第8話 皇帝ハインリヒ三世とルイーズ姫

 ハインツとリヒテンベルグ親子は、三階へと上がったあとで突き当たりを左に曲がる。そのまま宮殿を半周し、開けられたひときわ大きい扉を通り大きな部屋の中に入る。

 そこは、皇帝や近衛兵、他の周辺貴族やその子どもたちが合わせて七十五人ほど集まっている『謁見えっけんの間』だった。

「おお、ハインツ卿ではないか。そして、隣りにいるそなたも招待を受けて来たのであろう?」

 皇帝ハインリヒ三世はカールやハインツの姿を見ると、それに反応する。二人の貴族は大きくお辞儀をした後、謁見の間の内部へと入っていった。

 皇帝は三十代前半ほどの見た目であり、身長が一九〇センチほどある大柄な男だ。そばに皇后らしき姿はなく、代わりに周囲には彼と同程度かさらに大柄な近衛兵八人が彼を守るために周りを取り囲んでいた。

「では……。そろそろちんの頼みといこうと思うが、よいか?」

 ハインリヒ三世は玉座から立ち上がり、おほんと咳払いをする。


「朕の娘、ルイーズのことはすでに話に聞いているであろう。……ルイーズの乱暴さや粗暴そぼうさには朕のみならず、執事やメイド、教育係までもがその被害をこうむっておるほどである」

 ハインリヒは徐々に呆れた表情になっていき、娘のによる被害を受けた者への申し訳無さなども表情に出ていた。

「そして、ルイーズが小学校に入ると他の子供も被害を受けるようになった。……特に、ハインツ卿の息子に対する扱いはひどいと言う他ないのだ」

 ハインリヒはハインツの名を呼び、自身の代わりに説明するように求める。

 絶対的権力者であるはずの皇帝がここまで困り果てる様子に、貴族たちは姫の噂が真実であると改めて思い知っていた。


 皇帝から指名を受けたハインツが、自身の息子の現状を言うために口を開く。

「我が長男であるエーリッヒは、何年か前より姫様に泣かされて帰るようになった。あるときは暴言を吐かれ、あるときは頬を叩かれ、またあるときは私物を盗まれる。……しかも運の悪いことに、エーリッヒは頭はよいものの身体が小さく弱いのだ」

 ルイーズによる攻撃を受けたエーリッヒが、ときおり泣きながら帰ってくる。ハインツの説明を聞き、カールは背筋が凍った。

 こんな子供が将来皇帝になってよいものか。そう思った貴族たちも、カールと同様の感覚を覚えていた。


 そんな時、五歳ほどのくせ毛で痩せた男の子が謁見の間へと入ってきた。男の子ははあはあと息を切らし、何かに追われているような様子だった。

 それを見たハインツは、次に何かを話すこともなく『エーリッヒ!』と名を呼ぶ。その声を聞いた子供は、名前を聞いただけでビクッとしながらカールの後ろに隠れてしまった。

「うおっ、この子がエーリッヒか?」

 カールは思わず声が出る。ルイーズ姫と同じ七歳と言うには、明らかに身体が小さいのだ。

「……今、彼の後ろに隠れたのが……」

 ハインツがエーリッヒの名を言おうとすると、謁見の間の外からこちらにパタパタという足音が聞こえてきた。足音を聞くと、エーリッヒはカールのモーニングコートの裾をつかんでびくびくと震えている。

 やがて足音がある程度近づくと、そこから少女の声が聞こえていた。


「やいこら、あのクソチビが! ちょこまかとネズミみたいに逃げやがって、どこに行きやがった!」

 やたら乱暴な言葉を発しながら、少女がこちらに近づいてくる。その声を聞くと、ハインリヒの目つきが変わった。ハインリヒは前方を守る近衛兵を退けて、大扉のほうへと数歩進んだ。

 それからすぐ、大声を出しながら走っている少女の姿が見える。セミロングの栗毛が似合う可愛らしい顔立ちをしていたが、口から出てくる言葉はそれをかき消すような汚く乱暴な言葉だった。

「ルイーズ、待ちなさい!」

 ハインリヒの大きな声に、ルイーズは足を止める。しかし、彼女は鋭い目つきで父のほうを見ていた。


「あ、親父、あのクソチビがここ入ってかなかった?」

 ルイーズがさらっとハインリヒに質問すると、彼の表情には怒りが出てくる。

「ルイーズ、お前はなんでそんな乱暴ばかりするのだ……。ルイーズには一国の姫君として、もっと真人間にだな……」

「あーあー、説教くせーとっつぁんだ。あたしに何言ったって、疲れるだけよ」

 ルイーズの言葉にはどこからか仕入れた乱暴な言い回しが含まれており、知識は感じられるが品性がまるでない。

 そんな娘を見てハインリヒは拳を握りそうになったが、貴族たちの前なのでなんとか耐える。


 一方、エーリッヒは様子を見るために頭をカールの足の横から出してしまう。その隙を突いたルイーズが、謁見の間に入り込んでエーリッヒの方へと走っていった。

「やっと見つけたわよ、アンポンタン。さて、どうお仕置きしてやろうか……」

 徐々にエーリッヒに近づくルイーズを見て、近衛兵の一人が貴族たちの隙間を縫ってルイーズのもとに来る。そのまま腕を掴み、手を引いて謁見の間の外に彼女を出そうとした。

「しね! しね! このハゲ、しねえええええええええ!」と叫びながら、ルイーズは近衛兵と謁見の間を出てどこかに行ってしまった。ハゲと言われた瞬間、近衛兵は足を進める速度を速める。


「この通り、ルイーズのお転婆てんばっぷりは朕の悩みの一つとなっておる。そこで、皆に二つほど頼みがあるのだ」

 ハインリヒは玉座の前に戻り、それから頭を下げる。皇帝である彼が頭を下げるほど、ルイーズのことは彼にとって大きな問題なのだ。

 頭を上げ、ハインリヒは口を開く。

「一つ。子を育てたことがある者は、どのようにしつけを行ったかを教えてほしい。二つ目は、ルイーズが仮にこのまま朕の後を継いでしまった時にどうすればいいのか、意見があれば遠慮なく送ってくれ。……このことについて、皆に伝えたかったのだ」

 頭を上げ、ハインリヒは自身の頼みを貴族たちに伝える。

「あと、子を連れてこいと言った理由は単純だ。もしよければ、ルイーズの遊び相手になってほしいのだ。……もしかしたら、友達となれる者がおらんからかもしれん」

 以上だ、とハインリヒが自身の話を終える。話が終わった瞬間、貴族たちの中にはどよめきが起こった。

 この国の継承者の素行問題。解決されることは、果たしてあるのだろうか。

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