第13話

「王都からここまでは三日ほどかかりますでしょう。お疲れのところお越しいただき感謝いたします」

「下らない雑談はいい。さっさと本題に入ろう」

 にこにこと笑顔を浮かべているくせに、男の目元は一切笑っていない。回りくどい挨拶は不必要と断じ、シウバは男と器の女に一歩近づいた。

「私を王と認めないとのことだが」

「はい、神はそのように仰せになられました」

海神マレが? だが私は即位した三年前に光の神と闇の神に王として誓いを述べている」

 即位の儀式の際は王都にある光の神と闇の神の神殿で、臣下や国民たちに見守られるなか行われる。人々を導き、守り、時として試練を与える二柱の神に、エストレージャの新たな王として国の未来や安寧を誓ったのだ。

 神の代わりに問い、聞き届けたのは、間違いなく目の前の男のはずだ。

「過去に一度、王の素質を認められなかった者が、誓いを述べる場で雷に打たれて死んだと聞いた。だが私にそのような異変は起こらなかった。つまり光の神と闇の神には認められているということだ。それを今さら、しかも二柱よりも下位の神である海神に『認めない』と言われる筋合いはないはずだが」

「陛下と言えど口を慎んでいただきたい。神の御前です」

 不愉快そうに唇を歪めたのは男だけで、器の方はぼんやりした眼差しで遠くを見つめるばかりで表情らしい表情がない。神にとってシウバは数多いる人の子の一人にすぎないだろう。暴言も些細なものとして受け流しているのか。

 シウバは「これは失礼」と形ばかりの謝罪をし、さらに続けた。

「上位の神が『王として認める』と判断を下したにもかかわらず、海神は異を唱えるのか? 道中で記録を確かめたが、今までにそのような前例はない」

「これまでとは状況が違うでしょう。以前まで魔力マナのような脅威は存在していなかった」

「存在していなかったというわけでもないだろう。魔力は神力が変質したものと考えられている。八年前に明確に違うものと判明し、名付けられるまでは神力として扱われていたというだけの話だ」

「発見された当時より、魔力はそのおぞましさを増しているのです。神官たちが汚染されたのはご存知のはず。それと同じことが〈核〉を持つ陛下にも起こり、国が乱れるのを海神は大変気にしておられるのです」

 ――だから何故それを、光の神や闇の神でもなく、これまでほとんど関わりのなかった海神が言い出すんだよ。

 空神エルムでもなく、人々に神力を残した陸神テラでもなく、なぜ海神が、とずっと疑問なのだ。海神が国の乱れを気にするというのもおかしい。エストレージャ王国だけでなく近辺の国も上位の二柱、下位の三柱を信仰している中、一国のことだけ気にするというのが引っかかる。異例だ。

 異例という意味では、シウバもじゅうぶん異例ではあるが。

「陛下は以前も魔力に侵されている。今後も同じことが起こらないと言えますか?」

「私が侵されたのは〈核〉が不完全で、魔力が入り込む隙があったためだ。今の〈核〉は完全なもの。魔力に侵される余地もない」

「ではそのように証明していただきたい、と神は仰せです」

 ふ、とシウバは鼻で笑った。

 ――神が仰せと言うけれど、その神の器はさっきから一言も喋っていないじゃないか。

 紅を刷いた唇はきゅっと引き結ばれたままで、瞬きも片手で数えられる程度しかしていない。身じろぎをすることもなく、まるで人形のようだ。

「魔獣は現在も毎日のように港町に出没しています。当然、振りまかれる魔力も日々増している。陛下にはそれを受けていただき、侵されることがないと証明していただきたいのです」

「事態を収束させよと手紙に書かれていたように思うが、民の不安を考えれば、私が侵されるかどうかより魔獣や魔力のどうにかするのを優先させるべきだと思わないか?」

「そうすればあたりに漂う魔力が減ってしまうでしょう」

 ――矛盾している。

 魔獣や魔力を排除してくれと願ってきたくせに、シウバの素質を確かめるために排除は後回しにするという。理屈は分からなくもないが理解は出来なかった。傅いていたアタラムも訝しげに顔を上げ、男と器の女を見やっていた。

「陛下には今日から三日間ほど、神殿の側にあります神官の寮に設けました一室にてお過ごしいただきます。なお、お部屋から出ることは一切禁止し、宰相どのには別のお部屋で同様に過ごしていただきます」

