【12/08発売】 実は聖女じゃなくて聖母です 〜異世界で保育士はぷにぷに幼児と愛され人生を送る〜(Web版)
三船十矢
第1話 聖女召喚――二人の候補
私、天野
「おお、聖女様! 我らの召喚にお応えいただき感謝いたします!」
「へ?」
紬は様変わりした風景が理解できず、目をぱちくりとさせた。
彼女の前にいるのは、西洋の僧侶が着てそうなローブに身を包んだ中年の男性たちだ。彼らは興奮した面持ちで紬に目を向けている。
着ている服も、顔の構造も日本人離れしていた。
一方、紬は実に普通だ。ベージュのシャツに花柄のロングスカートを着て、トートバッグを持っているだけ。
(……ええと、ここは?)
何かの広間のようだ。ただ、天井や壁、柱に細やかな装飾が施されていて、明らかに手間がかかっていそうな感じだった。
(いやいや、ちょっと待て。さっきまでワンルームで朝の支度をしていたんですけど)
明らかに場所が違う。
出勤の準備を終えて、玄関ドアを押し開けた瞬間、急に世界が変わった。
そして、自分の足元――
そこに広がる円形の魔法陣。
(これは、何? 召喚とか言った? じゃあ、この魔法陣で、私をここに呼び出したってこと?)
それなりにゲームをした経験のある紬はすぐにその可能性にたどり着く。
(聖女とか呼んでた? つまり、私が――)
その時だった。
ぱきん。
と何かが割れる音がした。同時、空間に黒い穴が開いて、そこからもう一人の人物が現れた。
「おおおおお!?」
「え、聖女様が、もう一人?」
僧侶たちに困惑がよぎる。
紬の横に立っていたのは、美しい女性だった。紬と同じ黒髪黒目――顔立ちは間違いなく紬と同じ日本人。
だが、紬とはまとっている雰囲気が違っていた。
ほんわかとした紬と比べると、硬質な印象が強い。きっとそれは表情に微笑や動揺の成分が欠けているのと、白衣を着ているからだろう。
(白衣!?)
同じ日本人のようだが、こちらもまた普通は着ることのない服だ。
現れた彼女は眠たげな表情を左右に向ける。そして、おもむろに自分の頬を、ぴしゃりと叩いた。
(――え!?)
「……何も変わらなかったから夢ではないのか。まあ、痛みで夢が覚めるという言い伝えを信じるのも酔狂な話ではあるのだけど」
彼女は億劫な様子で、少し乱れた髪と白衣の襟を正した。
「身だしなみが整っていなくて申し訳ない。朝方まで実験をしていてね。で、休憩室のドアを開けた瞬間、こうなっていた。どういう状況なのかな?」
白衣と顔立ちの通り、混乱とは無縁の人間らしい。ここに来て「へ?」しか言えていない紬とは雲泥の差だ。
そこで代表らしき聖職者が質問に答えた。
「この国を守護する聖女様として、異世界から召喚させていただきました。どうか、我々の
人がいい紬は、なんだか困っているから助けなきゃ! と思ったが、白衣の女性はどこまでもクールだった。
「聖女というのは?」
「詳細は後でご説明いたしますが、聖なる力を使って人々を守り、瘴気を払う役割を担う女性のことです。我らの生活を守る重要な存在となります」
「……なかなか理解が難しい職業だな」
少し考えてから、白衣の女性が言う。
「申し訳ないが、こちらにも生活がある。戻る方法はないのかな?」
「あ、はいはいはい!」
慌てて紬も手を上げて存在をアピールする。
「私も戻りたいです! あとで戻ってきてもいいので! 保育園を回す人数がカツカツなので、無断欠勤するとまずいんです!」
突然の
しかし、聖職者は首を振った。
「申し訳ありません。召喚は一方的なもの。戻す手段はありません」
「そ、そんな……!」
紬はガラガラと足元が崩れるような気分を味わった。戻れないなんて!
隣の白衣の女性が何かを言い返すかと紬は期待したが、彼女は別の話題を口にした。
「ところで、私がここにきたとき、少し驚いていたと思うのだが。確か『聖女様が、もう一人』と。どういうことかな?」
「え、ええ、それは……」
しどろもどろになりながら、聖職者が応じる。
「その、召喚したのは一人だけでした。それが二人いらっしゃって――」
「え、じゃあ、聖女が二人……?」
紬の言葉に、聖職者がうなずいた。
「はい。こちらとしては多いほうがありがたいのですが」
「本当に二人ともなのだろうか」
白衣の女性がそう言った。
「召喚されたのは二人。聖女は一人かもしれない」
「え……てことは、一人は偽物?」
(呼び出された上に偽物だったなんて最悪なんだけど!?)
