御面様の呪い 11

 死者が蘇る……、そんなことはあるわけない。でも、あるわけないことが今日の朝から起きている。レイさんが雷に打たれ、顔が焼け爛れて死んだ。木下さんは言っていた。肉の焦げたような匂いが体に纏わりついて離れないと——


 髪の毛を焦がしたような匂いを感じた気がして、かぶりを振る。あの時は生きていた人達も、ひとり、またひとりと気が狂って死んでいった。その全てに関係しているのが御面様だとすれば……。


 ——御面様の祟り。


 今から向かうプールに飾ってあるのが本当に御面様だとしたら、美穂ちゃんだけじゃない、私も榎田さんも、危険な目にあうかも知れない。


 ——御面様に祟られる……。怖い……。自分があんな風に気が狂って死んでしまうなんて考えただけで怖い。それに、あのさっき聞いた声が、今日の朝から死んだ人の誰かで、屍人のように蘇ったとしたら……。


 考えるだけで血の気がひいていく。そうだとするならば、ユキヒコさんは濁流で流されていったからここにはいないはずだ。シアタールームの前で自分の内臓を手に持ち死んだ水野さん、見えない誰かに襲われて自分で自分の首をしめた博之さん、顔がレイさんのように焦げていた木下さん……の、誰かなのだろうか。


 そういえば、レイさんの頭のない遺体はどこにあるのだろうか。誰かがセンターハウスの方に運んでいるのを私は確かに見た。白いズボンが沈んだ灰色の河原のなかでやけに目立って動いていた。ずりずりと、ゆっくりレイさんを引きずっていたのは誰なのか。それとも——


 ——誰かが引きずっていると錯覚しただけで、本当は死体が一人でに動いていた……?


 そんなはずはない。確かにカーキ色をした雨合羽を着た人が引きずっていた気がする。


 ——だめだ、確証が持てない。自分の記憶が曖昧になっている。白色のズボンが動いているということだけを鮮明に覚えていて、そこに人がいたのかどうかまで、本当にそうだと断定できるような記憶がない……。それに、博之さんは見えない誰かに怯え、襲われているように死んでいった……。あれは、誰かに襲われていた。それは鮮明に覚えている。目が誰かの方を見ていたし、それに、「やめろ」と、その見えない誰かに懇願するような言葉も発していた。今でも鮮明に思い出せるほどに、その顔は恐怖に恐れ慄き、そして自ら首を絞めて……。だとすれば、あのレイさんの白いズボンが動いたのも、見えない誰かに引っ張られていたということ? その可能性はゼロじゃないかも知れないってこと……? ダメだ。もう考えたくもない。もう、思い出したくもない。


 立ち上がり、壁を手で伝いながら榎田さんについていく私の頭の中は、目の前の明かりのない真っ暗闇の廊下とは対照的に、レイさんの履いていた、やけに白いズボンが鮮明に浮かび上がっている。それに、思い出したくもないのに次から次へと朝から起きたことが脳裏に蘇り、白色だけじゃない、真っ赤な血の色までもが実物よりも発色を増して思い出される。それはまるで、レイさんのつけていた真っ赤なマニュキアのようで、鮮やかな赤色が血の色となって、死んでいった人達の最後の姿をおぞましいほどに彩る。


 ——もうやめて……。思い出したくないのに、なんで頭の中に浮かんでくるの? もうやめて……。私が何をしたっていうの? ただ、普通に働いて、武山さんの誘いに乗ってここにきただけなのに……


 何も見えない暗闇では、自分の脳裏に浮かぶ映像だけしか見えない。もう嫌だと思っても、思えば思うほどに蘇る。振り払おうとしても、恐ろしい光景の数々が頭の中で追いかけてくる。


 ——もうやめて……。もう思い出したくないって言ってるのに……


 目の前のことに集中しようと思っても、目の前には闇しかない。次々と脳裏に浮かぶ恐ろしい光景、榎田さんと自分の歩く音と、息遣いが聞こえることだけが、今ここに自分が存在しているということを教えてくれている気がした。


 ——でも、本当に私は今ここに存在しているのだろうか……


 ふと脳裏にそんな言葉が浮かぶ。本当に今、私はここにいるのだろうか。こんな悪夢のような世界。現実には想像もできなかった状況。もしかして、これは全て夢だったなんてことはないのだろうか。でも——


 手には壁のざらざらとした感触を感じる。自分の意思で足だって動かしている。呼吸もしているし、頭の中では目まぐるしく思い出したくもない光景が蘇り再生され続けている。でも——


 それは、本当に私なのだろうか。そう思うと、身体の感覚があるようでないような気がしてくる。この動いている身体は私の身体で、私はちゃんと生きているのだろうか。それに——


 目の前で歩くのは、本当に榎田さんなのだろうか。目が慣れてきているとはいえ、暗すぎる闇の中で時折動く物体、これは本当に榎田さんなのだろうか。何も見えない気がする。目を開けているのかどうかさえ、自分ではもうわからない。目を閉じても開けても同じ世界しかないのだから。


 そうであるならば、出口の見えない闇の中を彷徨い歩くあの物体と、ここにいる私は一体何が違うのか。何かを求め闇の中を彷徨い歩いているのであれば、私もあのものと同じではないか。死んでいるのか生きているのか、それさえも分からない、あのものと……。そうであるならば——




 ——私は一体、何者なのだろうか……





「階段についたみたいだよ」と、囁くような榎田さんの声が聞こえ、ここが現実の世界だということがわかると、「はぁーっ」と、深い呼吸を吐いた。呼吸をすることも忘れ闇の中を歩き、自分が自分ではないような、どこか別の世界に意識が行っていたような気がする。


「霧野さん、大丈夫かな?」

「はい……、暗闇の中で自分が自分じゃないような気がして……変なことばかり考えてしまいました」

「そうか……。僕もだよ。でも大丈夫、ここは現実の世界だから。さぁ、あと少し、階段を降りて進もうかね」


 榎田さんはそういうと、耳をすましているのか動きを止めるような気配を出した。同じように呼吸をしずめ、耳を澄ますと、雨の音さえも聞こえないような静けさが訪れる。


 ——地下だから、雨の音は聞こえないのか……。


 鼓膜に意識を集中して耳を澄ますと、あの、何者かわからない物体の呻き声のようなものが微かに聞こえる気がした。でもそれは、ここにくるまでは距離がありそうなほど、微かに聞こえる程度だと思った。前も後ろも出口があるのかないのかわからないほどの闇。その闇の向こうで、微かに聞こえる呻き声は、まるで地獄の底から「助けてくれ」と、助けを求める声のようにも聞こえる。


「ここからは電気をつけても大丈夫そうだ」


 ゴソゴソと物が触れ合う音が聞こえ、カチッとプラスチックが触れ合う音とともに、真っ暗闇の世界に小さな光が訪れた。足の力が抜けそうになり、思わず壁に寄りかかる。無明の闇の中から現れたその光が、三段ほどの短い階段を照らすのを見て、私の目から涙が溢れるのを頬が感じた。


 ——私はまだ、ここに私として、生きている。



 


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