ウラミゾン

ナカムラマイ

睡眠時間は10時間ください

 ああ、恨めしい。

「起きてください」

 きっとこの声の主もまた何かを恨み、誰かに恨まれているのだろう。

「起きてください。所長」

 まあ、つまるところ私が何を言いたいのかというと。

「私はあと五分だけ寝ようと思うので、五分後にまた会おう」

 朝日と目覚まし時計が恨めしい。ただそれだけのことである。

「そう言い始めてから、かれこれもう三十分経ったんですけど、所長の五分は随分と長いんですね」

「そうだな。私の五分は三十分ほどある」

「わけわかんないですよ!いいからさっさと起きてください!」

 あ、布団取られた。

「いいかいモア君。もし私が今この瞬間に起きられるならな──三十分前、とっくにもう起きとるわ!」

 私の渾身の叫びを聞いた彼女の視線はまさしく絶対零度であった。部屋の温度が急激に下がったと錯覚するほどの視線である。

 拝啓、の候となりましたが、この部屋にはまだまだ冬のが残っております。いや、残冬と言うには少し時期が遅すぎるかもしれない。今は春のど真ん中もいいところだ。などと考えていると、彼女の視線はより一層冷ややかなものになっていた。

 これは早急に布団を掛け直さなければ凍えてしまう。私はおもむろに、足元で本来の責務を放棄している掛け布団へと手を伸ばした。

「どうしてさらに寝る動きをしてるんですか!」

「それは君の視線が冷たいからだ。寒いと人は眠くなるのだよ。覚えておきたまえ」

 よし。完璧な言い分だ。あまりに完璧すぎて彼女も唖然としているではないか。呆れている様に見えなくもないが、きっと驚いているのだろう。そうに違いない。

 無事、三度寝の権利を勝ち取った……いや、ぎ取った私を横目に、彼女は何やら手に持っているものを見つめ口を開いた。

「……そういえば政府から封筒が届いてました。今月中に依頼を何か一つでも解決しないならば、国からの支援を停止するそうです」

 遅刻したと気づいた瞬間に、はっきりと目が覚めるのと同様に、私は驚きと焦りが原因で気づけば眠気と離別していた。グッバイ布団。また逢う日まで。

「念のため本日の日付を聞いても?」

「29日ですね」

 残念なことに4月は30日までしかない。とどのつまり月末までは──

「あと二日しかないな」

「正確には一日と十四時間ですね」

 どうやら二日もないらしい。というか私は十時まで寝ていたのか……。我ながら惰眠を貪る才能に溢れていて悲しい限りである。確か昨夜は零時には寝ていたはずなので、九時間半の熟睡をした上で三十分の浅眠を送ったということだ。恐らくだが、これも一種の才能なのではなかろうか。いや才能に違いない!

 などという自身の睡眠に関する実力について無駄な考察をしつつ、私は疑問を声に出した。

「そもそもなんでそんな内容の書類が月末に届いたんだ?」

「それは政府が、国から出てるこの事務所への支援を早くやめたいからじゃないですかね。ギリギリに通告することで対策を講じさせないようにしたとか?私たち、大金を貰っている割には滅多に仕事してませんし。というか、する仕事が来ないだけなんですけどね。書類には、皮肉とともに文句っぽいことも色々書いてありましたよ。それはもう本当に色々と」

 私の恨みの矛先は、朝日──午前十時の日差しを朝日と呼びのは知らないが──と目覚まし時計から秘書のモアが手に持つ封筒へとチェンジした。より正確に言うと、前者への恨みより後者への恨みが上回ったがためのチェンジだ。そのため決して、朝日と目覚まし時計を許したわけではない。恨みとはそう簡単になくならないのである。

 恨みをなくすには、恨みを晴らす以外に手はないのだ。

「それじゃあこの恨みを晴らすために久しぶりの仕事といこうじゃないか!」

 私は自分の体への活動開始の合図とするために声を張った。

「……まずは布団から出てもらっていいですか」

 至極真っ当で最もな意見である。まったく。

 ──恨みを晴らすのも楽じゃない。


    §

 

