黄昏の平穏

第1話 少年カスパール・リヒテンベルグ

 カスパールは父の声で目を覚まし、まだ重いまぶたこすってから身体を起こす。カスパールの寝室は普通の寝室より広く、銀の燭台しょくだいや山の風景をえがいた絵画かいがなど高級感のあるインテリアが置かれている。

 カスパールの家は男爵の家である。父であるカール・リヒテンベルグを当主とするリヒテンベルグ家の長男として生まれ、下級貴族と言えど平民と比べれば裕福な暮らしをしていた。

 この時も、我が子を起こすカールの隣には召使いの老人がいた。

「坊ちゃん、やっと起きられましたか」

 召使いの老人は優しく微笑む。一方、カールは起きたばかりのカスパールを叱ろうと口を開いた。


「今、何時だと思っているんだ。こんな時間に起きていたんじゃ、小学校に入った時には遅刻の常習犯になるぞ」

「ごめんなさい、お父さん」

 部屋にある振り子時計の針は八時四十分。一般的な小学校の始業時間すら過ぎており、このままでは父の言う通りの遅刻魔となるのは確実と言っていいだろう。

「まあ、九月の入学式まではあと二ヶ月ある。それまでに早起きを習慣づけなければな」

 カールがそう言うとほぼ同時に、カスパールはベッドから降りた。そのままパジャマを脱ぎ、普段着に着替えた。


「あら、カスパール。ずいぶん起きるのが遅かったじゃない。どうしたの、何か悪い夢でも見てたの?」

 三人がダイニングに着くと、すでにカスパールの母であるイルザや数人の執事やメイドが席に着き、朝食をっていた。

 テーブルの上に乗る陶器の皿やカップは高級感のある模様が塗られており、ナイフやフォークは銀でできていた。

「そういえば、何やらずいぶんとうなされていたな。変な夢でも見ていたのか?」

 カスパールは先ほどまでの夢を思い出す。恐ろしい怪物が村を破壊し、母を喰らい、自分と父に襲いかかる光景を思い出し、思わず泣きだしそうになってしまう。

「……うん。変な怪物が村を襲って、大きい豚みたいな牛みたいな化け物がお母さんを食べてたの」

 カスパールの話を聞くと、カールは大きな声で笑う。

「はっはっは! カスパールよ、この世界には魔法も技術もある。もしそんな化け物が現れても、自動車かほうきに乗って逃げれば大丈夫だ。この村は帝都ルべリンまで三十キロくらいしかないし、電話も通っているから討伐隊もすぐに来るだろう」


「でも……」

 心配げな表情をする息子の肩を、カールは軽くポンと叩く。

「大丈夫だ。それより、早く朝ご飯を食べなさい。昼食を食べるのが遅れたら、帝都にいる陛下に会う用事に遅れてしまう」

 リヒテンベルグ家のある国、グリム帝国は世界に名だたる大国のうちの一つだ。

 GDPは世界二位、一人当たりのGDPは世界四位という経済大国であり、人口は一億三〇〇〇万人、うち一五十万人が常備軍人であり軍事力も非常に高い。

 現皇帝ハインリヒ三世はその絶大なる権力を利用し減税や民族自治、公共投資や失業者救済など民のためを思った政策を多数打ち出している。

しかし、現在繰り広げられる魔法と科学の論争には傍観する立場を取り、立場を示していない。

 カールとその息子カスパールは、その皇帝ハインリヒ三世に呼ばれ午後に彼の住む宮殿へと向かおうとしていた。

 三人は食卓の空いている椅子に座る。バターのついたパンを一口食べるとカスパールの表情は一転し、食事に集中しだした。


「ねえねえ、小学校ってどういう場所なの?」

 先帝ヴィルヘルム四世が制定した義務教育法により、六歳となるカスパールは六年間の義務教育を受けるために九月から小学校に行くことになる。

 学校という新しい世界への好奇心から、カスパールは食事中にもかかわらず父に学校がどんな所かを質問していた。

「うーむ……。私は貴族の学校に通っていたから、今みたいな全身分一律の公立学校というものを知らんのだ。だから貴族学校の話にはなるが、まず学校というのは楽しいところだぞ」

 カールは食べているものを飲み込むと、息子の質問に答えた。

「へえ、どんな風に?」


「まず、学校にはたくさん自分と同い年の子がいて、その子たちと一緒に勉強するんだ。カスパールの場合は全身分共通の学校だから、父さんよりもっとたくさんの人と出会って一緒になるはずだ」

 カスパールは父の話に目を輝かせる。閑静な農村に住む彼には同い年の友達が少なく、たくさんの子供たちというのは新鮮に聞こえるのだろう。

「だが、一つ言わねばならんことがある」

 カールの表情が、険しく厳しいものに変わる。父の表情の変化に、息子は少しびくついた様子だ。

 カスパールが口の中に入ったパンを飲み込むと、カールは口を開く。

「お前はこのリヒテンベルグ家に生まれた、いわゆる上流階級だ。だが、それを理由に平民の子に対して威張いばるような真似はするな。教師の前では、どれだけの上級貴族だろうが一人の生徒だ。当然、お前もどんな身分の子でも普通の子と同じように接しなければならないのだ」

 父は机の上にあるティーカップを手に取り、紅茶を一口飲む。

「うん。分かった、お父さん」

 カスパールがそう返事をすると、父は表情を元に戻してうむとうなづいた。


「心配しなくても、カスパールはそんなことをするような子じゃありませんよ」

 にこっとした表情で、母イルザは言う。

「だって、カスパールと仲のいいレベッカちゃんだって、村の道具職人の子じゃないですか。それなのに、他の平民の子供に対して威張るなんてこと、するはずがありませんよ」

「う、うむ。それもそうだな」

 ハハハと笑い、父は大きくちぎったパンを口の中に入れる。それに続いてカスパールもパンをちぎり、口に入れてむしゃむしゃと頬張ほおばる。

 それからしばらく食事を続け、二十分ほどで召使いなどを含めたすべての者が食事を終える。

 食事を終えてしばらくすると、チリンチリンという鈴の音が玄関の方から聞こえてきた。

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