御面様の祠 10

 ——リカさん、リカさんのもとに私を導いているの?


 いるはずのないリカさんの、聞こえるはずのない声を聞き、そう心の中でリカさんに問いかけた。見えないはずのものが恐ろしく思えるのに、いるはずのないリカさんは、私の中にはちゃんと存在している気がしている。あの、バンガローで一緒に過ごした時間は、私の大事な記憶としてちゃんと保存されているし、それに、その存在を感じる自分がいる。いないはずだとしても、私の中にはちゃんとリカさんがいる。そう思った。


 ——リカさんに導かれている。きっと、祠は見つかる。


 確証のない確信を持ち、トンネルを出ると草に覆われたひらけた場所があった。特に何もない、ただの原っぱのような場所。それはリカさんに聞いた話に出てくる祠の場所にとてもよく似ていた。


 ——トンネルを抜けてさ、草を手で払い除けて、なんとなくついている道を進んで。そしたらさ、ダム湖に到着する前で——誰にも手入れされていないのか、灰色に朽ち果てそうな小さな祠が、草がぼうぼう生えている開けた場所の真ん中にあったんだよね。


 リカさんはそう言っていた。その話に似ている。きっと、ここに祠はあるはず。また、確証のない確信を感じる。「武山さん、ここですか?」と、榎田さんの声が聞こえ、はっと意識を戻した。武山さんは落ち着きを幾分か取り戻したのか、榎田さんのその問いかけに頭を捻っている。


「思い出してください。あなた達が御面様を持ち出した場所、祠の場所はここですか?」


 武山さんは持っている懐中電灯で辺りを照らし、分からないと答えるように首を振った。その様子を見て、榎田さんが恐ろしいほど大きな声で「じゃあどこなんだ!」と、武山さんを怒鳴りつけた。


 いきなりのことに、驚き固まってその様子を見ていると、榎田さんは武山さんに近づいて胸ぐらを掴み上げ、恐ろしいほど怖い声でもう一度、「どこなんだ」と聞いた。その様子は、今までの榎田さんの印象とは全く別物で、懐中電灯の光が榎田さんのかけている眼鏡に反射してギラギラと光り、その下にある唇がひどく歪んで見えた。


「あんた達が持ち出した御面様の祠はここのはずなんだ! そうだろ? 良雄くん!」

「あ……、えっと、そうですね。アプリの座標は、確かにこの辺です」

「じゃあ、あんた達が持ち出した御面様の祠はここにあるはずなんだ!」


 穏やかな今までの榎田さんとは全く別人のその姿に、思わず後退りする。確かに榎田さんは全国をまわり御面様を探していた。それは、祟りを鎮めたいとか、そういうことではなく、ある日聞いた女性の声、「私を探して、醜い私のお面を探して」から始まっていると言っていた。それが、それだけのことが、榎田さんをこんなに豹変させるに値するのだろうか。


「祠が見つからないと困るんだよ! 御面様を返さないと困るんだよ! それに、それに、それに……。祠を探さないと、探さないと……」


 武山さんの胸から手を離し、榎田さんがあてもなく歩き始める。懐中電灯で辺りを照らし、「どこにあるんだ」と、祠を探している尋常じゃない榎田さんの変わりように、良雄さんでさえ驚いているようだった。


「僕も探します」と良雄さんがいい、懐中電灯の明かりは交差しながら草むらを照らす。「お前も探せ!」と榎田さんが武山さんを叱り飛ばし、武山さんも懐中電灯で照らしながら祠を探し始めた。懐中電灯に照らされている草の背丈は腰ほどに伸びている。もしも古い祠なら朽ち果てて倒れているのかもしれない。


「瑞希さん……」

「うん……」


 美穂ちゃんが言いたいことは聞かなくてもわかる気がした。祠を探すこと事態がもうすでに怖いのだ。それは私も同じ。でも——


「探さなきゃ、この祟りは終わらない……。美穂ちゃん、私たちも探そう……」


 草むらの範囲はそんな広くない。きっとみんなで探せばその祠が見つかるはずだと、美穂ちゃんと一緒にその辺りを懐中電灯で照らした。


「ない、ない。どこにも祠なんてものはない……」


 榎田さんの悲痛な声が聞こえる。いつの間にか雨は上がって、辺りはほんのりと、暗闇を抜け出そうとしているような気がした。何も見えなかった闇の世界に少しずつ鈍い色が入り始めているような気がする。


