御面様の祠 8

 榎田さんも祠に行きたい理由がある。御面様の祟りを鎮めたいだけじゃない理由が。「私を探して」という寂しげな女性の声が聞こえて探し始めたという、御面様や祠。さっき話してくれた榎田さんの大切な人、ミヨさんとの約束もあるのだとすれば、私のように御面様の祟りを鎮めたい以上の理由が榎田さんにある。


 ——今日の朝ね……、息を引き取ったんだけどもね……


 そう言った榎田さんの悲しそうな横顔と声を思い出しながら、ガタゴトガタゴト車に揺られ目を閉じて考えているうちに、私の意識も自然と身体から離れていった。薄れていく意識、訪れる無の世界。夢を見ることもなく私の脳は電源を落とし、「霧野さん」と呼ぶ声で再起動がかかった。


「これ以上は車では無理みたいだわ」

「ごめんなさい、私……、いつの間にか寝てました……」

「うん、いいよいいよ。だってもう四時だしね。普通なら眠たいわ」

「え? 四時?」


 そんなに寝ていたのだろうかと、車のデジタル時計に目をやると、確かに朝の四時だった。記憶がある時間は二時半頃まで。ということは、一時間半も寝ていたことになる。


「すいません、運転してもらってるのに助手席で寝ちゃって」

「全然、むしろその方が気を使わないから良かったわ」


 雨はもう小雨になっていて、車の周辺には濃い霧がかかっている。榎田さんが静かにそう言うのと同時に、前方の、赤くぼんやり光る靄の中から人影が歩いてくるのが見えた。ゆらゆら動くその黒い人影は赤い靄の中をどんどんこちらに近づいてくる。前を走っていた軽トラック。そこからきた人影だとすれば位置的に運転席、良雄さんだ。赤い霧の中を黒い人影がこちらに着く前に、後ろで結んでいた髪をきゅっと結び直す。乱れていた髪の毛を整えると、脳内のスイッチは完全にオンに切り替わった気がした。


 黒い人影が良雄さんだとわかるくらいになると、榎田さんは車のパワーウィンドウを開け、「ここまでかな?」と聞いた。良雄さんが窓から顔を出す。


「これ以上は無理ですね、おおきな木が倒れているし、それと、位置的にはここからは徒歩になりそうですよ」

「そうかね。じゃあ、歩くしかないってことだね」

「ですね。でも、美穂ちゃんはまだ寝てるみたいですよね」


 良雄さんの言葉を聞き後部座席を見ると、身体をくの字に曲げて寝ている美穂ちゃんが寝返りをうった。


「起きる気配はなさそうだけど、置いていって、もしも落石とかあったら危ないし、起こした方がいいですよね」

「そうだわね。ここは道幅も細いし、だいぶ山奥に入ってきたようだしね」


 霧の中で辺りの様子はよく見えないけれど、Nature’s villa KEIRYUの裏にあった整備されていない山道を二時間以上車で走ったなら、地理に詳しくない私でも、だいぶ山奥に来ているとわかった。


「霧野さん、美穂ちゃん起こしといてくれますか? 僕も武山さん叩き起こしてくるんで」


 武山さんも寝ているのだと知り、同じ状態だった自分が少し恥ずかしくなった。そうは言っても早朝からずっと起きていて、それにいろんなことがあった。私の脳みそも情報処理能力がオーバーして、電源が落ちても仕方がないような気がした。


「ここから祠がある予定の場所までは、歩いてどれくらいかかるだろうか」


 榎田さんの質問に良雄さんは、「それが——」と、意外なことを口にする。


「意外と近いんですよ。思ってた以上に」

「本当かい?」

「はい。武山さんの地図で見ていた道と、ちょっと違う道を途中から進んできたみたいなんですよね。僕たち木をどけたり、岩をどけたりしながら進んできたんですけど、どっかで横道に入っちゃったようで」

