第14話
もとが神官のための部屋だからか、シウバにあてがわれた一室は質素だった。木の板がむき出しになった床と壁、そして天井。燭台は一つしかなく、ロウソクも細く頼りないせいで灯る炎もほのかすぎる。家具もベッドと小さな机、キャビネットがそれぞれ一つと最低限しか用意されておらず、机には古ぼけた本が一冊置かれているが、手に取ってみるとエストレージャ王国や周辺諸国に伝わる光の神と闇の神の神話をまとめたものだった。
ちまたに伝わる多くは人間目線の話が多いが、どうやらこちらは神目線の話が記されているようだ。〝器の口を借りて神が語った真実の話〟と題されてる。
「――くっだらない」
シウバは本を投げるようにして戻し、ひゅうひゅうと風声の響く窓を横目で見やった。木製の窓枠にはカビが目立ち、ガラスもないため隙間風が好きなだけ入り込んでくる。床に転がっている棒を支えにして窓を覆う板を上げられるようだが、シウバが逃げ出さないようにか、外から打ち付けられているおかげで叶わなかった。おまけに外の明るさが全く分からないせいで時間感覚も狂いそうだ。
部屋の外には見張りがいるし、そもそも鍵がかけられているため自由に出入りできない。食事も全て部屋に運ぶと言われたし、徹底的に軟禁するつもりらしい。
「陛下」
突然ベッドの脇にある壁から声が聞こえる。シウバは特に驚いた様子もなく「やると思ったよ」と燭台を片手にそちらに目を向けた。
がこ、と壁の一部が外れ、アタラムが現れる。「王宮で神殿や周りの見取り図を見ておいて正解でした」と肩に付いたほこりを払い、隠し通路に通じる壁を丁寧に元に戻した。
「窓枠が分厚かったからもしかしてと思ってたけど、やっぱりあったんだ。隠し通路」
「幅はかなり狭かったですが、なんとか通れました」
「もう少し声の大きさ控えめでね。見張りがいるのは知ってるでしょ」
かしこまりました、とアタラムは心得たとばかりに頷いた。
「アタラムの部屋はどこ?」
「ここの三つほど隣です。真横だと壁越しに話すのではないかと懸念されたのでしょう」
「壁越しどころか直接来たけどね。隠し通路が閉じられてなかったってことは……」
「王宮のそれと同じで、使われなくなって長い年月が経っていると思われます。私のように見取り図なんて見る者もそうそういないでしょうから、隠し通路の存在を知る神官は限りなく少ないと考えてよいかと」
「剣は? 持ってきてたよね?」
護衛がついてこられない以上、剣の腕が立つアタラムがシウバの護衛を務めなければならない。部屋に案内されるまでは腰に提げていたはずだが、と首を傾げると、アタラムは悔しげに「没収されました」と答えた。
「ですがご安心を。こちらは気付かれませんでしたから」
見せつけるようにパンツの裾をめくり上げると、ブーツと足の隙間に短刀が潜んでいた。よくそんな状態で歩いていたなと感心せずにいられない。
「さて、どうします? 隠し通路を使って外に出ますか?」
「疑われるからそれは無しだ。魔力に汚染されるのが知られるから逃げたんですねと言われかねない。面倒くさいけど部屋にこもっているしかないね」
「……確かに、そうですね」
「まあ、外のことは――」
テヘナが、と言いかけて寸でのところで飲みこんだ。アタラムはテヘナが港町に来ていることを知らないのだ。
――ちゃんと着いてるといいけど。
彼女には魔獣の弱体化のほか、可能ならば魔獣を操っている何者かを特定してくれと頼んである。魔獣の側には必ずそれがいるはずだからと。
「ここ最近目撃されていた魔獣や
「可能性としては高いと思う。魔獣が操れる奴なんてそう頻繁にはいないだろうし」
――魔術師か、神官か。
エストレージャ王国にいる魔術師はゼクスト家だが、ヴェロニカの実家でもあるそこは八年前の一件以降、魔力を発生させた者は確認されていない。現れたとしてもヴェロニカが包み隠さず報告し、シウバの処分を仰ぐだろう。
――けど魔術師はゼクスト家やもう一つの家に属さない〝はぐれ〟もいるし、そこまで僕も完璧に把握出来てない。選択肢が多すぎるな。
――ああ、それと。
「ねえアタラム。アタラムは神っていると思う?」
「は?」
「気になったんだよ。『
「本当にも何も、いるからそのような表現がされているのではないですか?」
「だけど僕は一度も器本人が喋っているところを見ていない」
言われてみれば確かに、とアタラムがはっとしたように目を丸くした。