「ふうん?」

「なぜです!」声を荒らげたのはアタラムだ。「それではまるで軟禁ではありませんか、許されるはずがない!」

「神の決定です。王といえど人間が逆らえるとお思いですか。また寮の近くには罪人を捕らえておく牢がありますが、そこに魔獣を数体捕えてございます。それらと至近距離で数日間過ごし、汚染されることがなければ陛下を真の王として認めると神は仰せです。万が一、魔力の影響を受けた場合は即刻王位を退いていただく。宰相どの、貴方もです」

「……なに?」

「当然でしょう。魔術師などという神力イラを人々のために使うばかりか、あまつさえ神が人を作るのを真似て幻獣を、さらには魔獣まで生み出した者を妻として娶っているのです。神がそれを許すはずがありません。そもそも幻獣を作れば一族もろとも処刑されるのに、魔獣だけ例外というのはおかしな話ではありませんか」

「待て、ヴェロニカは幻獣も魔獣も作っていない!」

「アタラム」

 落ち着けと視線で制すると、アタラムはぐっと言葉を飲みこむように口を噤んだ。

 ゼクスト家のこともなにかしら追及してくるとは思っていたが、そうくるか。シウバの退位を迫るだけでなく、アタラムまで宰相の地位から追いやろうとしている。

 ――明らかにおかしい。なにか目的があるはずだ。

 お連れしろ、と男が脇に声をかけると、柱の陰に控えていたと思しき神官たちがぞろぞろ現れる。シウバたちが逃げ出すとでも思っているのか、円を描くように取り囲まれた。

 連行される直前に見た男の目は、得体の知れない感情にぎらついていた。



 宿から神殿を眺めながら、テヘナは大きく伸びをした。数日間降り続いていた雨は止んだが、空にはまだどんより濁った雲がかかっている。窓を開けてみると、久しく嗅いでいなかった磯の香りが部屋に広がった。

 久しぶりに乗馬をしたせいで尻が痛い。だが多少の心得があるテヘナと違い、不慣れなファリュンは尻どころか全身を痛めたようだ。宿に着く前からずっと文句を垂らしている。

「少し眠ったら? そうしたら体が楽になると思うわよ」

「いいえ、テヘナさまが魔獣狩りに向かわれるのに、侍女であるわたくしがのうのうと寝ているわけには参りません」

「あまり無理はしないでよ」

 狭い客室には簡素なベッドと机しかない。テヘナは硬いベッドに腰を下ろし、王宮を出るときに引っ掴んできたカバンの中身をぶちまけた。

 といっても、入っていたのは手巾と、星や花が鞘に描かれた小刀と縄、ヴェロニカから受け取った塗り薬だけ。着替えなどは一切入っていない。

 本当なら入念な準備を重ねて出てくるはずだったのだ。けれど状況が変わった。

 何者かに王宮が取り囲まれていたからである。

 慌てて駆けつけたファリュンに導かれ、テヘナとヴェロニカは王宮から外の様子を見た。ざっと百人はいるだろうか。人々が門前の見張りの兵に詰めかけるだけでなく、魔獣まで押し寄せてきたのだ。魔獣の対策を怠っていなかったおかげでそちらに対する混乱はそれほどでもなさそうだが、人間相手にはどうすればいいのか、多少手こずっているように見える。

『なに? なにが起こってるの?』

『分かりませんわ。ですがこの状況ですと、陛下のあとを追って港町に向かうのは難しいかも知れません。表の門だけでなく、使用人たちが使うようなところにまで押し寄せていましたもの』

『なんで……』

『魔獣もそうですが、もしかすると押し寄せている人たちも魔力に操られている可能性があります』

 見えませんか、とヴェロニカに言われて目を凝らすと、確かに猪の魔獣の時に見かけたのと同じ黒っぽい靄が人々にまとわりついているように見えた。自分の意思で詰めかけているのではないと思う、と彼女は語る。

『私は魔獣や人を浄化してまいります。何かあっては危険ですから、テヘナさまはお部屋にお戻りください!』

 ヴェロニカを見送って間もなく、テヘナは動きやすい格好に着替えて準備もそこそこに隠し通路を開けた。

『いつ侵入してこられるか分からないし、このままじゃシウバさまを追いかけられない。魔獣だって、王都に今これだけいるってことは港町にもどれだけいるか分からない! アタラムさんが隠し通路は城下にも通じてるって言ってたから、そこに出ましょう!』