「とは言ったものの、そもそも依頼が無ければ解決の仕様もないんだけど。うちの秘書は、その辺どのようにお考えで?」

 一通りの身支度を終えた私は社長席とは名ばかりのただのデスクチェアへと腰を掛けながらモアへ尋ねた。

「依頼ならありますよ」

「はえ?」

 想定外の答えについつい素っ頓狂な声が出てしまった。しかし、先ほどまであれほど怠惰な姿をき出しにしていたのだ。ただの言い間違えごときで狼狽える私ではない。ちなみに当然だが、虫のハエを呼んだわけではないということも補足しておこう。

「ハエ?ハエなんて飛んでませんけど?もしかして、まだ寝ぼけてるんですか?」

 素直な彼女は、それゆえに言葉をそのまま受け取ってしまったらしい。あるいは三十分間も布団で粘った私への当てつけか。

 真相は闇の中……。

 だと思われたがニヤニヤを我慢できていない彼女の顔が真実を語っていた。やはり真実はいつも一つ。

 まあこれくらいは寝坊の罰として受け入れようじゃないか。私だって悪いとは思っているのだ。思っているだけではあるが。

「それで、その救世主の様に舞い降りた依頼というのは一体どんな依頼なのかね?できれば二日で……正確には三十七時間で解決できるものであれば文句無しなんだが」

 さらに欲を言えば楽な依頼が好ましいが、そこまで言ってしまうと秘書から更なる顰蹙ひんしゅくを買ってしまうため、言葉を飲み込んだ。

「早ければ今日中に終わると思いますよ」

「それを早くいいたまえ。よし早速、依頼内容を聞かせてくれるかな?優秀な秘書君」

「所長は相変わらずわかりやすい人ですね」

「わかりにくいよりは……ってやつだよ。さ、依頼は一体何なんだい?」

「はあ……どうやら友人がとある占い師を妄信しており、健康にまで害を及ぼしているので何とかしてほしいと。ちなみに依頼主は光里ひかり高校の生徒です」

 モアは依頼書を手に、その内容を解りやすく噛み砕いて説明してくれた。

「占いか……。占いなら健康より金銭的な被害が出そうなものだが……もしかして、ただの占い師じゃなかったりする?後ろに面倒な組織があるとか嫌だよ?最近、物騒なニュースも多いし……」

 普通の被害なら、法外な値段で物を買わされているやら、金銭を貢いでいるやらになりそうなものだが……。

「何言ってるんですか。それを調査するための事務所でしょ?むしろ、その調査が一番の仕事ですよ」

 最近、秘書が正論しか言ってこない件について。いつからこんなに真面目になってしまったのか?

 ──嬉し悲しいことに最初からだ。

「ふむ。その占い師の名前や居場所はわかるか?どこか決まった場所でやってるとか、店を開いてるとか……」

「いえ。依頼書の方にはわからない、と。私の方でも少し調べてみたんですが同じですね」

「それじゃあ、まずはその盲信しているという敬虔けいけんな友達の方を調べるか」

 もしも複雑な事情ならば、面倒くさいことこの上ないが、ただの行き過ぎた占い師ならばすぐに解決できるだろう。これで国からのできそうだ。

「所長──顔がにやけてます」

 やはり私はわかりやすい人間だな。

「そういえば依頼者の名前を聞いてなかったな。私としたことが支援停止のことで頭が一杯になっていたようだ」

「依頼主の名前は瀬野一せのはじめさんです。ちなみに占いで被害を受けているご友人は美濃みのさんとおっしゃるそうですよ」

 瀬野に美濃か。

「なに深刻そうな顔してるんですか?もしかして名前に心当たりでも?」

「いや、お笑いコンビを組んだらコンビ名はだなと思って」

「しょおちょお?」

 顔は笑っているのに、額に青筋が立っている。私の経験から予測するに、恐らくここから説教に入るのだろう。よくあることだから問題はない。ちなみにこれを人に言うと、大抵はその考え方こそ問題だと言うが、私はそれすらよくあることだから問題はないと言う。ちなみにここから先は無限ループなので省略させてもらおう。

