第3話 糸
今日はカーテンに映るチラチラがない。それによって僕は外が晴れていないことを知る。
その代わり、電話は鳴る。
「おはよう。毎日こういう感じで起こしてくれると助かるよ」
『その件なんだけど。この距離ならイケそうなアイデアがあるの』
朝からろくでもない予感だ。
「なに?」
『糸電話が引ける距離だと思わない。しかも二本引いて受話口と送話口を作るの。本格的よ。用事がある時はまず電話をかけて『ただいまより糸電話の交信を開始します』と言うのよ』
結局、電話頼りじゃないか。やっぱり、ろくでもなかった。
「それより、今日はコーヒーどうするの」
『いえ、それはいいの。もう、ドラム部の朝練に行くのよ』
「え? 入ったの?」
『まだ練習生よ。そのうち四十七名の仲間に入ることを夢見ているわ』
どこの討ち入り浪士だろう。
「じゃあ頑張って。二限目から学校出るから」
部活に精を出すなんて田村さんのキャラじゃないと思いつつ、自分はサークルひとつ入っていないことに思い至る。長い学生生活を、家と学校の往復で終わるというのか。
とはいえ元々がインドア派の僕に合うサークルなどあっただろうか。やはり最初に連れていかれた、山に登る手前であきらめてキャンプを張るという『途山サークル』がお似合いか。身体はあまり動かさなくてよさそうだ。
トーストを焼く間にコーヒーを一人分淹れて、テレビをつける。今朝もメジャーリーグに行った日本人選手の活躍が伝えられる。四打席中に一本打てば万々歳の世界というのがよく分からない。四教科中すべて落とせない大学生の方がキツイと思うのだが。
カリッと焼けたトーストにピーナツバターを塗って、あちこち動きながら齧って回る。母には厳しく叱られていた、だらしないその癖。今でもどこかで叱られたくて続けている癖。あの声でもう一度、叱られたい。
バスを降りて校舎へ向かうと、背中を叩かれた。かなり強く。
「アンタ、あの子と一緒じゃないのね」
二郷木明日香。今日は赤いワンピース。機嫌は悪そうだ。血圧でも低いのか。
「いつも一緒って訳じゃないから――。渡君は?」
「私のことはどうでもいいのよ。で、アンタ、サークル決まった?」
「いや――ひとつ気になるとこはあるけど。先輩がいい感じだったんで」
すると彼女は目を半開きにして、
「ウチのサークル来なさいよ。『映像研究会』。せっかく情報大学のメディア科に入ったんですもん。卒業までにアタシ主演の映画でも作りたいわ。アンタはそうね、セバスチャン役で使ってあげるわ。だから入りなさい、映研。アタシが今日、案内するわ。じゃあ二時限、第一教室ね。あとで」
朝の嵐のように彼女は校舎へ向かった。僕はカバンを担ぎ直してあとを追う。
「あら、おはよう」
一時限目の終わりに田村さんに会った。
「田村さん、おはよう。その、軽音部の方はどう」
「ええ。私が叩くと先輩たちの誰もが黙り込んで固唾を飲むのよ。もしかしたら私、ものすごいドラムプレイヤーになれるかも知れないわ」
「へえ、そうなんだ。学祭とか楽しみだね」
「ええ。大学生にジョブチェンジした私は、謎の占い師からスーパードラムニストに生まれ変わるのよ。その時はチケット買ってね。十枚。友達連れて」
「十枚はちょっと――」
「いえ。竜崎君はこれから各合コンサークルを回って、友人を増やしては学生生活を謳歌するんですもの。それくらい、屁でもないはずよ。ところで私、今から暇なの」
一時限目なんて取るから――。
「でもいいの。今から部室に行って個人練習をするわ。今はただスティックの感覚を指に馴染ませているの。だから後の話はまた学食でカレーを食べながら。それじゃ」
言うと、彼女は旧校舎の方へ向かって歩いていった。
一つ席を空けた二郷木さんと黒板を見ながら二時限目は過ぎてゆく。時期が時期だけに、まだ生徒を指名して発言されることはない。と思っていると、
「えっとねー。これ、後ろから二段目の君、分かるとこまで答えてみて」
いきなり無理ゲーが与えられた。
「あ、はい。これは、その――」
ただテキストを開いていただけの僕はそこで固まる。
「主題の動機づけ――」
二郷木さんがぼそりと呟く。
「あの、全体を通した主題に、どうやって動機づけをするところからがスタートだと思います。各々の――登場人物の役割をはっきりと位置付けて、振る舞いを決めるのが大事かと――」
冷や汗をかきながら答えると、教師は満足そうに頷いた。
「結構。よく勘違いされるのがストーリー展開に気を取られて小さなものを見落とすことですが、いわゆるキャラ立てができていればそこを上手く埋めてゆけると」
これで借りができた。今度はシャーペンの芯くらいでは追いつかない。と思っていると、
「アンタ、今日のレディースランチおごりね」
授業の終わりと共にそう決まった。こちらは三百五十円のカレーが決まりだ。
「やあ真二君。メディア科の方は調子はどうですか」
二郷木のお陰でなんとかなった、と言いたかったが、
「コイツ、全然ダメ。教科書と黒板しか見てないんだもん」
彼女が首を横にフルフルと振った。
遅れて田村さんが廊下の向こうからやって来る。
「勢揃いね。私の友達」
田村さんがこの面子をどう見ているのかは分からない。
――レディースランチ六百五十円
――カレー三百五十円
――カレー三百五十円
――かけうどん二百円
「ほんっと、アンタたちって何も考えてないわね」
かけうどんをスルーされて責められた。僕の場合はレディースランチのせいだ。
食事が終わり、まず口を開いたのは渡君だった。
「実は明日香とも言ってたんですけど、四人で集まってお話でもしないかって」
「ちょっと清治、アタシそんなこと言ってないわよ」
「いえいえ。言いましたよ。学内で仲のいい人ができたら飲み会でもやってみたいと」
「それは、仲のいい人間ができたらの話」
二郷木さんが黙り込むと、カレー皿に地上絵を描いていた田村さんが不意に口を開いた。
「いい場所を知っているわ。四人集まるのなら最適の場所を」
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