「ない、ないないない……、なんでないんだ……」


 正気じゃないほど悲痛な声を上げ、榎田さんが祠を探している。その直ぐ近くで武山さんが「ごめんなさい」のような声を出して懐中電灯であちこちを照らしていた。


「もっと、先に道はないか、どこか、道はないか、道は——」


 榎田さんがそう言いながら草むらの中を進んでいく。その懐中電灯の明かりがだんだん遠くなっていきそうで、何故だか自分でも分からないないけれど、その後ろをついて行った。いるはずのないリカさんの話していた怖い話を、もう一度思い出す。


 ——リカさんは、開けた先に獣道を進んだと言っていた気がする……


「なんでないんだ! どうしてないんだ!」


 榎田さんの声が聞こえ、「獣道けものみちがあればきっとその先です!」と、自然に声が出ていた。


「獣道……、獣道……、獣道?」


 手で草をかき分けていた榎田さんがすくっと背筋を伸ばし、高い位置から辺りを照らした。夜明けが始まったのか、闇夜の世界はさっきよりも色味を帯びてきているように見える。彼は誰時かたはれどきがやってきたのだ。


 学生の時、古文の授業で習った『彼は誰時』、薄暗い世界で「あなたは誰ですか?」と聞く位の明るさと教えてもらった気がする、そんな明るさの時間がもう直ぐそこまでやってきている。夜と朝が交差する時間——あの世とこの世が繋がる時間。


「獣道……」と、榎田さんの声がまた聞こえた時、風が吹き草がなびいた。その瞬間、榎田さんの後ろに、道のようなものが見えた気がした。そこだけ草の丈が短いような、そんな獣道が一瞬だけ見えた。その先に視線を向けると、明らかに他とは違う違和感を感じる。自然に種がこぼれ自生している周りの木々とは違う木が一本生えている。誰かが植えたような、そこだけ一本、違和感のある木。堤防沿いで見るような——木。


 ——桜の木だ。桜の木が生えている。


 その道は、その桜の木につながっているように私には見えた。榎田さんはそれに気づかず、他の場所に行こうとしている。


「榎田さん、榎田さんの後ろ、あそこ、木が一本だけ違います。きっと、桜の木だと思うんです。その桜の木まで、榎田さんのところから道がありませんか?」

「桜の木……?」


 榎田さんが後ろを振り向き、弱く光る懐中電灯の明かりが桜の木を照らす。緑の木の葉が風に揺れて、懐中電灯の明かりで葉に残る雨粒がキラキラと光っているように私には見えた。


「あそこだ……。きっと、きっとあそこだ……。美代さんが言ったんだ。祠に行けば見つかるって、美代さんが、美代さんが言ったんだ……」


 榎田さんはそう声に出しながら桜の木に向かって走っていく。その後を、そこにいる全員で追いかけた。


「美代さんが言ったんだ。美代さんが言ったんだ。祠に行けば、御面様を見つければ、きっと見つかるって! 美代さんが言ったんだ!」


 桜の木のところまでたどり着いた榎田さんが、辺りに生えている草を手でかき分け、「どこにあるんだ」と言って祠を探す。そこまでは太くない桜の木。辺りを見まわしてみても、祠のようなものは見当たらない。


「なんでないんだぁ、なんでないんだぁ、美代さんはそこにいると言っていたのに!」


 榎田さんが声を上げたその時、遅れてやってきた武山さんが桜の木の手前でしゃがみ込み、聞き取りにくい声で何かを叫んだ。


「あったのか、あったのか!」


 榎田さんが武山さんの方へ駆け寄る。急いでそっちに視線を向けると蹲み込んだ武山さんが、手に何か持って空へと掲げているのが見えた。


 ——木だ。木の破片だ。


 ぼろぼろになった木の破片は、人工的に加工されているように見える。桜の木のすぐそば、武山さんの近くまで駆け寄った榎田さんが足元を照らして、茫然と立ちすくんだ。


「そんな……」


 急いで駆け寄ると、腰の丈ほどの草むらの中、懐中電灯の光に照らされた朽ち果てた祠のようなものがあった。


「そんな……祠が……祠が……もう、ないだなんて……」


 ガクッと膝をつき、榎田さんが項垂れる。


「美代さんが言っていたんだ……、僕の聞いた声を辿れば、きっと見つかるって……それなのに、それなのに、御面様は見つかったのにそれを祀る祠がないだなんて……」


 ——瑞希ちゃん、私はここだよ


「え?」


 リカさんの声がはっきりと聞こえた気がして、辺りを見渡す。確かに今、はっきりと「私はここだよ」と聞こえた気がした。


 ——リカさん、リカさんはどこにいるの? 私を導いているの?