「そう言われれば——」


 榎田さんは車から降り、「渓流沿いを走ってきたはずが、水の音がしないね」と言った。


「ですよね。で、さっきもっかい地図を確認してたんですけど、もしも間違ってないなら、この先を進んでいくと開けた場所があって、そこじゃないかって思うんですよね」


 車のドアを開けたまま話をしている二人の会話を聞き、いよいよ祠が近くなってきたと思った瞬間、全身に鳥肌が立った。


 ——御面様の祠は、もうすぐそこなんだ……


「美穂ちゃん、美穂ちゃん、起きて。もう着いたから歩くよ」


 何度か声をかけ美穂ちゃんの身体を揺すると、「朝ですかぁ?」と寝惚けた声を出して美穂ちゃんが目覚めた。情況が寝起きで飲み込めないのか、辺りを伺い、御面様のことを思い出したのか、ばっと着ている雨合羽を開き自分の首元を見る。


「瑞希さん、私の手の跡、薄くなってますか?」と聞かれ、車内の電気をつけて覗いてみると、また赤みが増しているような気がした。でも——


「薄くなったかも」と答え、車から降りることを促した。今、本当のことを言えば美穂ちゃんはまた、「怖い怖い」と私にしがみつくような気がする。私にしがみついて歩くとなると、ここからは山道。できるだけ身軽に進んだ方がお互い安全な気がした。


「じゃあ、行きましょうか」と良雄さんがいい、赤い靄の中へと消えていく。程なくして、赤い靄は白い靄に変わり、榎田さんが車のエンジンを切ってドアを閉めると暗闇が訪れた。カチッというプラスチックが触れ合う音を出し、懐中電灯の明かりが靄の中をぼんやりと照らす。


「なんか、怖いですよね……」

「うん、でも、男の人が三人もいるし、大丈夫だよ。それに——」


 山道は思ってた以上に急斜面ではなさそうだ。獣が通る道なのか、木々の間にある道は低い草が生えていて、歩きにくそうではなかった。茶色く太い木々、濃い緑の葉っぱの間に懐中電灯の明かりが差し込む。足元は草ばかりで、木の葉や小枝、小石が転がっている。先頭を良雄さんが歩き、その後に榎田さんが続いた。私と美穂ちゃん、武山さんは三人並んでその後をついていく。


「ここ、立ち枯れの木が折れてるので、気をつけてください」


 時折先頭を歩く良雄さんが後ろに声をかける。倒木や岩、蔓などがあればその都度退かし、声をかけながら歩く良雄さんは、念のためにと護身用の猟銃をバッグに入れて肩から下げていた。歩き始める時、八月の山奥は、見えない何かだけではなく、熊や猪が出ることもあると聞いた私たちは、できるだけバラバラに離れないように固まって歩いた。狭い山道、木の枝が時々身体に触れ、葉っぱに乗っている雨水が顔につく。


 時折「きゃあ」と、美穂ちゃんが小さな悲鳴を出すけれど、その大半は蜘蛛の巣だったり、葉っぱに溜まった雨粒が一気に流れ落ちた音だったりで、熊や猪、目に見えない何かで驚くわけではなかった。


 ——それにしても、本当にこの先に開けた場所があるのだろうか。


 車を降りて山の斜面に入り、もうだいぶ歩いている。地図で確認したとはいえ、方向は合っているのだろうかと思っていると、同じことを思っていたのか、美穂ちゃんが心配そうな声で、「こんな山の中で、本当に道はあってるんですか?」と良雄さんに聞いた。


「うん、多分大丈夫だよ。スマホを見ながら歩いているから」


「え?」と思わず美穂ちゃんと顔を見合わせる。「スマホ、電波が入るんですか?!」と聞くと、良雄さんは手で草をかき分け歩きながら、私たちに聞こえる声で説明をした。


「電波は入らないけどね、スマホにはGPS機能がついていて、それは人工衛星と繋がってるから電波関係ないんだよ。で、僕が山用に持ってるアプリに武山さんが教えてくれた場所の座標を入れてあるから、そこに向かって歩いてるんだけど——」


 そんなものがあったのかと驚いていると、良雄さんの足が止まった。懐中電灯の明かりは前方の霧の中を照らしている。でも——やけに暗い気がするのはなぜ? そう思った時、「トンネルに出たみたいだ……」と、良雄さんの声が聞こえた。


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る