いばらの悪い魔女

とうふとねぎの味噌汁

第1話

「わたしを魔女にしてください!」

「はぁ、変わった子だね。また来るなんて。」

艶やかな長い黒髪の魔女が、だるそうに言った。

「お願いします!なんでもするので、魔女になる方法を教えてください!」

「しつこい。何度も断っているじゃないか。魔女になる方法は教えないよ。ほら、帰った帰った。」

 相手にされなくても、向こうが有名な「いばらの悪い魔女」だとしても、帰るわけにはいかない。私は魔女にならなくてはいけないのだから。




「お母さん、調子はどう?」

「とっても元気よ。家の中なら歩けるわ。」

「ダメだよ。寝てなきゃ。ほら、お粥作ったから食べて。」

ベッドから体を起こしたお母さんが、柔らかく微笑みながらお粥を口に運ぶ。 

「ありがとう、リディア。美味しいわ。」

「よかった。お母さん、元気になってね。」

お母さんは少し、寂しそうな顔をして、それでも暖かく笑って言う。

「私は、恵まれているわね。こんなに可愛くて優しいリディアや、月花亭のみんなに支えられて。」

 月花亭は、昔からよく面倒を見てもらっている近所の食堂のことだ。お母さんが病で倒れてから、私は食堂で働かせてもらっている。母子家庭だった私達は、母が働けなくなったから、私が働くしかなかったのだが、十二才のなんの取り柄もない子どもが働ける場所なんて限られていた。その時私達に手を差し伸べてくれたのが、昔から仲の良かった月花亭だ。収入は多いとは言えないけれど、まかないももらえるし、私がお母さんの看病ができるようにと、昼と夜の忙しい時だけでいいと言ってくれた。みんな、お母さんに残された時間がもう無いことを知っている。みんなでお金を出し合って、お医者さんを呼んだが、この病気を治す薬はないと言われた。できることは、病気の進行を遅くする薬でなんとか症状を和らげることだけだった。

 諦めきれなかった私は、お母さんの病気を治す方法はないのかと、沢山の本を読み、調べた。そして、魔法という奇跡を見つけた。魔法は魔女が使う奇跡のことで、なんでも叶えられるものなのだそう。魔女や魔法について大人達に聞いても、教えてくれなかった。魔女が良くないものだと気づいたが、お母さんが助かる可能性を見捨てられず、図書館の本をさらに読み漁った。

 魔女にも得意分野があって、治癒が得意なものもいれば、人を呪うのが得意な魔女もいるらしい。この広い世界で、病気を治すことのできる魔女を探すのはどれだけ時間がかかるのだろう。魔女の魔法は、魔女になる時に強く願ったことに近い性質を持つそうだ。お母さんの病気を治すには、私が治療の得意な魔女になるしかない。そう考えた私は、この村に一番近国住んでいる「いばらの悪い魔女」に会いに行くことを決めた。

「いばらの悪い魔女」は暗く、鬱蒼とした森に住んでいる。昔から大人達に入ってはいけないと言い付けられている森に、初めて足を踏み入れた。じめじめしていて、木の洞が人の顔に見える。森が私を入れないようにしているのだとわかった。迷子になって、二度と帰れなかったらどうしようと思いつつ、一歩一歩進む。一番怖いのは、お母さんに二度と会えなくなることだった。

「ねぇ、ここにきちゃダメだよ。」

艶々とした羽の烏が話しかけてくる。

「どうして?」

「ここは、悪い魔女の縄張りだからさ。魔女は人間を酷く嫌っている。引き返すならいまのうちだよ。」

烏の深い闇のような瞳が恐ろしかった。

「ごめんなさい、でも、魔女に会わなきゃいけないの。」

「そうなんだ。でも、警告はしたからね。」

烏が飛んでいった。冷たい、作り物みたいな温かさだった。

 なんとか、魔女の家に着いた。いばらで囲まれてはいるものの、レンガと木でできた可愛らしい家だった。近づくと、勝手に門が開き、家に招かれた。家の中に二人分の椅子と丸いテーブルがあり、上品な香りの紅茶と、パウンドケーキが置かれていた。良い匂いに釣られ、恐る恐る椅子に座り、紅茶を飲んだ。

