雪村遥人の短編集

水咲雪子

とある国の騎士の話

 王宮内のとある一室。姫の寝室となっているその部屋から、今夜も苦痛に耐える声が聞こえる。

 最近始まったことではない。もう何年も前から、姫は病に苦しんでいる。

 人一倍他人を思いやる優しい心を持った姫が、どうしてこんなに苦しまなければならないのか。

 姫の護衛を任されていながら姫を病から守ることができない自分の無力さに、俺はとうとう逃げ出してしまった。

 生まれて初めてのサボりだ。近衛騎士が任務放棄なんて、バレたら即クビだろう。


「これで明日から無職か……さーてどうしますかね〜……なんて」


(割り切れるなら最初っから逃げたいなんて思わねえよな)


 とはいえ逃げ出してしまった事実は変わらない。せめて姫を助ける手がかりを見つけられれば話は代わってくるのだろうが…。

 そんなことを考えながら無人の商店街を歩いていると、路地裏から声をかけられた。


「そこの若いの、こんな夜更けに何をしておる」


 声をかけてきたのは青黒いローブを纏った老婆だ。

深夜に出歩いているのはお互い様だろう。と思ったが無視するわけにもいかない。


「散歩だよ」


 小さく返して再び歩き出そうとすると、老婆が俺の腕を掴んで引っ張り、顔を覗き込んできた。

 反射的に老婆の手を振り払い、腰の剣に手をかける。


「若いの、心に迷いがあるな。このババアに話してみなさい」


 俺は無言で剣を構える。いくらなんでも怪しすぎるだろう。

 老婆は俺の鎧に目を移すと、何かを思い出したようにローブの内ポケットを漁り出した。


「おぉーあったあった。これで剣を収めてくれるかの?」


 老婆が取り出したのは小さなバッジだった。

 暗くてはっきり見えたわけでは無いが、それが何なのかはすぐにわかった。


「宮廷魔法師団の団員証……?」


「元……じゃがの。二十年程前に引退して今は占い師をしとるんじゃ」


 俺は剣を収めてバッジを確認した。旧式ではあるが確かに本物の団員証だ。団員証は超高度な加工技術で生産されているため、団員以外の者が手に入れるには団員から奪うしかない。生産が終了している旧式を手に入れるのは容易ではないだろう。

 それに加え、バッジには触れた者の魔力の波長を読み取る効果が付与された魔石が埋め込まれていて、本人以外がバッジに触れると、魔石が青から赤に変わる仕組みだ。仮に盗まれた物なら一眼でわかる。

 どうやら元宮廷魔法師団員というのは本当らしい。


「あなたのような人がこんな所で何を?」


「質問に質問を返すでないわ。それにワシは占い師をしとると言うとるじゃろ」


「……俺は−」


 話していいものか一瞬迷ったが、正直に話してみることにした。元宮廷魔法師なら、姫を救う方法も知っているかもしれないという考えがなかったと言えば嘘になるが、それ以上に俺の悩みをぶちまけてしまいたかったというのが大きかった。

 俺の話を聞いた老婆は顎に手を置き、少し考えた素振りを見せると−。


「まさか姫君が痛魔に冒されているとはな」


とつぶやいた。


「姫の病を知っているのか⁉︎」


 思わず叫んでしまった。普段であれば声を抑えるところだが、今回ばかりはそんなことを言っていられなかった。


「もちろん知っておるぞ。ワシが現役だった頃、もう五十年も前に同じ症状を訴えた者がおったからの」


「それで、その人は?」


「死んだよ」


「ッ…⁉︎」


「数年前にな…老衰じゃった」


「おちょくってんのかババア‼︎」


 俺の怒気を孕んだ声を聞いた老婆は愉快そうに笑うと、西を指差してこう続けた。


「西の森の先に洞窟がある。そこの泉へ姫を連れていけ。そうすれば姫は助かるじゃろう」


 俺は老婆に礼を言うと、すぐに王宮に戻った。

 幸い俺の警備時間は過ぎておらず、姫の寝室の前には誰も居なかった。今更逃げ出した事実を誤魔化す気は無いが、話がこじれない分バレていないのは好都合だ。


 翌朝、俺は姫を連れ出した。連れ出したと言っても姫の日課である散歩の時間に「今日は少し遠くまで行ってみませんか?」と言って馬車に乗せただけなのだが、散歩中の護衛当番を代わってもらうのはなかなかに苦労した。

