呪詛 7

 良雄さんに続いて山の家に入ると、良雄さんは黒光りする廊下の奥の台所へ入っていくところだった。急いで靴を脱ぎ、台所に向かい良雄さんに声をかける。


「良雄さん、それ私がやります」

「あ、じゃあお願いします。僕は二階から布団を持って来るんで。防災無線で連絡も取りたいし助かります。ここにダンボール置いておきますから」

「わかりました」

「冷蔵庫にご飯があるので、それと一緒に温めてと思ったんですけど、正直、高級なご飯はあまり興味がなくって。でも、これだけは僕の知ってる人が作ってるやつなんで、これなら良いかなって持って来たんですけど——」


 良雄さんは茶色い色をした真空パックをダンボールから取り出して、私に見せた。そのパックに付いているロゴマークを見て、なるほど良雄さんの知り合いのお店でもおかしくないな、と思った。食と環境をテーマにしたイベントを定期的に開催しているイタリア料理の人気店で、最近はアパレルブランドとコラボイベントも開催しているオーガニックレストランだ。


「良雄さんの知り合いなんですか?」

「そうなんですよ。ここのオーナーは環境問題のセミナーなんかでもよく顔を合わせるんで。ここにも何回も泊まりに来てるんですよね。だからきっとこのスープなら身体にも心にも良いかなって思って。じゃ、僕は急いで準備して来るんで、あとお願いできますか?」

「はい。急いで私も温めます」


「よろしくお願いします」と言って、良雄さんは台所を出て行った。鈍く光るステンレス製の作業台に置かれたスープを手に取ると、ひんやりと冷たく表面の水滴が指につく。


 ——天然キノコのスープ、これならすぐに温めれるよね。急いで準備して木下さんを見つけに行かなくちゃ。


 木下さんが生きているかもしれない。そう思うと胸が苦しい。なぜ、あの時もっとちゃんと確認しなかったのか。後悔しても仕切れないけれど、あの時は本当にそんなこと思いつきもしなかった。


 ——木下さん、ごめんなさい。私たちを逃がそうとしてくれたのに、それなのに私は、木下さんがまだ生きてるかちゃんと確認しないで逃げて来てしまった。本当にごめんなさい……。必ず、必ず見つけるから。


 金色の薄手の鍋に、必要最低限の水と人数分のスープパックを入れ、火にかける。はやく沸騰して欲しい。はやく、はやく、そう思いながら台所を見渡し、食器棚から人数分のお椀とお皿を取り出して、冷蔵庫の中のラップに包まれたご飯をレンジで温めた。


 ——はやく、一秒でもはやく……。


 心の中で何度もそう言いながら、木下さんのことを思い出す。きっちりとしたまとめ髪に、グレーのスーツを着て完璧なサービスを提供する木下さんは、武山さんのどんな理不尽な対応にも真摯に答えていた。ネイチャープログラムを提供するスタッフとしてNature’s villa KEIRYUに就職したけれど、需要がなく今はコンシェルジュがメインだと言っていた。本来の望んだ仕事じゃなくても、真剣に仕事に向き合っている人、そう思った。それに——


 ——はぁ〜美味しい。朝からバタバタで喉がカラカラだったんですよね。


 そう言って、良雄さんが手渡した麦茶を一気に飲み干していた、あの時の木下さんの顔を思い出す。木下さんはオンとオフがはっきりしていて、山の家では普通の二十代の女の子だった。


 ——無事でいて欲しい。どうか、無事でいて欲しい。


 人との距離感が近くて、あの時の私はまだ心を開き切れていなかった。でも、博之さんから私と美穂ちゃんを逃してくれた木下さんが、今はとても大切な人に思える。


 ——絶対に、見つけなきゃ。木下さんを見捨てて逃げ出したのは私なんだから。


 木下さんをはやく見つけに行きたい、そう思いながら鍋の中を見ている。目の前の鍋は底からぷくぷく泡を吹き始めていて、もう少し経てばスープは温まると思った。でも——


 ——この時間がもどかしい。


 頭の中は、オフの木下さんが次から次へと浮かんでくる。山の家に来た時の木下さんばかりが頭の中に浮かんでくるのは、それが本来の木下さんだからだ。お仕事モードをオフした木下さんを私は知っている。ざっくばらんな話し方。レイさんのことだって、あんな酷い姿をみたのに、平然と話をしていた。確か——


 ——死んだレイさんの、あの目玉が飛び出た顔。さすがにあの死に方は嫌だなって思いました——よっぽど前世で悪いことをしたんでしょうか。それとも今世の悪いことなのか——レイさん、仮面収集家だったそうで。なんでも世界中の珍しい仮面を集めてコレクションしている部屋が自宅にあるとか、ないとか。


 レイさんが収集した仮面の中に御面様のお面があった。そこから今回のこの全てが始まったならば、レイさんを恨みたくなる気持ちも湧いて来る。死んだ人にそんなことを思ってしまってはいけないけれど、なぜ、そんなものを収集して、そんな大事なものをプールに飾らせたのか。


 ——武山さんは、きっとその経緯を知っているはず。なぜ、レイさんがあのお面を持っていて、プールに飾ったのかを……。


 御面様のお面を祠から持ち出した若者たち。武山さんは「俺は知らない」と言っていたけれど、それは果たして本当なのか。死に至るまでの罪は犯していないけれど、顔が爛れるくらいの罪は犯したということなのだろうか。


 ——分からない事ばかりだし、祟りのことを考えても私には解決なんてできない。今は、それよりも木下さんを見つけ出さなきゃ。絶対に、見つけるからね、木下さん……


 

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