第33話 旧友


 田村さんが髪を切ってきた。もうじき夏休みというタイミングで。


「どうかしら。1300円のブラーシュというクソ安い床屋よ。値札とかついてないかしら。恥ずかしいわ」


 揃えた前髪が懐かしい。


「いいよ。おかしくないし、高校生に戻ったみたいだよ」


「そう。では久しぶりに屋上でコーラを――」


「ぶちまけなくていいから」


 日曜日。田村さんが業務用スーパーへ行くというのでつき合っている。僕も二年ぶりに自転車を引きずり出した。サビサビだ。


 曇り空の下、汗もかかずにスーパーへ到着すると、駐車場はひしめき合っている。その中に立ち往生している軽の若葉マークが見えた。警備員が走ってきて何度も誘導している。優しい世界だ。仕事なのだろうけれど。


 僕らは比較的空いている駐輪場へ自転車を置く。と、背後から声がする。


「竜崎、久しぶりだな――」


「羽白――お前も買い物か」


 四か月ぶりに見る高校のクラスメイトは雰囲気も変わり、買い物前に日陰のベンチへ座った。


「私、飲み物を買ってくるわ」


 率先して販売機へ向かったのは田村さんだ。


「田村敦子。ホントにつき合ってたんだな」


 羽白は意味ありげに言う。


「マンションが近いんだ。よく顔を見るから」


「隠すなよ。同じ大学通ってるんだろ。お前のために」


「だから――」


「あの異常行動以外は優秀だったからなあ。もったいない」


「……」



 先の続かない僕の元へ田村さんが戻ってくる。


「缶ジュースを三本持つのは初めてのことよ。手が冷たいから、この謎のメーカーのスミヤキコーヒーというのを早く取ってちょうだい」


 差し出された手からコーヒーを二本受け取り、一本を羽白へ渡す。彼女は細い缶のコーラを買っていた。


「サンキュ、田村さん」


「そういうあなたは――名前は忘れたわ。なので若葉君で」


 羽白が妙な顔をしたあと、


「ああ、見てたんだ。まだバックの駐車に慣れなくて」


 照れるように頭をかいた。


「やっぱり、車あると便利?」


 僕が訊ねる。


「そうだな。休日の幅が広がる。もうすぐ夏休みだろ。合宿免許とかあるからお前も取ってみろよ」


 車か。考えたこともなかった。


 田村さんが呟く。


「私――取ろうかしら」


 僕は不思議な風味の缶コーヒーを飲みつつ、


「お金、かかるよ」


「いいの。牛乳配達も再開して、赤たぬきはフルで入るわ。もう二十歳だし、ローンという手も」


 あまりお勧めでない決意に、


「二人でドライブとか楽しいだろうな。ま、俺は一人もんだけど」


 羽白が焚きつける。それから、


「じゃあ、俺は実家の買い物すませてくるから。二人は仲よくスーパーデートしてくれ」


 にこやかに去っていった。




「田村さん、ホントに免許取るの?」


「ええ。夏休み初日には教習所へゴーするわ。何か燃えてきた感じ」


 幾ばくかの不安を残し、スーパーへと向かった。


 業務用スーパーでは主に冷食を狙う。二キロ九百八十円の鶏ムネ肉。ハンバーグ。ブロッコリー。アスパラ。里芋。東横さんがお弁当の材料に困らないよう、吟味して回る。僕もついでにいくつか生鮮を物色する。


「羽白君って――」


 彼女が言う。


「覚えてたんなら言いなよ、失礼でしょ」


「今、思い出したの。彼、仲良かったでしょ」


「まあ、そこそこに」


 高校時代はそれほどの友人もいなかった。彼がいなければ僕も田村さんと同じ位置に立っていたかもしれない。


「私みたいなのがそばにいて、竜崎君が可哀そうに思ったかしら」


「そんなヤツじゃないよ。それに自分のこと、そういうふうに言わない」


 彼女はカートを止め、


「私は普通じゃないもの。それは自分で認めている。友達、いないの」


 そしてふりかけを四種手に取って迷っていた。


「でも今は東横さんや渡君や明日香もいるじゃないか。皆、友達だよ」


「向こうは、そう思っているかしら」


「ヘンなこと気にしないで、早く買い物すまそうよ」


「ええ――」




 マンションに帰ると戦利品を手にそれぞれの部屋へ戻った。のち、僕は彼女の部屋へ出向く。大きな冷凍パックから食材を小分けにしてあげるためだ。そういう作業は、彼女は苦手としている。


 部屋の鍵を開けてまず違和感があった。煙草の匂いだ。


 まさかと思い廊下を進むと、ソファーで父が足を組んでいた。


「勝手に――」


 言いかけた僕に、


「勝手じゃないさ。今のところ初子の遺産は分割されていない。お前の取り分もあるが、それは法定代理人として弁護士に委ねてある。ただし今はもう法も変わって成人扱いだ。

「どう分けるかを考えてもいい頃だろう」


「だからって――」


「こうでもしないとお前は話したがらないだろう。これは相談だ。このマンションを引き払ってもっと小さなアパートにでも住めば、お前の学費にも困らない。考えろ。このマンションはローンもまだ残ってるんだぞ。今売れば一千万円にはなる」



 結局は金の話だった。父にとってはもう、この部屋に未練はないのだろう。むしろ、忘れ去ってしまいたい遺物なのだ。


「母さんの御祖父ちゃんたちと相談するよ。だから今は待って。僕だって大学に入ったばかりでバタバタしたくない」


 父は最後に、


「初子はもう死んだんだ。お前も現実を見ろ」


 僕にとってはこの上なくむごい言葉を残して帰っていった。

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