 姫の病による苦痛は主に夜間にあるらしく、姫の美しい笑顔を間近で見られる日中の護衛は騎士の間では人気があるのだ。

 城を出て姫の身体に障らない範囲で、最速で森に向かう。


「こうしてあなたと出かけるのも久しぶりですね」


「そう、ですね。私と姫では立場が違いますから」


「分かっています。でも、少し寂しいですね。もし私が一国の姫として生まれていなければ、昔のようにあなたと、皆と生きる今があったかもしれません」


「……あまり話されるとお身体に障ります」


 姫の悲しそうな表情に、俺は何も言えなかった。


 森に入ってしばらく経ち目的の洞窟が見えてきた、その時だった。

 崖の上から多数の矢が飛翔してくる。


「賊です‼︎」


 咄嗟に剣を取り矢を打ち払う。数が多く全てを落とすことはできなかったが、なんとか姫に届く物は落とせた。

 念のため姫の無事を確認していると、賊に周囲を囲まれてしまった。


「その家紋、王家のものだな。持ち物を全て置いていくなら見逃してやってもいいぜ」


 賊の頭と思われる大柄な男がニヤニヤと薄ら笑いを浮かべて近づいてくる。

 俺の目的は洞窟にあるという泉だ。所持金を渡すだけでやり過ごせるならそれに越したことは無いが、到底彼らが口約束を守るとは思えない。


「悪いが信用できないな」


 そういって俺は剣を構えた。


「そうかい。なら死ね」


 男が手を高くあげ、指を鳴らすと、賊が一斉に襲いかかってきた。

 剣を打ち払い、槍を落とし、短剣を躱す。

 一人一人の練度が低く、ほぼ一撃で無力化できているが、数が多すぎる。

 俺一人であれば切り抜けるのは難しい話ではないが、姫を守りながら戦うのには限界があるだろう。


 戦闘開始から早二分、最も危惧していたことが起きた。


「キャァァァァ‼︎」


「リズ‼︎」


「動くんじゃねぇ!動いたらこの女を殺すぞ」


「グッ……」


 やはりこうなってしまったか。


「俺はどうなってもいい。だから彼女のことは見逃してくれ」


「カッコいー。流石騎士様は言うことが違うねぇ」


「ギャハハ!何でもいいからさっさと殺しちまおうぜぇ。こいつバラしゃ後はお楽しみだ」


「下衆が……」


 こいつらのにやけた表情、どう見ても姫を見逃す気はなさそうだ。今更一人で来たことを悔やむ。せめてもう一人いれば、そんな考えが脳裏にチラつく。


「まぁお前も一人にしちゃ頑張ったと思うぜ?」


 リーダーの男が肩を組みながらそう言うと、「いいことを思いついた」と呟き、こう続けた。


「今この場で女を犯せ。そしたら二人とも返してやるよ」


「……⁉︎そんなこと、できるはずがないだろ」


「そうかそうか。なら死ね」


 男が背中の大剣を抜き、振り下ろす。


「すみません、さようなら。リズ」


「やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」


 死を覚悟し目を閉じた瞬間、姫の絶叫が鼓膜を強く叩いた。

 そして姫は全身に光を纏うと、自力で拘束を解いて男の大剣を光の線で消しとばした。

 急いで姫に駆け寄ると、姫が俺に飛びついて泣き出した。


「よかった、よかったよ〜うわああああん」


「ようやく解したか。ずいぶんかかったようじゃの」


 突然背後から老婆の声が聞こえ、姫を抱えたまま飛び退いてしまう。


「危ねぇ危ねぇ。姫さんが剣を狙ってくんなきゃ今頃あの世行きだったぜ」


「面倒な役を押し付けてしまってすまないね」


 老婆だけでなく、そこには国王もいた。そして何故か国王は賊のリーダーと親しげだ。


「どういうことだ?」


 俺が困惑していると、老婆が「ネタバラシじゃ」と陽気に話してくれた。

 姫の病は『枯想の呪い』という王家に伝わる儀式であること、呪いを解くためには呪いが痛みに変換し切れないほどの強い感情の昂りが必要だったこと。


「じゃあ洞窟の泉は?俺が倒した賊の連中は?」


「泉はここにお主を誘導する嘘じゃ。賊を演じたのは騎士見習いの連中じゃの」


「全部茶番だったってことですか」


「茶番とは人聞きが悪いな。仕組んでいたのは事実だがね。王家を継ぐものの選定なのだ。多少は大目に見てくれたまえ」


「はいはいそうですか…ってちょっと待ってください。王家を継ぐ者の選定?」


「その通りだ。君には次期国王として婿に来てもらうよ」


「それってどう−−」


「それでは皆、ご苦労だったな。これにて撤収とする‼︎」


   ◆◇◆


 あれから、一週間が過ぎた。

 俺は騎士の役職を離れ、国王主導の元[ある準備]をしていた。


「ほう……なかなか似合うではないか」

「少し恥ずかしいですね……これ」

「はっはっは!今日から君は私の息子になるのだ。敬語は不要だぞ?」

「無茶を言わないでください。これでも頑張って崩しているんですから」


 俺の全身を包む純白の衣服。平民出の俺にはとても着る機会など無かった代物だ。

 今日この日、俺はリズと結婚する。それは王位継承権を得ることを意味する。

 これからは騎士ではなく、次期国王として、夫としてリズの隣に立つ。


「新婦のご準備が整いました。陛下はお席にお戻りください」

「む?そうか。ではまた後でな」


 神父の指示の後。大きな扉が開かれ、薄桃色の華やかなドレスを纏ったリズが現れる。

 俺はレースに手をかけ、その瞳を真っ直ぐ見据えた。

 ドレスに合わせた特別な化粧によって一段と美しさを増した彼女はさながら天女のようで、俺はこの時間が永遠に続けばいいとさえ思った。


「リズ……愛してる。俺は一生。君を守り続けると誓うよ」

「私も……あなただけを愛すると誓います」


 その言葉を最後に、俺たちは唇を重ねた。

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