紬の言葉に白衣の女性がうなずく。
「そうなるな。調べる方法はないのかい?」
「あります。聖女様の力に反応する水晶玉があります」
「そうか、ならば、それで検査を……しよう……」
白衣の女の語尾が怪しくなり、急にぐらぐらと体が揺れた。紬が慌てて体を支える。
「だ、大丈夫ですか!?」
「ありがとう」
そう言ってから、白衣の女がこう続ける。
「すまないが、3日ほど徹夜していて眠気が限界なんだ。少し寝させてもらえな――ぐー」
そんなことを言いつつ、白衣の女は眠ってしまった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その後、紬は白衣の女性とともに別室に案内された。
家具の質感こそは現代日本のものには届かないが、高級ホテルのように整えられた部屋だった。
白衣の女性はそのまま、ベッドで眠っている。本当に疲れていたのであろう、寝息すら立てず、まるで死んでいるかのように眠っている。
彼女が目覚めるまでは状況は動かないのだろう。
窓から外を眺めると、そう遠くない場所に大きな街があった。どうやら、この建物は街の外にあるらしい。そして、西洋風の城が街の中央にあるのが見える。
城、聖職者、魔法陣、聖女……。
次々と出てくるファンタジーな道具立て。おまけに聖職者は『異世界から呼び出した』と言っていた。
彼らの異世界がこちらの世界なら、こちらから見ればここも異世界。
(きちゃったわけか……異世界)
その推測に自信はあったが、いまいち現実感がない。なぜなら、それは――
「私ってば、ただの保育士なんだけどなあ……」
自分が平凡だからだ。普通の自分が、今の特殊な状況には似つかわしくない。
カバンから取り出したスマホを眺める。今は100%充電だが、当然ネットは圏外。
(電子書籍、ダウンロードしておいてよかったな)
暇つぶしに紬は本を読み始めた。充電はできそうもないので、バッテリーが切れると読めなくなると思うと少し悲しい気持ちだ。
そうして、数時間が過ぎた頃、
「……おはよう」
目を覚ました白衣の女性が身を起こす。厳密には、白衣は壁にかけてあるので今は白衣を着ていないのだけど。
「おはようございます!」
「なかなか元気な声だね」
「それだけが取り柄なんですよね、へへへ」
「それはよかった。ところで、妙なことに巻き込まれたもの同士、自己紹介しないかい? 私の名前は葛城
「天野紬です。保育士をしています……うん?」
そのとき、目の前にいる女性が名乗った名前に記憶があった。ネットのニュースサイトで何度か見たことがある。
「あれ? 同姓同名に有名な人いませんでした?」
「おそらく、その葛城怜と私は同一人物だと思うよ」
「えええええええ!? あの、超有名な天才科学者の!?」
中学、高校、大学をそれぞれ2年で卒業後、修士課程には進まず、とても有名な研究所に就職した23歳の才女だ。複雑な名前の論文をたびたび発表したり、業界では有名な賞を取ったとよくニュースに出ている。
(どうりで、さっきの堂々とした態度も納得だ!)
「すごく頼もしいです!」
「頼まれてもらってもいいよ。ただ、まあ、今回の件で役に立つ保証はないけどね」
「そんなことないですよ!」
「何かに優秀な人間は、存外に何かが欠けているものなのだよ」
その言葉の終わりに、怜の腹から、ぐー、と音がした。ぐったりと怜が頭を垂れる。
「不眠どころか、あまり食事も取っていなかったからなあ……食事が欲しいと言ったら作ってくれるかな……?」
「あ、私、頼んできます!」
と立ち上がりかけたが、その前にトートバッグを漁った。
「その前に。これ、よかったら!」
差し出したのはスナック菓子だった。
「君に、いいね、をあげよう」
怜は心底から嬉しそうに言うと、遠慮なくスナック菓子を受け取った。本当に腹が空いているのだろう。バリバリと勢いよく食べている。
部屋の前で待っているメイドに話をしてから戻ると、すでにスナック菓子は空っぽになっていた。
「ああ、生き返った」
そこで、怜はハッとした表情になった。
「すまない。腹が減っていたので気がつかなかったが、ひょっとしてシェアする必要があったかね?」
「あ、いえ、大丈夫ですよ」
「そうか、ありがとう。それでもまず確認するべきだった。どうにも気遣いが苦手でね。なるべく不快感を与えないように頑張っているのだけど……」
紬は怜が召喚されてきた時を思い出す。怜は身だしなみの乱れを謝っていた。それもその一環なのだろう。
「食べ方も、もう少し抑えたほうがよかったな」
「あははは、気にしないでください。私も周りなんて気にせずバリバリ食べるタイプですから」
「ありがとう、君は気遣いの人でフットワークが軽いね」
「そうですか?」
「私に菓子を渡して、すぐメイドに話をしにいく。簡単なことだけど、他人のためにテキパキ動ける人は少ないよ」
(普通にしたことなんだけどなあ……)
と紬は思いつつも、有名人に褒められて少しばかり気分が良くなった。照れながら返事をする。
「仕事柄なんでしょうね。保育士なんで、子供の相手に大忙しの日々ですから。子供は常に『待ったなし』です」
「子供か……私には縁のない生き物だが、きっと物理法則やプログラムよりも複雑な存在なのだろうね」
「そうですね。世界で一番、理不尽で不合理かもしれません。でもね、むっちゃかわいいんです!」
「物理法則やプログラムだってかわいいんだぞ?」
しばらくすると、メイドたちがやってきて軽食を届けてくれた。食べた食器を下げると、すぐに聖職者が姿を見せる。
「もう大丈夫ですか? それでは聖女判定の儀を執り行いましょう」
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