呪詛 6
「霧野さん?」
「何か荷物を降したりするかもですし」
「あ、じゃあ私も——」
「美穂ちゃんは、ここにいて。私一人でいいから」
「そうですかぁ?」
不思議そうな顔をする美穂ちゃんに背を向けて、玄関につながる土間に出ると、良雄さんがちょうど軽トラックから降りるところだった。こちらに気づき、声をかけてくる。
「あれ、霧野さんどうしたんですか?」
「良雄さん、ちょっと——」
良雄さんに声をかけ、急いで靴を履いて外に出た。夏の日差しは山の家に来た時よりも高くなり、山々からは蝉の声も聞こえる。庭に停まった軽トラックに視線をやると、武山さんは乗って来てはいないようだった。
「良雄さん、武山さんは向こうにいるんですか?」
「あ、うん。ひとりでいるのは嫌だから、山の家に来たいみたいなことを言ったけど、武山さんを山の家に連れて来るってことは榎田さんにとってはどうなんだろうって思って」
「良かった……」
良雄さんも私と同じことを考えていたのかと思い、ほっと胸を撫で下ろした。リカさんを見つけたときの尋常じゃない榎田さんを知っているからこそ、武山さんに今は会わせてはいけない。きっと良雄さんもそう考えたのだと思った。
——今は、ほら……。二十五年間も探してきた娘さんが置き去りで寂しそうですよ。
良雄さんが榎田さんにかけた言葉を思い出す。山の家に来てからの榎田さんは、ご遺体となってしまったけれど、娘のリカさんとの親子の時間を取り戻しているように見える。もしも今、怒りの感情を誰かにぶつけてしまったら、父親としてリカさんと向き合う時間よりも、怒りに飲み込まれる方へと、心が傾いてしまいそうな気がした。
——どうしようもない父親でしょう。僕は……
榎田さんの言葉が浮かび、胸が締め付けられた。榎田さんがどう言う父親だったのか、そのすべてはわからないけれど、榎田さんは父親としての自分に後悔の念を抱えている事は間違いない。だから、ある日聞いた声を頼りに御面様を探して全国の山奥に行っていたのだ。
——リカさんは、御面様にお願いして、自分を閉じ込めた人たちを呪い殺した。
ふと、またその考えが浮かび、振り切るように頭を振った。リカさんは、そんな怖い人じゃないと思いたい。例え、怨霊になるに値する死をしていたとしても——そう信じたい。
ぞくりと、背筋に嫌な感触を感じ急いで良雄さんの顔を見た。よく陽に焼けた肌が太陽の光でより濃く見える。背が高く筋肉質でいかにも山男という表現が似合う良雄さんに、ほっと安心感が湧いた。何でも頼れる、何でも問題を解決してくれる。それに、何より思いやりに溢れていて心が温かい。でも——
良雄さんは何か問題があったのか、「霧野さん」と、深刻そうな声で私に声をかける。
「あの、里香ちゃんのご遺体って、どこにあるって言ってましたか?」
「え……? シアタールームの前、ですけど……」
「ですよね、そう言ってましたよね。それが——」
「まさか……?」と、思わず手で口を塞いだ。
「なかったんですよ。シアタールームの前に里香ちゃんのご遺体が。男性が血を流して倒れている無惨なご遺体はあったんですけれど、里香ちゃんの遺体はなくて。武山さんは里香ちゃん、あ、木下さんですよね、皆さんにとっては。木下さんのご遺体を自分は見ていないって。そもそも、二階に行ってないらしいんですよ。シアタールームの前には、さっき僕と行ったのが初めてだったみたいで、だから見ていないって」
「そんな……。でも、私確かに見たんですよ? 木下さんは、もう死んでいて、それで良雄さんの軽トラックの鍵を持って倒れていて、それに、顔も酷く焼け爛れたみたいになっていて——」
「生存確認はちゃんとしましたか?」
「え……?」
「生存確認、なんていうのかな、呼吸はしていたかとか、脈はあったかとか、そういう簡単なものでいいんだけど」
「えっと……」と声を出しながら、脳内にあるあの時の記憶を再生する。博之さんから逃げ出した私と美穂ちゃんは、一旦は建物の外に出て、その後で、木下さんを探しに戻った。二階まで非常階段を登り、非常階段のドアからシアタールームの前を覗いた時に、木下さんが倒れているのが見えた。
——そうだ。確かに、非常階段のドアから見た光景を覚えている。
