ぼったくりバー

森林梢

ぼったくりバー

「金も持たんと飲み屋に来るとか、どういう神経しとんねん!」


関西弁での威圧的な問い。

男性客は顔を伏せる。

詰問しているのは、とあるバーの店長。

ボディビルダーにも劣らない、筋骨隆々とした身体つきの男性だ。

 スキンヘッド。オーダーメイドの白いスーツ。色黒の肌。堅気の人間には見えない。


「払えへんねやったら、警察呼ぶからな!」

「……も、もっかい、確認してもらってもいいすか? 何かの間違いとちゃいます?」


おそるおそる聞き返す男性客は、長身痩躯のサラリーマン。青白い肌と、野暮ったい黒の長髪という外見。

対する店長は尊大に言い切る。


「間違うてへん! 十万元や!」

「…………円じゃなくて?」

「元や!」

「払える訳ないやろボケェェェッ!」


卒然、男性客の鬱憤が爆発した。

店長は構わず続ける。


「元と円を聞き間違えるなんてありえへんやろ! もうちょっとマシな嘘つけ!」

「元でしか会計でけへん店の方がありえへんわ!」


 自分より二回りほど大きな店長の怒声にも、男性客は引き下がらない。

 埒が明かないと判断したのか、店長がアプローチを変えた。 


「おい、聞いたぞ。お前、店に入った時点で、値段確認したらしいな! その上で飲み食いしたんやろ!」


「あの店員、異常にしゃくれてるから、【元】が【円】に聞こえてん!」


 男性客は完成度の低い物真似を披露し、自分に非が無いことを主張。

 更にまくし立てる。


「言っとくけど、確信犯やとしたら、しゃくれの使い方、上手うますぎるぞ! 日本で一番上手く使つこてるぞ!」


 数分前とは打って変わって、喋り続ける男性客。


「二度としゃくれに接客さすな! 死ぬまで厨房に閉じ込めとけ!」


 先ほどまでの恐怖は、怒りで霧散してしまったようだ。

 ただ、努力もむなしく、無反応を貫く店長。

 今度はこちらの番とばかりに話し始めた。


「そもそも、こっちはお前が入店した時点で『お会計は【元のみ】になりますが、よろしいでしょうか?』って言うてるからな!」

「しゃくれてるから【ゲンナマ】に聞こえたんじゃボケェ!」


 絶叫し、再び完成度の低い物真似を披露する男性客。

 そんな彼に、店長が軽く頭を掻いて尋ねた。


「つうか、しゃくれの店員って、誰のこと言うてんの?」

「溝口って奴や! 俺、明日職場で絶っ対に話そうと思ったから、ちゃんと覚えてるぞ!」


言われて、店長は一旦退室。

数分後に従業員名簿を手に、男性客の前へ戻ってきた。

 次の瞬間、男性客の眼前に、顔写真付きの従業員名簿が突き付けられた。


「見ろ! 溝口、全然しゃくれてへんやないか!」

「……ってことは確信犯やん! ビジネスしゃくれやん! 何かショックやわ!」


 エピソードトークのネタを失ったことに落ち込む男性客。

 肩を落とした彼に、店長が追い打ちをかける。


「大体お前、客引きに連れられて来たよな? あいつが持ってる看板にも【元】って書いてあるからな!」

「あの看板、死ぬほど字ぃ汚いやろ! あんなもん読めるか!」


 その発言を受けて、店長は舌打ちした後、客引きを呼び寄せた。

 おびえた表情の客引きに、スーツの内ポケットから取り出したメモ帳を渡す店長。

 そして、彼に【円】と【元】を書かせる。

 二つの文字を交互に指さして、店長が声高に言った。


「やとしても、【円】と【元】は見間違えへんやろ!」

「店長、逆です。右が【元】で左が【円】です」

「お前も間違ぉてるやん!」


 途端、渋面を浮かべる店長。

 男性客を睨みつけて、大声を上げた。


「ええ加減にせぇよ! ここ、中国やぞ!」


 その発言に、面食らった表情をする男性客。店長はここぞとばかりに畳みかける。


「中国の飲食店なんやから、【元】で払うんは当たり前やろ!」

「えっと、その」

「文句があるなら言うてみ! ほらっ!」

「いや中国地方な!」


 男性客の訂正。店長が黙った。

 そんな彼の方へ、詰め寄る男性客。


「何をいきなり、鬼の首を取ったように勢い付いてんの!? 形勢、全く変わってへんからな!」


 誰の目から見ても、男性客が圧倒的優位。

 だというのに、店長はくつくつと笑い出した。不気味な哄笑が、室内に響き渡る。


「……お前、まだここが中国地方やと思てんの?」

「は?」


 首を傾げる男性客に向かって、店長は言い放った。


「もしも、この店自体が船になってるとしたら! 海を越えて中国に入ることも可能やぞって言うてんねん!」

「はぁ!?」


 男性客が慌てて窓を開ける。


「一ミリも移動してへんやないかぁぁぁっ!」


 指摘されても、悪びれる様子のない店長。


「当たり前やろ! もしもの話や!」

「その話、今やないとあかんかった!? あと、何で俺に言うたん!?」


 不毛なやり取り。話は一向に進まない。

 痺れを切らしたのは男性客だった。


「もうええ! 分かった! ほんなら決定的なの言うたるわ!」


 店長を指さして命令する。


「十万元って、円換算でいくらや! 言うてみぃ!」

「一六八万八一六九円じゃ!」


 返答を受けて、両の拳を握り込む男性客。


「……そもそもがぁ、ぼったくりやないかぁぁぁっ!」



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