呪詛 9

 山の家から続く狭い山道を抜け、舗装された道路に出たところで、良雄さんはゴソゴソと座席の辺りを探った。ラップに包まれているおにぎりを探しているのだと気づき視線を落とすと、私の太腿ふともものすぐそばにおにぎりはあった。手に取り、ラップを剥がして良雄さんに渡す。


「ありがとうございます。霧野さんも、おにぎり食べてくださいね。エネルギー切れちゃうと元も子もないんで」

「はい、ありがとうございます」

「それにしても、キノコのスープが味噌汁になってて驚きました。ありがたかったし、本当に助かりましたよ」


 良雄さんは話しながらあっという間におにぎりを食べ、ラップを丸めてお尻のポケットに押し込んだ。その後で声のトーンを下げ、私に言う。


「霧野さんもはやく食べてくださいね。そうじゃなきゃ、詳しい話を霧野さんに聞けないですから」


 それを聞いて、急いでラップを剥がし、おにぎりにかじり付いた。良雄さんの声のトーンが変わったことも、詳しい話の内容も、聞かなくても容易に想像できる。そう思うと、口の中で咀嚼しているおにぎりは一気に味がしなくなった。栄養補給の為の食事。急いで二口、三口と食べすすめ、ゴクリと飲み下す。硬い塊が食道を通り胃に落ちていく様子が、やけにリアルに脳内に映像化された。


「急がせて、ごめんね」

「いいえ……。Nature’s villaは、結構すぐ着きますもんね」

「うん。結構すぐ着いちゃうから。食べながら話す話じゃないですもんね」

「ですね……」


「それで——」と、良雄さんは木下さんを最後に見た時の状況をもう一度説明して欲しいと、私を促した。


「木下さんは博之さんと言う方に追われていて、それで非常階段で私たちを逃してくれました。その後で木下さんを見たのは、シアタールームの前です。水野さんという男性の、……あの、見られたんですよね。あの、ご遺体の……」


 自分で引き出した内臓が床に散らかる血の海のそばで、木下さんは倒れていた。その光景を思い出すだけで吐き気を催す。そんなことでは「一緒に行きたいです」と自分で言った意味がないと、かぶりを振った。


「すいません。しっかりします。それで、その水野さんという男性のすぐそばで倒れていました。着ている服には血がついていなかったと思います。や、少しはついていたかもですけど、それはきっと他の人の血です。だから、見たところ、普通じゃないのは顔だけ……だったと思います」

「武山さんの顔のように見えた、でいいんですよね?」

「はい……。その前に見た、雷に打たれたレイさんの顔の印象が強すぎて、最初はそう思ったんですけど、でも、武山さんの顔を見た今ならそう思えます。あれは……武山さんのようでした」

「じゃあ——」


 良雄さんは「里香ちゃんはまだどこかで生きているはずだ」と言った。


「武山さんの顔は祟りにかぶれた顔……なんて、おかしな言い方だけど、症状だけを見ると、何かにかぶれてそれで爛れた顔に見えるんですよね」

「と、いうと?」

「うん、山の中にはいろんな植物があって。知らずに触れてかぶれるというのはよくある話なんですよ。僕は山暮らしが長いし、もう耐性ができていて、よっぽどじゃないとかぶれないんだけど、その植物かぶれが酷いと何週間も治らないし、もっと酷い時は、アナフィラキシーショックで死に至るケースもある」

「死……に、至る……」

「よっぽどですけどね。植物でかぶれてっていうのはあまり聞かないかもだけど、食べ物では聞いたことないですか?」

「あります。海老とか蕎麦とか、そういうアレルギーのアナフィラキシーショックで死んでしまったとか」

「そう。だから馬鹿にできないんですよ。山の家は子供たちだけじゃなく大人のお客さんも来るし、いろんな人が来るから。だからアレルギーの薬はいつも常備してて」

「あ、それで……」


 美穂ちゃんの背中に着いた赤い手の跡、祟りに効くかはわからないけれど、アレルギーの薬を飲ませたと言っていた。


「武山さんも祟りのアレルギー……ってことですか?」

「祟りのアレルギーがあるのかはわからないけれど、アレルギー症状に似ているってことは分かります。顔が腫れていて、痒みもあるみたいだし、それに喉が腫れていて声が出にくい。武山さんは美穂ちゃんよりも酷いアレルギー症状が出てると思うんですよね」

「それは、祟られる理由が武山さんの方が多いから……とかで、変わってるんですか? 武山さんは御面様の祠からお面を持ち出した若者たちの関係者で、美穂ちゃんはお面を見ただけの人だからってことですか?」

「僕にもそれはわからないけど、でも、アレルギーって、同じものでもその人によって度合いが違うし、武山さんはよりアレルギー体質だったということもあり得ますよね」

「祟りの……?」

「それは分からないですね。ここには病院じゃないから調べようがないし。でも、僕が今まで見てきた中では、植物でかぶれたみたいにも見えるんですよ。武山さんの顔に似てるケースで知ってるのは、うるしですかね」

「漆?」

「漆って、漆器とか、そういうのに使う植物なんですけど、実は山の中にはウルシ科の植物って結構あるんですよね。真っ赤な紅葉が綺麗なハゼノキなんかも実はウルシ科で。ウルシ科の植物には、ウルシオールという物質が入っていて、それがアレルギー性皮膚炎を起こすんですけど、症状が出てくるのに時間がかかるんですよ」

「時間、ですか?」

「そう、時間。すぐじゃないってことです。山に遊びに行って帰って来て、数日後になんかおかしいなという感じで。はやい時は次の日ってこともあると思うんですけど。それにね、気になることがあるんですよね」

「気になること?」

「はい。美穂ちゃんの実家って石川県らしくて——」


 そう言えばそんなような話を美穂ちゃんとしたことがある。実家が遠いから就職してからは一人暮らしをしていて、今は彼氏と同棲していると言っていた。


「家の近所に漆工房があったらしくて、聞いたことないですか? 輪島塗って伝統工芸品」

「あります。有名ですよね」

「はい。それで、小学校の時にその工房へ社会見学に行ってたらしくて」

「えっと、それとどんな関係が?」

「ウルシかぶれって、一回目の接触では症状が出ないことが多くて。接触と言っても、酷い人は空気中のウルシオールにも反応しちゃうらしいんですよね。だから、もしもこれがウルシオールのアレルギー反応ならば、美穂ちゃんの身体にアレルギー性皮膚炎が出てもおかしくないというか」

「えっと、それって、つまり——」

「祟りなんかじゃなく、誰かが人為的に起こした事件なのかも、てことです」


「え……?」と、声が漏れ、運転している良雄さんの顔を見つめた。


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