山道の先に 4

 舗装されていない山道は木々の葉が頭上にあるせいか、少しだけ頭に当たる雨の数が少なくなった気がした。でも、時々ぼたぼたっと大粒すぎる水滴が降ってくる。葉っぱに溜まった水滴が一気に流れる時があるのかもしれない。着ている雨具の中は、ここまで坂を登ってきた私の体温が充満し、だんだん蒸し風呂のようになってきていた。


 ——湿気が多くて気持ち悪い。


 木下さんについて、かなり登ってきているけれど、いまだ山の家とやらは見えてこない。と、思っていると、木下さんが私の方を振り向き、「あそこです」と指をさした。顔を向けると、確かに山道の先に古民家のようなものがある。古い農家のような作り、屋根には所々にブルーシートがかけられている。足を進めるうちに、白い軽トラックの姿も見え、坂を登りきると山の家の全容が見えた。思った通り、古い古民家で縁側は全て開け放たれ、家の中が丸見えだ。敷地にある錆びた鶏小屋には茶色い鶏が何羽かいて、餌なのか虫なのかをついばんでいる。狭い山道を登ってきた割には、広い敷地だと思った。街中なら家が何軒建つだろうか。


「私、良雄さんがいるか見てきますので、ちょっとお待ちください」と木下さんに声をかけられ、なんとなく雨宿りができそうな木を見つける。


 ——木の下はダメだ。雷が落ちるかもしれない。


 それでレイさんは死んだのだと思い出し、またあの焼け爛れた顔が脳裏に浮かぶ。まるで呪縛のように、何度も何度も封じ込めようとするのに思い出す、レイさんの顔。急いで、山の家の屋根の下まで向かい、入り口から離れたところで雨を凌ぐことにした。近くで見ると、本当に古い家なのだとわかる。木の塗装もはげ、所々穴も開いている。その名の通り、山の家のイメージだ。


 そういえばこんな山の家を見たことあったと、昔彼氏と見たサスペンス映画を思い出す。アメリカのある村で起きた猟奇的殺人事件を元にしたサスペンス映画で、それはそれは恐ろしい映画だった。自分の私利私欲のために気に入らない人を殺し、何も残らないように切り刻んで捨てる、そんな恐ろしい映画。


 ——なんでそれを今思い出しちゃうかなぁ。もうやめてよ、私の脳味噌。


 気分を変えようと、広い敷地を見渡すと、池があるのが見えた。山水を引いているのか、灰色のパイプから透明な水が池に流れ込んでいる。その周りには緑色の苔や水生植物が生え、こんな状態の時じゃなければ、それはそれは美しい池だと思った。中で何か飼っているのだろうかと、歩いて行って覗き込むと、黒い魚の影が見える。ペットではないだろう。生簀いけすのように、食べるために生かしてあるのだ。


 ——本当に田舎の家。平成でも令和でもない、もっと昔にタイムスリップしたみたい。


 ふらふらっと敷地内を見て周り、元いた場所に戻ってくると、何かを叩いているような鈍い音が何度か聞こえた。ちょうどさっき立っていた屋根の下あたりの、家の中からだろうか。なんの音かと壁の隙間を探すと、調理場のような銀色のシンクが見えた。外に調理場、というのもいかにも田舎の家らしい。


 そっと中を覗き込む。黄土色に薄汚れたティーシャツを着た男性がなたのような刃物を持ち、何か硬いものを切っているようだ。ごつん、ごつんと鈍い音が聞こえる。恐る恐るもう少し覗き込んでみるけれど、まな板の上に何が乗っているのかまでは見えない。と、その男性が何かをとりに行ったのかその場から離れまな板の上のものが見えた。赤い塊、それも大きな塊で真ん中には白っぽいものが芯のように入っている。生々しい赤色、あれは——


「ひっ……」


 肉。それも、豚や牛などではない肉だ。スーパーで見るような赤身じゃない。尋常なほど血に近いどす黒い赤。その骨をまな板の上にある鉈で切っていたのだと理解し、一目散にその場から離れた。昔付き合っていた彼氏と見た映画の光景が一瞬にして脳裏にフラッシュバックする。風呂場で死体を切り刻み血塗れになって喜ぶ殺人鬼の狂気に満ちたイカれた顔……。ほら、これが肝臓で、これが心臓でと血塗れになった手で持ち、くるくる踊り狂う殺人鬼——


「まさか……」


 そういえば、その映画も国は違えどこれくらい古い時代の建物だったとまた思い出し、後退りして古民家から離れた。そう思うとどこもかしこも恐ろしく思えてくる。古民家に背中を向け、木下さんが戻ってくるまで見ないようにしようと思った時、木下さんが古民家の中から顔を出し、「霧野様、こちらへどうぞ」と私を呼んだ。どうやら雨具を脱いでいるようだ。長居をするつもりなのだろうか。


 何も言わないでいると、もう一度「霧野様、こちらです」と呼ばれ、逃げ場所のない私は、「はい」と答えることしかできなかった。もう、行くしかない。ぎゅっと拳を結び、私は恐る恐る古民家の入り口に向かった。

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