第3話 ミユの目
懐かしい匂いがする。
夕立を浴びた森が、酸素を出している匂いだ。
木。木。木。
どこまでもどこまでも、木が立ち並んでいた。私は一人ではぐれてしまったらしかった。
みんなの話を聞きながら歩いてる時は、あんなに短く感じたのに、一人で歩くと長い。
そして怖い。
人の気配のまるでない空間が。
夕暮れ時にまったく明かりがない道を、闇が追ってくる瞬間が。
怖く、そしてなぜか居心地がよかった。
私は歩いていた。
秘密基地目指して。
こんなに森の奥深くまでは、大人は入ろうとしない。
仕事や家の事で忙しいからだ。
そして、そんなところに面白いものなんてないと思っている。
だから私たちは好きなことができた。
彼は少し大人びていて、都会から来た転校生だった。
彼も仲間に入れようと言ったのは、誰だったっけ。1番最後に友達になったのに、いつも私たちの知らない都会の事について教えてくれた。
アニメの事、漫画の事、大人の生活の事、恋愛の事、中学生の生活の事。
一番線が細かったのに、負けず嫌いなところがあったから、勇者ごっこも誰にも負けようとしなかった。
いけない。
思い出しては駄目。
「ミユ、こんなところにいたー」フミアキだ。あの時の姿をしている。
小動物の様な見た目をして私の手を引っ張る。
いってはいけない。
「おせーんだよ。とっととこいよ」ノブヒトだ。いけない。
これはあの時だ。
「ほら、ミユ、そこにいるよ」
コウイチが指差した。
そこには。
彼が。
空が。
ぶるっと震えて目を覚ました。
起きてからも心臓の動悸の音が止まらず、今自分がいくつなのか、夢か現実かわからなくなっていた。
私はシャワーを浴びた後で、長時間移動して疲れた事もあって眠ってしまっていたらしかった。一階に降り、水道の水を飲む。
東京の水道水よりも美味しい気がした。
テーブルの上に書き置きがあった。
「海に遊びに行ってるよ〜^ ^」
字体からしてカオルかフミアキだろう。
冷蔵庫から取り出したスポーツドリンクを飲みつつ外へ出た。
海といってもどこのことだか分からない。
なんせ別荘の横は海が延々と続いているのだ。
やむなく歩いていると、ようやく人影が見えて来た。
コウイチだ。
「よ、起きた?」
「うん」
「フミアキとノブヒトは釣りしてるよ。晩御飯を釣ってくるっていってた。沖に出ないといいのは釣れないんだけどね」
聞いてもいないのに話し出した。
彼は昔からこんな感じだった。
自分といると、普段よりも口数が多くなっている気がする。
「僕はこうしてぶらぶらしてた。まいったよ。なんもなくてさ」
「何もないからいいんじゃないかしら」
「気取ったこと言うね」
「昔もそうだったでしょ?」
コウイチの顔が、困った様な、懐かしい様な、むっとしたような、複雑な顔になる。
「あれがあってさ」
また話を続ける。
「大変だったけど、でもそれでも懐かしいよ。子供の時は時間が限りなかったしさ。夏休みなんて遊んでればよかったんだもん。その代わり月末には宿題が山の様に積まれてたけどね」
私は黙る。
「今は休みとるのも中々大変だもん。アパレルの営業も大変でさ。土日もないもんな」
私は黙る。
「確かに、何もない時間もいいかもね。こんな風にしてると、昔に戻れた気分だよ」
「ユースケの事、どう思ってるの?」
私は言ってしまう。
言いたくないのに。
コウイチは、目を見開いている。
「罪悪感、ある?」
駄目だ。昔の事が、捨てられない。
私はユースケの事を、捨てられないんだ。
「…ぜんぶノブヒトが悪いんだよ。あいつは知ってたんだ。全部。」
「でも私たちは止めなかった」
「知らなかったんだ」
「そしてそれを隠した」
「黙ってくれ…」
「今も彼は、秘密基地に埋まってる。あのクローゼットの中に。あの中に!」
気がつくと、私はコウイチの胸の中にいた。
少し汗と潮風のにおいがしていた。
遠くからコウイチの声がしていたが、あまりよく聞こえなかった。
とりあえずもう少しこうしていようと考えた。
別荘に戻ると、カオルとフミアキがリビングにいた。どうやらトランプをしてるらしい。
「戻ってたんだ」
「フミアキがトランプしたいトランプしたいってうるさくってさ」
「だってー、最近オンラインとかソシャゲばっかだからさ、たまにはいいかなと思って」
「二人でババ抜き、3回目よ?」
「だって他のルール知らないんだもん」
他に容疑者がいないにもかかわらず、フミアキは自分はババなど持ってないとばかりにポーカーフェイスを続けていた。
「ノブヒトは?」ユースケが言う。
「なんか呼んでるって言って出ていったよー」
呼んでる?
「呼んでるって誰にだよ」ユースケが続ける。
「え。誰だろ。誰?」全員に問いかける。
皆、顔を見合わせる。
「分かんないや。いーじゃん、まだどっかで釣りしてんじゃないの?」
あいも変わらず呑気だ。こんな性格で社会人をよくやれているものだ。
「ったく…。マイペースな性格も変わんねーな。」
コウイチは壁の隅の方へむかい、辺りを見回す。
「お?あれ?」
「どうしたの」カオルが声をかける。
「みんな、ここで充電してた俺のスマホ知らない?」
「知らないよー」
「あれ?確かにここで充電したはずなんだけど」
「どっかに忘れて来たんじゃないの?」
「いや、それなら充電したってことは覚えてないだろ。ちょっとだれか鳴らしてくれよ」
私はスマホを持ってきていない。避暑地にまで喧騒を持ち込みたくなかった。
「じゃあ私行ってくるわ」
「えー!今いいとこなのに誰が相手するんだよ」
「俺がやってやる」カオルから手札を奪い、コウイチがソファへ座り込む。
3分ほど目の前で心理戦が繰り広げられていた。
それを見ている内に、カオルが2階から降りてきた。
「どーしたんだよ、遅かったじゃん」
「おかしい…。私のスマホもない」
皆、きょとんとする。
「おいおい、なんでそうなんだよ」
「知らないわよ、鞄の中に入れていた筈なのに」
「ったく…。おいフミアキ。スマホ出せ」
「えー、やだよめんどくさいよ。それにトランプはー?」
「あとで何回でもやってやるから」
「家の電話ないのー?」
「ばかお前、年に一回行くか行かないかの別荘に電話置くか?いいから早く持って来いよ」
「まったくもー」
フミアキは2階へ上がると、黄色の鞄を持ち込み、テーブルの上でひっくり返す。
なるほど鞄の中にはゲームやらDVDやら、おもちゃが山ほどでてきた。
「あれ?忘れてきたっけ」
確かに中にはスマホは見当たらない。
「ちょっとどう言う事?」
コウイチは忙しなくソファのあたりを漁り出す。
「さぁ…。仕方ない」
「仕方ないじゃすまされないでしょ!」
「今日の分の食糧はあるし、明日の朝になればバス停は来るよ」
「ノブヒトはどうなるのよ」
「腹が減ったら呼ばなくても来るさ。むしろうるさくなくてありがたいくらいだよ」
私もその意見には同感だ。
しかし疑問は残る。
なぜスマホが一斉になくなったのだろう?
そしてノブヒトは誰に呼ばれていたというのだろう?
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