姉はさらに暗躍するらしい

 特にマーゴットやリースト伯爵家の兄弟、グレイシア王女を説得する必要もなかった。


「新人の調理師さんが料理の練習をしてるんだって。お昼代わりに試食してもらえたら嬉しいそうだよ」


 そうして調理師用の白衣に三角巾、マスクで顔を隠した神人ジューアが持ってきたのは、小麦粉の皮で包まれたサーモンパイだった。

 ただし、大地震の前にリースト伯爵家で食べたようなバター入りのパイ生地ではなく、塩と水で練った小麦粉を伸ばして鮭を包んだだけのもの。

 その鮭も特に味付けなどはされておらず、身だけがそのまま分厚く、どん、と詰まっている。


(これがあの美味しいサーモンパイのオリジンなんだよね……今の時代の子たちの口には合わないだろうな……)


 とカーナが心配していると。


「んー……おいしくない! でもなつかしい気がする」


 ルシウス少年は素直だった。


「不味いというより、味がないね。ほらルシウス、マヨネーズと塩を足したら美味しく食べられるよ?」

「兄さんとおなじ食べかた、僕もするー!」


「ははは、食堂の新入りのおばちゃんの故郷の料理らしいよ。美味しくないけど全部食べてあげて。ははは……」


 カーナの後ろでぽそっとジューアが呟いている。


「懐かしいわけないわ。あの子が封印されたのはまだ乳飲み子の頃だったもの。まだ母様のお乳しか飲んでなくて離乳食だって食べてなかったのに」


 おいしくないと言いながらも、あれこれ調味料で味変しながら一同が試食ランチを楽しんでいるのを横目に、カーナはジューアにコーヒーを入れさせて一息ついてる振りで厨房のカウンターで雑談していた。


「ジューア、あのサーモンパイにどんな祝福を?」

「私の魔力を込めたから、魔力の質と量が向上するわ。あとは出世運の祝福。あの子たち、大物になるわよ~」

「……最初に君がかけた呪いはどうなる?」

「祝福で上書きしたから多少マシになるでしょ」


 ジューアは自信たっぷりだったが、何にせよ不安しかない。




「マーゴットから夢見を解いて現実に戻ると8年後になると聞いたんだけど。君は他に知ってることは?」

「そりゃあるわよ。お前はよくわからないけど子供になってる。ああいう現象は私も初めて見るからよくわからない」


 通常のハイヒューマンなら傷ついて弱っても、回復すると筋肉の超回復のようにより強くなる。

 だが神人に進化した存在の場合、肉体に派手な損傷や消耗を経験することは滅多にないし、その前に世界に飽きて自ら消滅するか別の世界へ移動するかなので事例はなかった。


「子供になったお前を強引に永遠の国に連れ帰ろうとして、私はカレイド王国に出禁になってしまったわ。正直、私はカレイド王国へもあのマーゴット女王へも印象が悪くなった」

「君はカレイド王国の魔に対して何か助けてはやらなかったのか?」

「やるわけないわよ、頼まれてないもの」

「これだよ……」


 もっとも、頼んだからといって動くとも限らないのが神人ジューアだ。相当に捻くれた性格をしている。

 そもそも人嫌いのハイヒューマンだし、カーナがなかなか帰ってこないのを連れ戻しに来ただけの女である。


「せめて、現実に戻ったらマーゴットたちに魔封じの魔導具を作ってやってくれないか。必要な素材や費用は、カレイド王国守護者の俺が支払う」

「あら。カレイド王家には建国祝いのとき下賜したわよ。メビウスの輪を模した魔法樹脂の腕輪よ。特に但し書きは付けなかったから、宝飾品として宝物庫に埋もれてるんじゃないかしら?」


 まさかの灯台下暗し。


「ならマーゴットにダイアン国王に手紙を書かせて、メイ王妃に魔封じを装着させて……ダメか、今でさえ王妃を放置してる男だ、魔封じを廃棄や破壊しかねない」

「面倒くさいわね。邪が世界の癌なら、魔は世界の腐敗源。早いとこ処置しないと手遅れになるわよ」


 ジューアは湖面の水色と呼ばれる、ほんのり緑がかった薄い水色の瞳で、胡散臭げにカーナを見た。


「お前、夢の中だとその辺の能無しの人間どもみたいね。永遠の国でハイヒューマンの長老として悠々と微笑んでる姿しか知らない連中が見たら、驚くんじゃないの?」

「そんなに違う?」

「後ろから蹴り飛ばしたくなるぐらいには、トロいわよ」


 ジューアの場合は本当に蹴り飛ばしかねない。しかも魔法剣士でもあるから、魔法剣まで飛んでくる可能性もある。




 あれこれ話していたら、テーブルのほうではサーモンパイを食べ終えて、マーゴットとグレイシア王女は王宮に戻ると言い出している。

 午後は確か、この国の先王との謁見が控えているのだった。


「君はもう現実に戻るのかい?」

「その前にあの子たちの家に潜入してくるわ。知ってた? リースト伯爵家って使用人たちまで自分の一族で固めてるのよ。私ひとりが混ざっても違和感ないと思わない?」


 兄弟のリースト伯爵家の一族は、青銀の髪と薄い水色の瞳を持った、とても麗しい容貌の持ち主として知られている。

 血筋の中に同じ容貌になる因子を代々受け継いでいて、個体ごとの体型や性別は違っても基本の顔立ちや髪色、目の色はほぼ同じだった。

 確かにその中になら、祖先のジューアが混ざっても誰も一族であることを疑わないだろう。


 それで現実に戻った後でも、すんなり8年後のルシウス少年や兄のカイルたちの家に馴染めるよう工作するのだそうだ。


「ジューア……潜入などと言ってないで、正体を明かして堂々と当主に挨拶してくればいいじゃないか」

「嫌よ。いくら子孫たちとはいえ、私が神人だと知ってお前みたいに利用でもされたらどうしてくれるの? 私はお前みたいに甘くも優柔不断でもないのよ」


 気に食わないことをされたら、例え己の子孫でも簡単に命を奪うだろう。この神人ジューアはそういう性格をしている。


「素直にルシウス君おとうとの側にいたいだけって言えばいいのに」

「うるさい」


 これがカーナが夢の中でジューアに会った最後の出来事だった。


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