「美味しい……。」

「そうだろう。ちゃんといい茶葉を使っているからね。」

 びっくりして前を見ると、黒いドレスを纏った、この世のものとは思えないほど美しい女の人がいた。

「え、」

「久しぶりの客人だからね。ゆっくりしておいき。まぁ、良くあの森を抜けたね。最近の人間は臆病だから、気味が悪いと言って近寄りもしないのに。」

 美しい女の人だと見惚れながら、本能が人間とは違うものだと警笛を鳴らしていた。吸い込まれそうな黒い瞳と、儚げな白く滑らかな肌に騙されてはいけない。

「そんな目に見えて警戒する必要もないだろうに。おまえは自分からここにきたんだろう。さあ、願いはなんだい?誰の不幸を望む?」

怖い。笑顔の優しさの中に、嘘がある。甘い嘘に手を伸ばしてしまったら、終わりだ。

「私を、魔女にしてください。」

魔女は驚いたが、すぐに元のお手本のような微笑みに戻った。

「なぜだい?」

「私のお母さんは不治の病にかかっています。その病気を治すためです。」

「そうかい。それは、災難だね。でも、その願いは叶えられないよ。私は呪いの得意な魔女で、治癒は専門外だ。そして、魔女になる方法も教えられない。すまないね。」 

魔女は残念そうに言った。でも、私は諦めない。お母さんの命がかかっている。

「魔女になる方法を教えてください。」

「だから、教えられないと言ってるだろう。ほら、お家へお帰り。」

魔女は家中に生えているいばらを動かして、私を脅し始めた。

「嫌です。魔女にしてもらうまで動きません。」

「はあ、めんどくさいね。だから人間は嫌なんだ。」

 私はいばらでぐるぐる巻きにされ、森の入り口付近まで運ばれてしまった。不思議といばらの棘は当たっても痛くはなかったし、食べていなかったパウンドケーキは、包まれてポケットに入っていた。本当に悪い魔女ではないのかもしれない。恐ろしいが、魔女が折れるまで、仕事がない日は毎日通うと決めた。





「こんにちは!魔女さん。魔女にしてください。」

「また来たのかい。いい加減食っちまうよ。」

 煩わしそうにに魔女が言う。やはり作り物のような美しさだ。昔より、恐ろしさは無くなった。慣れてしまったのか、魔女が優しくなったのか。

「魔女さんが私を魔女にしてくれるまで、ここに来続けます。私、我慢強いんです。」

「はあ、あんたなら本当にずっと来そうだね。」

「教えてくれたら、もう迷惑かけません。こちらにも時間がないので、早く教えてください。」

魔女の目が、こちらをじっと覗く。私の心が全て見透かされているようで、少したじろいでしまった。

「あんた、魔法が願いの叶う便利なものだと思ってないかい?」

「え。」

「そんなもの、ないんだよ。犠牲のない奇跡なんて、起こらない。」

いつもの雰囲気と少し違う魔女は、ぽつぽつと語り出した。

「いいさ、あんたに折れてあげるよ。めんどくさいのもあるが、本気なんだろう。こんな暗い森に何回もきたんだ。伝わるさ。」

嬉しいはずなのに、どこか居心地が悪い。今日もだめだと思っていたから、拍子抜けしたのもある。しかし、それよりも魔女の纏う雰囲気が嘘ではなく、答えたくないと言っているからだろうか。

「さっきも言ったが、何の犠牲もなしに奇跡なんて起きないんだよ。私達は、犠牲を払って魔法を使えるようになった。」

魔女が、心底自分が醜いと言うように、話し出した。

「目で魔法を使う魔女は、目を犠牲に。手で魔法を使う魔女は、手を犠牲に。魔女は、悪魔と契約して魔法を使えるようになる。体の一部を捧げて、魔法という奇跡を行使できるようになるのさ。」

気持ちが悪い。恐ろしいと思うより、魔女が自殺をしそうなほど、悲しんでいるのが伝わるからだ。

「捧げたものが、大切なものほど、強い魔女になる。例えば、足をささげた魔女より、心臓をささげた魔女の方が強い。でも、心臓を捧げたら死んでしまうから、心臓を捧げた魔女はいないのだけれどね。」