「どれだけくだらないこと考えてるんですか!」

「私はそこまで悪いコンビ名じゃないと思うけどな」

「そういう意味でくだらないって言ったんじゃないです!コンビ名とか想像していること自体がおかしいと言ってるんですよ!」

 ところで大の大人が、年下の大人に怒られるという事象はどのくらいの頻度で起こるのだろうか。

「そもそも所長はいつも──」

 しかも年齢だけでなく、立場上でも上の者が下の者に怒られるとなると、さらにレアリティは上がりそうだ。もしもがあったなら希少価値がある物として値が張るんじゃなかろうか。しかし需要はあまりなさそうだ。コアな消費者をターゲットにする必要があるかもしれないな。そもそもってなんだ……。自分の想像があまりに荒唐無稽すぎて呆れてきたので、さっさとモアを止める作業に入ろうか。

「──だから所長はダメなんですよ」

 なぜ私がダメなのか、いささか気になるところだが聞き返すとまた時間を取られそうなので遠慮しておこう。ちなみに自省すると候補は数多に出てくるが、その話はまたいつか別の機会に取っておく。恐らくその機会は来ないと思うが。

「私がダメなのは否定しないから、そろそろ出発しないか?タイムアップが刻一刻と迫ってるぞ」

「……それもそうですね。それじゃあ、まずは高校ですか?」

「今日は金曜日だからな……。今、高校に行っても授業中だろ。たしか光里高校なら近くにショッピングモールがあったはずだから、そこでサボってる生徒にでも話を聞いてみるか」

「そんな生徒いますかね?そこそこ優秀なことで有名ですよ。光里高校は」

「優秀ゆえにってやつさ。優秀な私が言うんだから間違いない」

「それじゃあ所長はズル休みしてたんですね……。想像はまあ、付きますけど」

「いや、私はズル休みなんてしたことはないぞ。──なぜなら、ちゃんと『授業が嫌なので行きません!』と教師に伝えていたからな!」

 あれはきっと正当で真っ当な休みであっただろう。

「所長が生徒とか、考えただけでも頭が痛くなってきますね」

「確かに一人を除いて、みな頭を抱えていたな」

「一人を除いてですか?って、あー!」

「ん?どうした?」

 私のことをもの言いたげな目で見ていたモアが突然、奇声を上げた。

 顔はまさしく鳩が豆鉄砲を食ったようで、彼女はあんぐりと開いた口から常識的なことを垂れ流した。

「……忘れてたけど、今ってゴールデンウィークなんで高校休みなんじゃ……」

「ふむ……それもそうか。休みなのは実にいいことだが……」

 ということはつまり高校に行っても、もぬけの殻か。危うく無駄足になるところだった。優秀な秘書に感謝せねば。

 まあ別にわざわざ高校に行かなくても依頼者に連絡して、直接その友人とやらに会わせてもらえばいいので問題はない。とすれば彼女はなぜあそこまで驚愕していたのだろうか。

「依頼書を取ってもらっていいかね?」

「もしかして瀬野さんに連絡取るつもりですか?私も考えましたけど、この事務所を怪しんだのか、住所はおろか電話番号すら書いてませんでした」

 最近の子はプライバシー意識が高いようでなによりだ。こと、今回の場合においては、実に失っていて欲しい意識であったが。

「ダメ元で聞くが、なにか高校と名前以外で情報は?」

「あったらもう言ってます」

「……よし。ちょっとハローワーク行ってくる」

「流石にそれは気が早すぎますよ!もっと手を尽くしてからでも──」

 と、そこで彼女の話を遮ったのは、滅多に鳴ることのない事務所のチャイムであった。どれくらい鳴ることがないかと言うと、私もモアもそのチャイムの音を忘れてしまうほどである。結果として二人して聞き覚えのない音にフリーズしてしまう始末だ。

「……すみませーん。依頼書を送った瀬野ですけど、誰かいらっしゃいますか?」

 堪忍しかねた扉の向こうの来訪者が声を上げ、そこでようやく私たちは我に帰った。

「は、はいっ!少々お待ちを!」

「どうやら天が味方してくれたようだ」

 依頼主の出迎えをしている秘書を横目に、私はパーテーションで区切られた来客用スペースへと歩みを進めた。

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