呪われた犠牲者 1

 部屋に戻ると、美穂ちゃんは私の胸にしがみつき泣き始めた。


「こんなことになるなんて……こんなことになるなんて……」と泣く美穂ちゃんの声を聞きながら、本当に申し訳ないことをしたと思った。私が誘わなかったらこんなひどい目に遭うことはなかった。


「ごめんね、美穂ちゃん……」と声をかけると、胸にしがみついたまま「瑞希さんのせいじゃないです」と美穂ちゃんは言った。


 ——いいや、美穂ちゃん。私が武山さんの誘いに乗らなかったらこんなことにはなってないんだよ。それに……。


 この誘いに乗った日の自分を思い出すと、自分で自分が嫌になる。妹の結婚、それも玉の輿で、と、あの日の私はねたみ、ひがみ、嫉妬心に心が支配されていた。その嫉妬心が良からぬ方向に傾いてきっと武山さんの誘いに乗ってしまったのだ。


 ——自業自得。


 もうすぐまた、夜が来る。その前に木下さんに連絡をして、軽トラックの鍵を借りなくては。それが無理なら——


「歩いていくしかない」


 無意識に声に出ていた。その声が聞こえた美穂ちゃんが、「え?」と顔をあげる。せっかくお風呂に入ってフルメイクモードだったのに、美穂ちゃんの顔は涙で化粧が崩れていた。


「美穂ちゃん、ごめんね、私のせいで。フルメイクした顔が涙で台無しだよ」

「うそ……。あ……瑞希さんのティーシャツにも化粧が……。ごめんなさい、私汚しちゃって」

「ううん、そんなのは全然大丈夫。気にしないで」


「ごめんなさい」と何度も言う美穂ちゃんをなだめ、とりあえずはソファに座り、一息つくことにした。朝からいろいろありすぎて、それも信じられないことの連続で、もう頭の中がパンクしそうだ。


 ——でも、まずは。


「木下さんに連絡しなくちゃ」と独りごち、館内専用スマホの画面に映る、人型のコンシェルジュボタンを押した。プルルプルルっと呼び出し音が鳴り、何度目かに木下さんが「はい、霧野様、いかがされましたか?」と応答する。


「もしもし、木下さん? あの、良雄さんから借りた軽トラックって、まだありますよね?」

「はい。多分、誰も乗っていないはずです」

「私に貸してくれませんか? 今すぐにでもここを出て、山の家に行きたいんです」


 しばし沈黙が流れ、木下さんは「いますぐのそれはできかねます」と答えた。


「実は今、オーナーから、夕飯はみんなで食べるからその用意をしろと言われていまして」

「え……? みんなで、ですか?」


「はい」と木下さんは答え、その後で通話口をスマホで覆っているようなくぐもった声で、「ここだけの話、いくらレンチンばかりとはいえ、超めんどくさいんですけどね。まあ今日の仕事、それで終わりっぽいんで後は爆睡予定ですけど」と言った。その言い方が山の家にいた時の木下さんで、私は少しだけほっとした。


 ——武山さんが言っていたみたいに、私と美穂ちゃんだけじゃない。きっと、木下さんも、それにリカさんだって私たちの味方のはずだ。


「失礼いたしました、霧野様。それで——」と、木下さんがお仕事モードに切り替えた声で話をしはじめる。


「すぐに車のキーをお渡しに行くのは難しいかと思いまして」


 であれば、こちらから木下さんのところへ行けばいい。どこにいるのか聞いて、自分たちで向かうだけだ。


「その食事の時間は何時なんですか?」

「六時半に一階のレストランで、と伺っております」

「六時半……」


 スマホの時計は午後四時。まだ二時間以上ある。


「それまでに木下さんに会うことはできますか? もしできるならば、こちらから向かうので、その時に車のキーを受け取れるかなって」

「はい。それでしたら、三十分後に水野様にシアタールームに呼ばれておりますので、その時にでも。場所はお分かりになりますか?」

「館内案内に載ってますよね?」

「はい。二階の一番奥でございます」


「わかりました。では、三十分後に」と言って、私は通話を終了した。美穂ちゃんは片時も私から離れたくないのか、隣に座ってうなだれている。


「美穂ちゃん、きっと大丈夫。気分を少し変えよ、ほら。可愛い顔がさ、涙で台無しだよ。それに、六時半に食事に呼ばれるみたいだし、それに三十分後に私、木下さんに会いに行きたいんだ。一緒に行くよね?」

「一人で部屋で待つのはもう嫌です。でも、あんなものを見た後で、化粧直しとか、そんな気にはなれない……」

「だからだよ。だからこそ、気持ちを少しアップしようよ。メイクしないと誰にも会えないって、今日の朝、言ってたじゃん。ね?」


「でも……」と、私の顔を見上げる美穂ちゃんをぎゅうっと抱きしめて、「大丈夫。私たちの味方はちゃんといるから」と慰めた。


 ——リカさんはどこにいるんだろう。リカさんにも会いたい。すぐにでも会って、それでここから一緒に脱出したい。


「じゃあ、私、お化粧直してきます」と、美穂ちゃんはバッグから化粧品類を取り出し洗面所へ向かった。バンガローよりもずっと広い洗面所はガラス張りになっていて、部屋のリビングから見ることができる。洗面所にいる美穂ちゃんの背中をしばらく眺めていた後で、私はソファにごろりと寝転んだ。


 天井を見上げながら、エレベータに乗る前に聞こえた、博之さんの「呪われたんだ」という言葉を思い出す。


 ——榎田さんが探している祠と御面様が、もしもリカさんの話のものと同じなら、もう祠の中に御面様はない。持ち去ったのが今ここにいる誰かだから、祟られて、呪われた……?


「祟られて呪いで人が死ぬとか、ないでしょ……」


 そんなホラー映画のような話なんて、あるわけない。そうは思いつつも、もしそうであれば、今ここにいる私と美穂ちゃんも呪われてしまうのだろうかと、不安になる。大体そういうホラー映画は、見てはいけない何かを見た人とか、関係者が次々に呪われていくような、そういう流れになっている。レイさんと、ユキヒコさん。朝からもう二人が亡くなった。もしこれ以上誰かが死ねば、それは信憑性を帯びてくるのだろうか。


 ——レイさんは仮面収集家だったんです。


 木下さんはそう言っていた。もしかして、その収集した仮面の中に、榎田さんが言っていた御面様があったのか。そう思いつき、一気に全身に鳥肌が立った。「ないない」と大きな声を出し、ぐるりと身体の向きを変えると、窓から重たい雨降りの景色が見えた。薄暗く、時折ごろごろと雷鳴が聞こえる。


 ——渓流が見える窓、ということは……。


 窓からのぞけば、頭のないレイさんのご遺体が見えるのだろうか。そうであるならばカーテンを閉めたいと、恐る恐る立ち上がり、ゆっくりと窓まで歩いていく。河原を見ると、レイさんの履いているズボンの白色らしきものが、ゆっくりとセンターハウスの方に動いているのが見えた。


「ひっ……」と思わず口を塞ぐ。


 ——死体が歩いてる? まさか……。


 死体が動くわけないともう一度よく見てみると、カーキ色の雨合羽を着た誰かが、足首を持ち引きずっているのだとわかる。


 ——誰が、何のために?


「もう、本当にやだ……。はやくこんなところ出なきゃだよ」


 美穂ちゃんに聞こえないように呟いて、私は急いでカーテンを閉めた。とその時、部屋の入り口のドアが、コンコンと鳴った。


「誰……?」





 


 

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