なら、この「いばらの悪い魔女」は何を捧げたのだろう。

「私が何を犠牲にしたのか気になるようだね。」

魔女は、自虐的に笑う。

「私は自分から何も捧げていないんだ。私は、私の母を犠牲にした。」

何も言葉が出ない。何故とも思うが、魔女が意図したことではないとわかっている。この魔女は、恐ろしいように見えて、嘘つきのお人好しなのだから。

「私が、あんたより小さい頃、不治の病にかかってね。あんたと同じように、母は魔法に頼ろうと考えたらしい。馬鹿だったんだよ。奇跡なんて人間の都合の良い幻想でしかないと、分かっていたはずなのに。」

魔女の綺麗な瞳から、いつもの闇を感じない。いつも虚偽でいっぱいな瞳は、今だけは、真っ黒な真実を写していた。

「母は悪魔に契約を持ちかけたとき、捧げた体の一部しか魔法が使えないことを知った。私は身体中に病気が広がっていたからね。全身を犠牲にしないと私を助けられないと気付いたのさ。そこで、悪魔と交渉した。母が魔女になるために、母の体の全身を犠牲にしたら、すぐに死んでしまう。それでは私を助けられない。だから、母の全てを捧げるから、娘を魔女にしてくれってね。」 

嘘だったら、良かったのに。真実こそ、残酷で、無慈悲だ。

「魔女となった私は、全てを恨み、呪ったさ。どうして私のために母が犠牲にならなくてはいけなかったのかってね。そんな世界、滅んでしまえばいいと思ったよ。皮肉なことに、母の全てを犠牲にしたから、母が大切に育てていた薔薇まで捧げられたらしくてね。いばらの魔法まで使えるようになってしまったよ。私は呪いが得意な魔女だから、魔法を使っていたら悪い魔女なんて呼ばれるようになったけど、どうでもよかった。どうでも、よかったんだよ。」

黒い瞳から、綺麗な雫が滴り落ちる。何と声を掛ければいいのかわからない。魔女を囲む闇が一層深くなって、入れなくなる。昔は嘘だとわかっていたから、知らないふりをして割り込めたのに。本当のことしかない今は、簡単に食い込めない。魔女を壊してしまいそうで、寄り添えない。嘘は、魔女にとって、身を守る術だったのかもしれない。真実が、こんなに危ういものだなんて、気付きたくなかった。

「この話を聞いて、本当に魔女になりたいと望むかい?」

「……。」

「魔女なんて、碌なもんじゃないよ。魔女は、魔女になった時に半永久の命を手に入れるから、寂しくてたまらないよ。」

微笑みながら、さっきより、少し優しく諭すように言う。

「人間は運命に従うのが一番なんだよ。何かを犠牲にして手に入れたものは、錆び付いてくる。後から、蝕まれるよ。」

私は、どうしたらいいのだろう。わからない。助けてほしい。涙が止まらない。

「私は、どうしたらいいの。」

「そうだね。いつものように生きたらいいんじゃないのかい。大丈夫さ。あんたの周りには優しい人がいっぱいいる。人間、一人にならなければ案外上手くいくもんだよ。」

お母さんを治すには、全身を犠牲にしなくてはいけない。お母さんを助けたいのに。助けられない。魔法は奇跡じゃなかった。絶望と、温かさの不快感と涙の味が侘しかった。

「もう、ここには来ちゃいけないよ。」 

涙でぐちゃぐちゃの私の顔を優しく拭いながら、透き通る黒い瞳で言う。

「嫌だ、また来る。また来るから。」

魔女は、みっともなく駄々をこねる私を、いばらで包んだ。 

「はあ、まったく。仕方のない子だね。まあ、退屈はしなかったよ。ほら、お家にお帰り。」 

魔女は、少し晴れやかな顔をしていた。

 私は森の外まで運ばれてしまった。ポケットに紅茶の茶葉と、パウンドケーキが丁寧に入っていて、髪に薔薇が飾られていた。泣きながら帰ったら大騒ぎになるだろうと、薔薇の匂いを嗅いで心を落ち着かせる。魔女の、嘘と真実の切ない匂いがした。