 ただの草むらだと思っていた今いる場所。懐中電灯の明かりがもうあまり意味をなさないような彼は誰時かわたれどきで、世界は色を取り戻していく。月の明かりひとつない闇夜の世界から、仄暗い朝へと世界が変化して、今までは見えなかったものが見え始めている。岩が剥き出しになった山肌に囲まれているような場所、桜の木のすぐそばまで迫っている山肌に——赤いワンピースを着た女性の姿が見えた。


 真っ黒な長い髪をおろし、真っ赤なワンピースを着た女性が、岩が剥き出しの山肌を腕を真っ直ぐに伸ばして指さしている。


 ——ここだよ、瑞希ちゃん。


 リカさんだ。リカさんはあそこにいるんだ。そう直感的に感じ、急いでその場所まで走って行った。深い緑色をした苔に覆われた岩肌に、ぽたりぽたりと雨水の名残が伝って落ちていく。その流れを手で触り、目で追っていくと岩肌の間に違和感を感じた。手に触れる誰かが岩をコンクリートのようなもので覆ったような感触。苔を剥ぎ取り、シダ植物の蔓延はびこる根をむしり取ると、小さな洞穴のようなものを石が塞いでいるような光景が現れた。岩の両端には鎖をつけるような錆びた金具が微かに見える。


「あの、これ……。これ、こっち!」


 急いで声を上げると「何かあった?」と良雄さんが駆けつけてくれた。


「これは……。榎田さん! 榎田さん! こっち来てください! ここに小さな穴があります! 祠が祀ってあるような、そんなサイズの穴がここにあります!」


 良雄さんはそういうと、塞がっている岩をどかそうと岩の隙間に手をかけた。よく見ると、穴を塞がるように置かれている岩の周りには、苔の生えた小さな岩や石も転がっている。山肌の上を見上げると、緑色をした岩や木の根っこが見えた。


 ——土砂崩れがあり、その時に転がって塞がれた


「これって……」

「霧野さん、かもしれないですよ! うぐぐ、これは俺の力だけじゃ無理だ……。榎田さん、武山さんも、早くこっちに来てください! もしかしたらこの中に祠があるのかもしれない!」


 項垂れていた榎田さんが顔を上げるのが見えた。武山さんが立ち上がり、榎田さんの手を引いてこちらまでやってくる。岩の隙間に指を入れ、引っ張る良雄さんと、その岩を反対側から榎田さんと武山さんが押し出そうとしている。


「横にずらすのは無理です! 前に転がしましょう!」


 良雄さんが声をかける。少しづつ少しづつ、苔むした岩が動き、ごろんと前に岩が転がると、そこには良雄さんが言っていたような祠を祀る程度の小さな穴があった。何かを仕舞い込んでいるのか、古い木の扉で塞がれて、黒く錆びついた簡単なかんぬき鍵がかかっている。


「ここが、御面様の祠……」


 榎田さんはそう呟くと、錆びついたかんぬき鍵を勢いよく抜き、その扉を両手で開けた。


梨華りか……。梨華、梨華、りかぁ……!」


 泣き声の混じった榎田さんの声が辺り一面に響き渡り、榎田さんは岩穴の中に腕を伸ばした。何度も何度も「梨華」と名前を呼び、泣き叫ぶ榎田さんの腕の中には、赤いワンピースを着た長い髪のミイラが抱きしめられている。


 ——見つけてくれて、ありがとう


 リカさんの声が聞こえた気がして、私の頬を涙が伝った。仄暗い緑の山の中、リカさんの着ている赤いワンピースは色を鮮やかに発色し始めている。闇夜の世界を抜けて、世界は色を取り戻し、もうすぐ朝がやってくるのだ。


「なんで、なんでこんなところに……梨華……」


 榎田さんがリカさんを抱きしめながら、泣いている。その榎田さんを見つめる私の後ろで、何かを呟く武山さんの声が聞こえた。





 

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