『で、ですがテヘナさま。どこに出るかご存知なのですか! 道だって分からないでしょう!』

『大丈夫!』ほらこれ、とテヘナはファリュンに紙を見せつけた。アタラムにかいてもらった隠し通路の地図だ。『一か所、王族になにかあった時のためにって馬を貸してくれる貴族の家に通じてる道があるそうだから、そこに行く』

 ベレニにはテヘナの不在を誤魔化すよう伝えて、ファリュンと共に王宮を抜け出してきたのが二日ほど前だ。馬を飛ばしてきた結果、馬車で来るよりも早く着いた。

 宿に入る前に港町の様子は見てきたが、今は落ち着いているのか、魔獣を見かけることはなかった。だがいつ現れるとも知れないそれに怯えているらしく、人影は少なかったように思う。

「テヘナさま、これを」

 ファリュンに預けていた弓矢を受け取り、弦などの状態を確認する。以前、猪の魔獣を相手にした時とは違うもので、テヘナが祖国から持ってきたものだ。しばらく使っていなかったが、しっくりと手に馴染んだ。

 これからどう行動するか話し合いを始める直前、開け放っていた窓から悲鳴が飛び込んできた。外を見てみると、若い女性が大型の犬に追われている。額からは角が生え、靄をまとっているところを見るに魔獣だ。

 ――こういうことを見越してたわけじゃないけど、一階の部屋を取って良かった。

 テヘナは腰に小刀を提げ、弓矢も携えて窓から飛び出した。ファリュンも後ろからついてくる。逃げ惑う女性に「こっち!」と鋭く声をかけ、テヘナは弦に矢をあてがった。そのまま引き絞り、女性が脇を通り過ぎたところで魔獣に向けて矢を放つ。真っ直ぐに飛んだそれは右前脚あたりに刺さり、魔獣は砂煙を上げて倒れ込んだ。

 まだだ、まだ終わっていない。テヘナは即座に小刀を抜き、矢を引き抜いて傷を回復させようとする魔獣に近づくと、躊躇いなく額の角を叩き折った。

『魔獣は角から魔力を吸収します。叩き折れば魔力の吸収が止まり、暴れることはなくなります』

 ヴェロニカに教わった通り、乳白色の角が地面に転がると同時に、魔獣は力を失くしたようにぐったり動きを止めた。死んだわけではなく、魔力の影響が一時的に和らぐことで落ち着くらしい。

 魔獣が暴れるのは、本来なら不必要な魔力が体内で暴れる苦しみから逃れるためだという。角は神力を注ぐことでしか完全に壊せず、それが出来るのは魔術師しかいない。テヘナのように神力を持たない者は角を折り、弱体化させたところで身動きが出来ないよう縛ることだけだ。

 テヘナが手際よく魔獣の手足を縛り上げていると、先ほど逃げていた女性がお礼を言いに来てくれた。男装しているからではなく、単純に新たな王妃の顔を知らないのだろう。女性はテヘナが王妃だと気付いた様子はない。

「ごめんなさい、ありがとう。何日か前から飼ってた犬がいなくなって、やっと見つけたと思ったら角が生えてるし、急に襲ってくるしで、もう何が何だか……」

「誰かに魔獣にされたんだと思うわ。角は折ったからもう暴れることはないと思うけど、体内にはまだ魔力が残ってる。えーっと、貴方の家はどこ?」

 住所を聞き出してファリュンに覚えてもらい、あとでちゃんと浄化しに行くと約束してから女性に犬を託した。彼女は「魔獣? 魔力?」ときょとんとしたのち、心配そうに、そして怖がりながら犬を抱きしめて帰っていった。

「魔獣や魔力のこと、あんまり知らなさそうだったわね」

「確認されて八年が経ったと聞きましたけれど、まだ広く知られているわけではないのでしょうか。存在が知られていないから、対策も不十分、と」

「多分ね」

 ふと顔を上げると、曇天が目に入る。

 ――違う。

 雨雲ではない。港町の上に全体的に魔力の靄が広がっているのだと気付いた。

 ――これは思っていた以上に深刻なんじゃ……?

 またどこからか悲鳴が聞こえた。行こう、とファリュンを従え、テヘナは夜まで港町を駆け回った。

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