忘れるわけもない。水野さんの内臓がぼたぼたと床に落ちてできた血の海すれすれに木下さんは倒れていた。駆け寄った時に木下さんはもう動いていなかった。髪の毛はボサボサで、その身体に触れたとき、木下さんの身体は糸の切れた操り人形のように何の抵抗もなく、ごろりとこちらに転がって、その顔はレイさんのように焼け爛れているように見えた。はず——
——はずだけど……
シアタールームの前の廊下は、間接照明がデザイン的に入っているような廊下だった。病院や役所の様に、白々しい蛍光灯の明かりが煌々とついている様な、そんな廊下ではない。水野さんが自分でお腹を切り裂いて取り出した内臓の血がやけにどす黒く見えたのも、きっと暖色の照明のせいだ。もしかして、見落としていることがあるかもしれない。
「霧野さん?」
「あ……。すいません、今もっと詳しく思い出していました」
——でも、何度思い出しても、やっぱり木下さんの身体は何の抵抗もなく転がったし、あんな酷い顔をして生きているような人間はいないような気がする。
「生きていなかったと……、思います。焼け爛れたような顔をしていたし。身体の力も抜けていて、触っただけでごろんってこっちに転がったし——」
「呼吸音や、脈拍まではとってない、ってことですよね?」
「え?」
「いや、霧野さんの今の話だと、倒れている里香ちゃんの身体の力が抜けていたということと、顔が焼け爛れたようになっていたということはわかったけど、脈や呼吸数までは確認してないってことになりますよね?」
——そんな余裕はなかった。というか、そもそも、そんなこと、思いつきもしてなかった……
「あの……」
「焼け爛れた、というのはどういう感じでしたか? 例えば、それは雷に打たれた女性と同じでしたか? それとも、武山さんのような?」
「え……? それはどういう意味で……?」
「いや、武山さんの顔も、焼け爛れたように見えなくないですよね」
確かに、武山さんの顔は焼け爛れているように見えた。赤黒く変色し、所々に血が滲んでいたし、皮膚も破れていた。
——でもそれは、今となっては焼けているというよりは腫れ上がった顔を掻き毟ったような、そんな感じにも思える……?
「思い出せますか?」
「えっと……」
——あの時は、レイさんの顔を思い出しちゃって、それで……
雷に打たれて亡くなったレイさんの顔が脳裏に蘇って来る。黒く焼け焦げ、目玉が目から溢れ落ちそうになっていたレイさんの酷い顔。でも、改めて良雄さんに聞かれると、同じかと言われれば、違う気もする。その後に武山さんの顔を見たから、今なら違うと思える。
——どっちかというと、レイさんというよりは武山さんに近い。
「武山さんの顔のようでした。焼けて黒いというよりは、赤黒く爛れているような、そんな風だったと思います」
「と、言うとことはもしかして……」と、良雄さんは深刻な顔で言い、口に手を当て何かを考えている。
「良雄さん……?」
「霧野さん、もしも里香ちゃんが武山さんと同じような祟りの症状ならば、まだ生きていて、あのセンターハウスの中にいるかもしれないです」
「え?」
「いや、さっきもそう思って、武山さんにハウスの中を色々見せてもらったんですけど、見つからなくて。それで、榎田さんのことも心配だし、僕だけ一度、山の家に戻って来たんですけど。今の霧野さんの話を聞くと、やっぱり里香ちゃんはまだどこかで生きていて、苦しんでいるような気がします。いや、もうこれは気がしますじゃなくって、絶対そうだと思い込んですぐにでも探しに行かなくちゃ」
「思い込んで……?」
「そうですよ。まだ生きているって思い込んででも、探し出さなきゃ。もし本当は亡くなっていたとしても、諦めるんじゃなくて、まだ生きていると思って執念で探し出さなきゃってことです」
「執念で……」
「そうですよ。だって、里香ちゃんだって家族がいるだろうし、それに何よりもまだ生きていたら助けなきゃでしょ? それと——」
良雄さんは、「里香ちゃんだけ祠に行っていないのが気になる」と言った。
「お面を見た僕たちはみんなで祠に行きました。でも、里香ちゃんは一緒に行っていない。信じたくなんてないけど、これが御面様の祟りなのであれば、里香ちゃんだけ、まだ御面様に許して貰えてないかもしれないですよね?」
「あ……」と、思わず声が漏れる。よく考えれば、良雄さんの言うとおりだ。
——まだ、御面様の祟りは全て終わってない……?