「お母さん、調子はどう?」

「そうね。今日は普通かしら。立ち上がれないけど、元気よ。」

「じゃあ、月花亭にお手伝いにいってきます。」

「気をつけてね、リディア。」

今日もいつも通りの日だった。魔女に会っていた前のいつも通りだった。

 魔女になる方法を教わって次の日にまた魔女に会いに行った。だが、魔女の家が無かった。森はあったけれど、いばらも、レンガと木の可愛らしい家も、魔女に関連する何もかもが無くなっていた。大人達に魔女のことを聞いても、「いばらの悪い魔女」のことは知っていても、近くの森に住んでいたことは覚えていないようだった。もらったパウンドケーキは食べてしまったし、紅茶も飲んでしまったが、もらった薔薇は凛々しく咲いている。この薔薇はどうやら枯れないようだ。綺麗だから、お母さんの横の花瓶に生けた。お母さんは毎日、この薔薇に微笑みかけている。こうして、また変わらない日々を過ごしていくのだろうと思っていたが、お母さんの体調が急変した。




「リディア……。ごめんね。」

「お母さん、もう何も言わなくていいから。」

今日は朝からお母さんの看病をしている。辛そうなお母さんを見るのは、やるせないが、私にできるのはこれくらいしかない。

「リディアちゃん、遅くなってごめんね。もう夜中だし、交代しよう。」

月花亭の女将さんが食堂をいつもより早めに終わらせて手伝いに来てくれた。もうずっとつきっきりで見ていたので、眠気と疲労が迫ってきていた。

「ごめんなさい、女将さん。ちょっと、寝てきます。」

女将さんにお母さんを任せ、死んだように眠りについた。

 不思議な夢を見た。あの、魔女が出てくる夢だ。こっちを見て笑っている。私も笑い返して、近づこうとした。近づけない。こちらが近づこうとすると、いばらが邪魔をしてくる。いばらの棘にあたったが、柔らかくて痛くはなく、気を遣ってくれているんだろうと、笑ってしまった。近づけないが、仕方がない。私は大声で

「ありがとう。」

 と叫んだ。

伝わったかはわからないが、ありがとうと言えなかったことが心残りだったので、すっきりした。少し魔女が嬉しそうに見えたのは、私の都合のいい夢だからかもしれない。

「リディアちゃん、リディアちゃん。起きて、起きて。貴方のお母さんが……。」

女将さんに勢いよく起こされる。お母さんに何かあったのだろうかと、飛び起きて、お母さんの元へ向かう。

「お母さん!」

お母さんが元気そうにベットに座っていた。

「リディア。見て、こんなに元気になったのよ。」

訳がわからず、立ち止まっていると、女将さんがやってきた。

「リディアちゃんが寝ていた時に、開けていた窓から烏が入ってきて、そこにあった薔薇をリディアちゃんのお母さんに突き刺したのよ。一瞬で起きたことだから、動けなくて、もうびっくりして。そしたら、薔薇からたくさんいばらが出てきて、リディアちゃんのお母さんを包んだのよ。どうしたらいいかわからないし、近づいたら棘がすごいし……。」

私はあの嘘つきで、優しい魔女の微笑みを思い出した。

「そのあとすぐにいばらが解けてね、リディアちゃんのお母さんが元気そうに目を覚ましたから、急いでリディアちゃんを起こしに行ったのよ。」

治せないと言っていたのに。お母さんの肩に、薔薇のマークがついていた。

 お医者さんを呼んで診てもらうと、驚きながら、病気は巣食っているのに完全に動きが止まっていると伝えられた。お医者さんは、呪いは専門外だが、多分五十年くらい強制的に生きることになる呪いなのではないかと推測していた。村のお年寄りに聞くと、確かにこれは「いばらの悪い魔女」の呪いの跡だと言う。治したわけではないが、呪いでなんとかお母さんを助けてくれたらしい。

 烏が窓の外から覗いている。外に出て、烏を捕まえようとする。烏が素早く空に逃げたので、

「嘘つき!でも、助けてくれてありがとう!」 

 と叫んだ。

 烏がいたずら好きのように、

「カァー。」

 と鳴いた。

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