第13話 はじめてのちゅう

「わ、わ、わたしにキスしてください!」


 みもりの懸命なお願いに、亜土の思考がフリーズする。まるで絵画の中に閉じこめられたかのように、彼の世界が停止した。

 しばらく意味もなく手をぐーぱーしたあと、理性がぶわっと湧きあがってくる。


「キ、キスは大事な人とするべきだぞ‼」


 もっと他に聞くべきことがあるのだろうが、北条みもり(11歳)の爆弾発言に、普通の返しになってしまう。


「今がそのときなんです!」

「ま、待ってくれ! そのとき⁉⁉⁉」

「は、はい! キスに慣れてる亜土先生にとって、わたしなんて、きょ、興味の対象外だと思われますが!」


 みもりは無意識に探りをいれた。


「慣れてない慣れてない! キスしたことないって! なんだって、オレとキス――」


 そこまで言って、亜土はようやく気づいた。


 ユニークスキル『秘密指導シークレット・コーチ』。

 魔力付与による身体・魔力強化。記憶や経験を伝えることができる、強化能力バッファースキルだ。


 発動条件は、唾液などによる体液接触。ようはキス、とかだ。

 みもりの狙いがわかって、亜土は真顔になる。


「みもりは、ケルベロスと真っ向から戦うつもりなのか? スキルは使えないよ」

「亜土先生のスキルは、知識を伝えることができるんですよね⁉ 先生の技なら勝てます!」


 まっすぐすぎる瞳に、亜土は圧された。


「そ、そんな簡単に勝てる相手じゃ……」

「いいえ、勝てます! だって、亜土先生の技は最強ですから!」

「……みもりは、どうしてそこまでオレのことを」


 みもりは、最初から自分をよく知っているようだった。

 しかし亜土は少女のことを知らない。マキドのように高等部をチェックしていたとしても、公式試合で闘った数は片手で数えられるほどだ。

 どうしてこんなにも慕ってくれるのか、少女の真意が気になった。


「ずっと、見ていましたから」


 みもりは頬を染めながら、大切な思い出に浸るように微笑む。


「オレを?」

「はい、亜土先生が勇者部の難関試験を突破して、部員に認められるようになって……それから、魔力を失ってからもずっとです」

「……ごめん。オレ、みもりを知らない」

「練習風景をこっそりと見ていましたから。知らないのは当たり前です」


 みもりはちょっと申し訳なさそうに言った。


「わたしにとって亜土先生は、目標なんです」

「でもオレは魔力を失って……」

「魔力を失ってもです」


 みもりのゆるぎない言葉が、亜土にとある予感を抱かせる。


 もし、みもりの絶大な魔力に自分の技が合わされば、プロ冒険者でも苦戦する魔犬ケルベロスに打ち克ちのではないのか。


 しかし少女を危険に晒すわけにはいかないと、慌てて首をふる。

 そんな亜土に、マキドが壁向こうのモンスターを見据えながら言った。


「みもりは魔力を普段から抑えていますので、高坂さんが思っているよりずっと魔力量が高いですよ」

「そうなのか?」

「ええ、別にあの犬と真正面からやり合うってわけじゃないんですから、戦力が増強されるにこしたことはありません。や、やるなら早くやってください! その、キスとか……」


 マキドは最後小声になって、背を向けた。

 そんなマキドのうぶな反応に、リリカナは横になりながらクスクスと笑う。


「それじゃあ、リリカナちゃんは目をつむってるねー?」

「リ、リリカナ……」

「もっとムードを作ってー、二人だけの世界を作ってあげたいけどぅー? これが今のリリカナちゃんの精一杯。ごめんね❤」


 リリカナは可愛らしく舌をべーとだしてから、目をつむった。


 もう、これは、キスをしなければいけない雰囲気。

 実際問題として助かる手段だ。しかし戦力が増強できるとはいえ、やはり社会が、倫理が、相手小学生だし、と亜土は考えこんでしまう。


 そう躊躇っていた亜土の前で、みもりはぺたんと女の子座りになる。


「お、お願いしましゅ!」


 顔真っ赤で言葉を噛んだみもりに、亜土は迂闊にも心がぐらりと揺さぶられた。

 みもりが可愛い子なのは重々承知だが、いつもよりずっと可愛く見えてしまう。


「……あ、ああ、お、お願いするよ!」

「は、はい! わたしのはじめてをお願いします!」

「あ、ああ……!」

「えへ、えへ」


 はじめて同士でお互いに意識してしまい、二人とも緊張したように笑顔のまま固まる。

 ガコンガコンッと、ケルベロスが壁を壊してどんどん迫りくるのが、二人の緊張感をさらに煽った。


(……腹をくくれ! オレ!)


 亜土がそう覚悟を決めると、察したみもりが静かに目を閉じる。

 わずかに首をかたむけて、男のキスを待っている少女に、亜土はゆっくりと顔を近づけていく。


 そっと、宝物に触れるように亜土はみもりと唇を重ねる。

 甘い匂いが鼻腔をくすぐり、みもりの濡れた唇をついばむ。小学生女児の柔らかい唇がもぞもと動いて、唇の隙間から熱い吐息が漏れた。


「あふ……ん……ちゅ……」


 脳内で火花が散ったかのように、全身が痺れた。


「……せんせー……」


 みもりの甘ったるい声に、亜土の身体が熱くなる。

 というか頭がカッカッしてきて、のぼせあがったようだ。


 そういえばスキルを使えば、興奮状態になると聞いた。

 みもりもむずかゆそうに、身体をモジモジしはじめている。


 マズイ。早くスキルを発動しなければマズイ。

 このままではケルベロスから逃げのびても、自分は社会的な死を迎えてしまう。

 いやそもそもどうやって強化付与と知識を伝えればいいんだと、いまさら思ったときだ。


 亜土の脳裏に、自分の知らない映像が流れはじめた――

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