「ないと思うけど、僕はそんなの本当は信じてないけど。でも、もしもそうならって。まだ生きている可能性や、まだ祟りが終わっていない可能性がゼロじゃないなら、急いで探しに行かなくちゃ」
良雄さんはそう言うと、軽トラックのドアを開けて段ボールを取り出した。そのままドアを閉め、私に話を続ける。
「僕、今から防災無線で連絡をとってみるんで、それが終わったらもう一度、Nature’s villa KEIRYUに戻ります。霧野さんたちは山の家で休んでてください。お布団二階から降ろして来るんで。それに何か食べたほうがいいですよ」
「え、でもそんな——」
「里香ちゃんをほかっておけないですから」
「でも、また一人で?」
「はい。皆さんは山の家で救助が来るまでゆっくり休んでてください。全然寝てないし、食べてもないですから」
良雄さんは段ボールを抱え山の家に向かって歩き始めた。その横に急いで行き、歩きながら思った。木下さんがもしもまだ生きているならば、そして、御面様の祟りで爛れた顔をして苦しんでいるなら……。
——それは、私のせいだ。
あの時、良雄さんが言ったように、呼吸や脈拍を確認していればこんなことにはならなかった。まだ、あの時木下さんは生きていたのかもしれないのだから。
——木下さんが今危険な状態なら、それはやっぱり私のせいだ。
「良雄さん、私も一緒に行きます!」と、自分でもびっくりするほど大きな声が出ていた。良雄さんがそれに「え?」と、驚き立ち止まる。
「木下さんがもしもまだ苦しんでNature’s villa KEIRYUのどこかにいるなら、それは私のせいです。だから、私も一緒に連れていってください!」
「霧野さん、それは危険です。やめておいたほうが——」
「行かせてください! 良雄さん、お願いします!」
木下さんのご遺体がないならば、良雄さんが木下さんが生きていると思って当たり前だ。良雄さんは言っていた。「思い込んででも探し出さなきゃ」と。私も、探したい。木下さんのことを。
「お願いします! 木下さんを見つけたいんです!」
「でも——」
「お願いします!」
「わかりました……。でも、僕のそばを絶対に離れない、そう約束できますか?」
「はい、もちろんです」
「じゃあ、僕はやることをやってから向かうので、霧野さんも何か口に入れてください。実は武山さんのところの冷蔵庫から色々食料を持って帰って来たんです。ほら、これ」
「温めるだけで高級なご飯が食べれるレトルト食品ですけどね」と、段ボールの中の冷凍食品を私に見せ、良雄さんは「急ぎましょうか」と山の家に入って行った。
——木下さん、ごめんなさい。ちゃんと確認しなくて。私、今から良雄さんと木下さんを探しに行くからね。だから、だから、どうか無事でいて……。
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