第四章

御面様の呪い 1

「まさか、そんなことになってるだなんて……す、すぐに無線で、俺、連絡とってくる……」


 山の家の良雄さんに、Nature’s villa KEIRYUで人が死んでいるとだけ伝えた私は、へたへたと入り口の冷たい土間に崩れ落ち、到着するなり土間にへたり込んだ美穂ちゃんの肩を抱いた。美穂ちゃんの身体は雨に濡れてひどく冷たく、ガタガタと歯を鳴らしながら震えている。


「もう……大丈夫だよ……、きっと……」


 もう大丈夫なんて、そんな確証はどこにもなかった。まだNature’s villa KEIRYUには武山さんがいるはずだ。それに、今日の朝、雷が落ちてから五人も人が亡くなっている。レイさん、ユキヒコさん、水野さん、木下さん……そして、博之さん——


 博之さんのあの死に方は普通じゃない。そんなことを言えば、みんな普通じゃないけれど、あれは一体誰に怯えていたのだろうか。


 ——祟りじゃなくて、呪い……。


 呪い殺された。まさにそんな顔をしていた。見えない誰かに追われ、その見えない誰かが博之さんを殺した。そう思えるような光景だった。自分の首を自分で締めているように見えたけれど、あれは、本当に自分で絞めていたのだろうか。


 ——締められている手を必死に外そうともがいていた……。まさかそんな……誰の姿も見えなかった……。でも……。博之さんのあの顔は確かに誰かを見ていた。


 そう思うと、異様に長く伸ばした博之さんの舌も、自分ではない力で伸びていたのかもしれない。そうじゃなきゃ、あんなに根元で舌を噛むことはできない。まるで、嘘をついた死者が、地獄の閻魔大王に舌を抜かれるような長い——噛み切られた舌。


 通り過ぎる時に視界に入った博之さんの顔を思い出し、美穂ちゃんの肩を抱く力を強める。ぎゅっと目を閉じると、瞼の裏側にありありとその顔が浮かび上がった。もう見たくないと、閉じた目を開らき、目の前の現実、山の家の雑多な日常を見る。古い日本家屋の黒光りする廊下や端に置かれたダンボール、奥に見える台所の緑色をした冷蔵庫。そこに貼られている子供の書いた絵、白い蛍光灯に、干してあるタオル。


 ——ここはもう、都会的なデザインの恐ろしいNature’s villa KEIRYUではない。山の家だ。ちゃんと、山の家だ。


 何度もそう自分に言い、恐怖心を和らげようとするも、心から冷えている身体はガタガタと震えている。


「大変なことになったね」と声が聞こえ、部屋の入り口から顔を出している榎田さんの方を見ることなく、「はい……」とだけ答えた。


「はやく中に入って、身体を温めないと。雨に濡れたら体温がどんどん下がっていくから。手を貸すよ」と、榎田さんは土間に足を一歩降り、私の手を取った。温かい、人の温もりに胸が締め付けられ、涙腺にじわじわと熱を感じる。


 ——もう、一人じゃない……


 そう思った。美穂ちゃんを守らねばと張り詰めていた気持ちがほどけてゆく。榎田さんの手を握り締めた腕でぐしっと目を拭くと、濡れた洋服の繊維がやけにごわついて感じられた。


「美穂ちゃん……起きれる?」


 無言でうなずく美穂ちゃんを片腕で抱き抱え立ち上がると、山の家の奥から良雄さんが、「とりあえず連絡はついたけど」と言いながら、スーパーのカゴを持って戻ってくるのが見えた。


「もう夜だし、それにこの雷雲じゃ救助用のヘリは飛べないって。とりあえずこれ、誰かの忘れ物の洋服なんだけど、着れる物があったら着替えて」


 良雄さんの持ってきたスーパーのカゴには綺麗に畳まれた洋服がいくつも入っていて、一番上には靴下が何足か丸められていた。


「一夏過ぎると処分するんだけど、ちゃんと洗ってあるから、さあはやく中へ」と良雄さんは私たちに言い、部屋の中に入っていった。「行こう、もう大丈夫だから」と、私は美穂ちゃんに声をかけ部屋の中へ入った。


 古い日本家屋、板張りの床に大きな一枚板のテーブルがあり、濃い緑や濃い茶色の家庭的なおかずが何品か乗っているのが見える。きっと夕飯時だったのだと気づき、もうそんな時間なのかと時計を探すと、壁にかけられている鳩時計が午後七時を知らせるように鳴いた。


「俺と榎田さんで作った物で良ければ、ご飯もあるから」と、声をかけられたが、とても食べる気にはなれなかった。——でも。


「洋服、あそこの奥で着替えれるから。俺、味噌汁よそってくるわ。あったかいもの飲んで、はやく身体をあっためたほうがいいよ」


 そう言うと良雄さんは、足早に台所へと向かって行った。


 良雄さんの持ってきてくれたカゴの中から着れるサイズのものを選び着替えると、高級ブランドのシャンプーの香りではなく、日常の家庭的な洗濯洗剤の香りに包まれる。それだけで、また涙が出そうになった。


 ——なんでこんなことに……


 着替え終わり美穂ちゃんと座卓につくと、良雄さんが味噌汁を持ってやってきてくれた。「ナスと豆腐の簡単なお味噌汁だけどね」と目の前に置かれた味噌汁のお椀からは白い湯気がゆらゆら立ち昇り、不揃いなネギが浮かんでいる。「あったまるから、ほらひとくち飲んで」と、向かい側に座っている榎田さんに勧められ、お椀を手に取るとその熱をじんわりと掌に感じた。その温かさにまた涙が出そうになって、ギュッと目を閉じた。「美味しい」と小さな声が横から聞こえ、美穂ちゃんはお味噌汁を飲んだのだとわかると、閉じていた私の瞳から涙が頬を伝うのがわかった。


 ——もう一人じゃない


 一度だけ鼻を大きくすすり、私も「いただきます」と言ってからお味噌汁を口に含んだ。ちゃんと発酵させた、田舎くさい、美味しいお味噌汁が喉を通り過ぎながら身体を温めてゆく。両手でお椀を持ち、その温度をもっと感じていたいとお味噌汁を飲む。飲むたびに、身体を通り抜けてゆくその温度が、私がここにいることを教えてくれて、私はまた泣きそうになった。


 ふわっと肩に暖かさを感じお椀から顔をあげると、良雄さんがオレンジ色の毛布を肩に掛けてくれたのだとわかった。「白いご飯もあるからね」と良雄さんに言われ、「ありがとうございます……」と声に出すと、大粒の涙がほろほろっと目から溢れた。美穂ちゃんを誘った責任、美穂ちゃんよりも年上の自分、美穂ちゃんを守り抜かなくてはいけないと、今まで踏ん張っていた私の心がせきを切ったように溢れ出し、お味噌汁を座卓にそっと戻した。


 ——もう一人じゃない


 またそう思った。もう一人じゃない。頼れる人がここにいる。


 私たちが落ち着くまで、榎田さんも良雄さんも余計なことは何も聞かず、ただ夕飯を食べていた。そして、私たちがようやく落ち着きを取り戻し始めた頃になって、初めて良雄さんは、Nature’s villa KEIRYUで何があったのかを私たちに聞いた。


「それで、一体何があったのか、教えてもらえる?」

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