「神殿の奥深くで祈って、神を降臨させて予言や助言をするっていうけどさ、その現場を直接見た人は何人いるんだろうね? 仮に見ていたとしても、神が降りている証明ってどうするの? 『自分は神だ』とでも言うのかな。けど姿かたちが変わるわけじゃないし、口ではどうとでも言えるよね」
シウバを国王として認めない、なんて。
「
「陛下、それはつまり――」
アタラムがなにか言いかけた時、がつんっと突き刺さるような音が窓の板から聞こえた。
何事かと目を瞠る間にも、がつんがつんと音は続く。
アタラムがシウバを庇う前で、ついに板に亀裂が入った。初めは小さな穴がぽつりと開いただけだったが、やがて大きくなっていったそこから光や風と共に、黒い物体が部屋に侵入してきた。
羽ばたく音が耳元を通り過ぎる。勢い余って壁や天井に激突した物体は、ギャッと喚きながら縦横無尽に室内を暴れ回った。ひらりと目の前を何かが舞い、シウバは咄嗟に掴んだそれをよく見る。羽根だ。
「……鳥か?」
「だと思いますが、ただの鳥ではないでしょう」
「……ってことは」
鳥と思しき物体が光に照らされる。窮屈そうに羽ばたくそれは、一見すればどこにでもいるただのカラスだ。
頭に角が生えていることを除けば。
外からガアガアと数多の鳴き声が聞こえてきた。まさか、と様子を窺うと、寮を取り囲むように大量のカラスが空を舞っていた。どの個体も黒い靄をまとい、苦しげに鳴きながら角を振り回している。
「あれ全部魔獣だなあ」
「のん気に観察している場合か!」
さすがに動揺しているのか、アタラムの口調が乱れた。本人は気付いていないのか、突撃してきたカラスの角を的確に叩き折って安堵の息をついている。
「安心してるとこ悪いけど、別のカラスがこっちに向かってきてるよ」
「一体なにがどうなっているんだ……?」
嘆息する間を与えることなく、別の個体が角を振りかざしながら突撃してくる。しばらく攻防は止みそうにない。シウバは次々に弱体化させられるカラスを床の上に並べながら、面倒くさそうにため息をついた。
当然だが、矢の数には限界がある。出来るだけ乱発しないように、射た魔獣から抜き取って再利用したりと心がけていたけれど、ついに矢は最後の一本になってしまった。テヘナはそれを犬の魔獣に向かって放ち、転がった隙に角を叩き切る。
「こんなに魔獣がいるなんて思っていませんでしたわね」
ファリュンが疲れたように魔獣を縛り上げた。手持ちの縄もこれで最後だ。矢と違っていくらでもここで調達できるので問題ない。テヘナは小刀が刃こぼれしていないか確認しつつ「そうね」と同意した。
「犬と猫と、あと馬と……なにがいたかしら」
「豚と鶏もいましたわ」
そしてその大半はもともと家畜として飼われていたのだ。いずれも数日前に家畜小屋から消えて、戻ってきたと思ったら魔獣化していたという。犬や猫は野良の個体も多かった。
「城下町で戦った猪みたいな大きな魔獣はいないみたいだけど、用心はしておかないと」
「あぁっ、テヘナさま! 顔にお怪我を!」
「え、本当?」
頬がひりひりするなと思ってはいたが、指で触れてみるとぬるりと血で滑った。ファリュンは己の鼻から左耳にかけて指を横に動かしている。「ここに、こんな風な怪我が」と伝えたいらしいが、主人の顔に傷がついたとあって言葉が出ないようだ。
「舐めとけば治るでしょ」
「治るものですか! 他にもどこか痛むところはありませんか? 一度どこかで治療を受けるべきですわ」
「そんな暇ない」
魔獣はまだあちこちにいる。挑もうという気概のある者に対策はそのつど伝えたが、いずれも角を折って弱体化させただけで安全ではない。万が一死んでしまうと手を下した本人が呪われるとあって、腰が引けている者も多く見受けられた。
「片っ端から弱体化させなきゃいけないけど、同時に操ってる人も捜さなきゃいけない。休んでる時間なんてないわ」
「ですが……」
「大丈夫! 顔以外に怪我はないし、ほら、また魔獣が」
小刀で示した先の路地裏から犬の魔獣が現れる。これまで見てきたどの個体よりも体格が大きく、まとう靄の量も多い。苦しげな呼吸を吐き出す口からは舌とよだれが垂れ下がり、見開かれた眼は血走っていた。
ファリュンに弓を預けて下がっているよう指示し、テヘナは駆け出した。同時に犬も地面を蹴って向かってくる。大きく跳び上がられたのを横に避け、「こっちにおいで!」と声をかけながら背を向けて逃げ出した。
