪憐の想いを、俺が喉から手が出るほど知りたかった"回答"を始める。
「あなたに負けないくらいあなたを愛していた」
雪憐は俺を見て、真っ直ぐと答える。
「花ちゃん…」
俺が呼んだ目の前の少女の4年前の呼び方をもう一度呼んだ。
言い終わった後、沈黙が訪れる前に雪憐は唇を噛み締めて、続ける。
「でも……私は今の先輩は好きじゃない…」
雪憐はそう言う。
それは俺が答えるのを避けた問いで雪憐は後悔が滲み出た。
「苦しんでる先輩なんて好きじゃない」
「違う!俺は苦しんでなんていない!」
だとしても、雪憐が俺が苦しんでいるように見えても、俺の苦しみは自分でのみ決めるべきだから。
だが、雪憐は信じてくれる様子も無く、ただ不信な顔をして拒絶する。
「嘘です。なら、どうして私をあんな懐かしむ顔で見るんですか?!」
俺は反論の反論をしようとするが、言葉を発せなかった。
何故なら発するべき言葉が何一つ思いつかなかったからだ。
「それは…」
俺はまた逃げ込むように無意味な言葉を続ける。
「今の私を愛してくれているなら、先輩はそんな顔をしない!」
雪憐の主張はとても正しくて、間違っていなくて、美しい。
「私は帰ります。今日は楽しかった」
雪憐は言い終え、話を打ち切るとると、振り返って、道路に戻ろうと歩き出した。
その背中はとても悲しそうで、4年前の再現のような気分になる。
また、俺は何もできなかった。
何もできな"かった"?
何故俺は過去形なのか。
目の前にはまだ雪憐がいる。
話しかける事もできる。
ここで雪憐に何も言わなければ、きっとまた今までの4年間と同じ事が始まるだけだ。
「ふざけるな!!こんなのおかしい、間違ってる!!。これで雪憐は納得できたのかよ…」
最低でも俺は納得ができていない。雪憐にも少しであっても納得できていない思いがあって欲しかった。
「私は…」
雪憐は振り返らずに何かを言おうとしてやめた。
「ずっと好きだった。何年も4年も悶々とするくらい好きだった!!」
そうだ、これが正解なんだ。
「俺の苦しみを勝手に推測して憐むなよ」
"人の苦しみを勝手に推測して憐む"、それは4年前の俺の過ちと同じものだ。
人の気持ちを理解したと、勘違いしていた。分かったつもりになっていた。
「苦しかったが、それ以上に雪憐の本心が聞けて嬉しかった!」
「クリスマス、ここに待ってる。もう一度会おう。雪憐が納得いく答えを出す。
今日できなくても明日はわからないから」
雪憐が振り返り、聞く。
「何時?」
「え?」
「何時何分何秒ですか?!」
雪憐が俺に大声で叫んだ。
「いったい私はどれだけ待てばあなたから答えを聞けますか?!」
「12月24日の午後の四時だ!!」
俺は負けないよう声を張った。
「ちゃんと、来ます。それで先輩が救われるなら」
雪憐はそう言う。
雪憐の選択が選んでくれた。
考えた上で俺の提案に乗ってくれたのであれば、言うべき台詞は一つだけだ。
「ああ、ありがとう」
俺がそう言うと、雪憐は会釈に近い柔らかい笑みをして、俺に背を向ける。
「待ってますよ」
雪憐は静かに付け加え、去っていった。
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