魔獣は野太い声で吠えたあと、テヘナの狙い通り追いかけてくる。ひとまずファリュンから遠ざけることは出来た。
――矢がない以上、接近戦でどうにかするしかないわね。
心臓や脳を傷つけなければ死にはしないだろうし、呪われることもないだろう。よし、と気合いを入れるように鼻を鳴らし、テヘナは近くの路地に飛び込んだ。魔獣も後から追ってくる。
人が三人並んで歩けるほどの幅があるそこで、テヘナは魔獣との一騎打ちに臨んだ。牙を剥きだしにして襲ってくるのを避け、爪で引っかかれそうになるのを小刀でなんとか弾く。胸や足を斬りつけて体勢も崩させてみたが、角を折られると分かっているかのように傷が回復するまで逃げ回られた。
――今まで適当に向かってきてた個体と違って、こいつだけ動きが明らかに違うわ。
頭上でカラスが喚いている。群れはいっせいにどこかへ向かっているようだ。方角から考えて神殿の方向か。
――シウバさまは大丈夫かしら。
「テヘナさま!」
ファリュンの声に我に返ると、路地の入口で彼女が弓を構えているのが見えた。手持ちの矢は尽きたはずだが、と思っていると「町の方が一つ下さいました!」と答えながら魔獣に矢を放つ。
テヘナほどではないが、ファリュンもある程度は弓矢を扱える。彼女が射たそれは魔獣の尻に刺さり、悲鳴を上げた直後、傷からぶわりと靄があふれ出した。靄に視界を遮られながらテヘナは魔獣に迫り、根元に程近い場所で角を折った。キンッと甲高い音を立てて宙を舞ったそれが地面に落ちると同時に、脱力した魔獣も倒れ込む。
ファリュンに縛り上げるのを任せ、テヘナはあたりに漂う靄に目を向けた。これまで角を折ってきた魔獣の場合、靄は空気中にしばらく漂ったあと霧散していた。
――でも、これは。
目の前で大人しく縛られている魔獣の傷口からは血と一緒に靄がこぼれている。テヘナに絡みつこうと漂ってくるが、ヴェロニカから貰った〈核〉のお守りの効果もあり、やがて諦めたように頭上で浮遊したあと、どこかに流れていった。
息を殺し、音を潜めながら魔力を追いかける。
ひと気の少ない道を何度か通った先に、それはいた。
後ろ姿のせいで顔は分からない。体格と身長から考えて男なのは間違いなさそうだ。体全体を覆うようなローブをまとい、両腕を広げて指先を細かく動かしている。テヘナが追いかけた靄は男の腕にまとわりつき、指先を通じてまたどこかに放たれた。
恐らくあれが、魔力を放ち、魔獣を操っている犯人に違いない。
――捕まえないと。
目の前の男を捕らえることで、ひとまず港町に充満する魔力と魔獣の鎮静化は図れるはずだ。
テヘナは小刀を握る手に力を込め、ゆっくりと足を踏み出した。物陰から獲物に狙いを定める獅子のように慎重に。男は魔力や魔獣の操作に意識を集中させているのか、こちらに気付いた様子はない。
だが、先ほど追いかけた靄とは別のそれがテヘナに触れながら通り過ぎ、男のもとに辿り着いた瞬間、突然男が振り返った。
――気付かれた!?
男はフードを目深に被ると駆け出した。が、それほど速くない。余裕で追いつける。香水でもつけているのか、残り香が男の軌跡をありありと示している。
「待ちなさい!」
ローブの袖を掴もうと手を伸ばしたが、振り払われると同時に大量の靄がテヘナに襲いかかってきた。一瞬で視界が奪われ、喉に滑り込んできた靄を吐き出そうとしている間に、男は姿を消していた。
「あぁっ、もう!」
もう少しだったのに、と地団太を踏んでテヘナは髪をぐしゃぐしゃに乱した。先ほど嗅ぎ取った残り香から辿れないかと思ったものの、靄よりも儚いそれは間もなく消えてしまう。
――……待って。あのにおい、他にもどこかで嗅いだことがあるような……。
――それに男が逃げた方向って……。
「ここにいらしたのですね、テヘナさま!」
ファリュンが息を切らしながら現れた。入り組んだ道に迷ってあちこち走り回ったのだという。
「テヘナさま? どうなさいました?」
「……うん。これからどうしようかなって考えてて」
悩んだ末、一つの結論を出した。
「このままじゃシウバさまが危ないわ。だから忍び込む」
「忍び込むって、一体どこに」
決まってるでしょ、とテヘナは力強い笑みを唇に乗せて頭上を仰いだ。先ほどまで喚いていたカラスは一羽もいない。
「神殿に、よ」
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