落雷と雷撃 5

 それにしても、遅い。木下さんはすぐにくると言ったのに、ベッドに横たわり窓の外を眺めているけれど、一向にやってくる気配がない。とはいえ、分厚い壁に囲まれた部屋では外の気配を感じるなんてことは無理だな、と考えを改める。


「もっかい、木下さんにかけてみようかな」


 言わなくてもいい独り言をいい、スマホを手にとった。アプリを起動し、人型のマークを押すと、プルルプルルと音が聞こえるけれど、木下さんは一向に応答しない。


「もう、すぐ来ますって言ったじゃん」


 そうは言っても、朝早くに忘れ物を届けに行かなきゃならない木下さんも不憫だと思えば、許せる気がする。そういうどうしようもない状況というのはどの仕事にもあるのだろう。


 ——私だってお客様に時折理不尽な扱いを受けることがあるわけだし。

 

 でも早く来て欲しい。スマホがない生活に慣れていないからとか、そういう問題ではなく、早く来てくれないと家に帰れないかもしれないのだ。さっきリカさんが言っていた話だと、もうすぐ雨が強くなる。リカさんが言うとものすごく信憑性がある気がするのは、昨日の夜、同じようなことがあったからだ。


 ——もうちょっと待って、ダメなら荷物を全部持って美穂ちゃんを迎えにいくか。


 そんなことを思いながらベッドから身体を起こすと、プルルっとスマホがベッドの上で小さく鳴った。


「折り返してくれたんだ」


 手にとってみると、画面にはConciergeコンシェルジュと英語で書かれている。急いで通話ボタンを押すと、木下さんの「大変申し訳ございません」と言う声が聞こえた。


「霧野様、大変申し訳ございません。すぐに伺いたかったのですが、駐車場で事故がありまして。もう少しお待ちいただけますか?」

「事故……? ですか?」

「はい。実は霧野様にもお伝えしに行かなくてはいけないと思っていたのですが、駐車場に建っていた大きなメタセコイアの木に先ほど雷が落ちまして」


「え……?」と声が漏れ、さっきの大きな雷だと直感的に思った。そんな近くに落ちていただなんてと怖くなる。


「それで、あの、申し上げにくいのですが」

「はい」


「駐車場に倒れた木の位置が、悪くて、それに……」とそこまで話した後で、通話口を手で覆っているのか、ガサゴソと何かが触れるような音が聞こえ、その向こうで、男性の叫び声のようなものや、救急車と言うフレーズが聞こえてくる。


「申し訳ございません。あの、ですので今すぐにお伺いができなくて。あの、すいません、今ものすごく取り込んでおりまして、また、お車の件もございますので、こちらからご連絡いたします」


 木下さんのあまりの取り乱しように、「はい」とだけ答え、通話を終了した。


 ——雷が落ちて……。それに、車の件でって……。


 嫌な予感がする。さっきリカさんと見た大きな雷が駐車場の木に落ちて、倒れた。その位置が悪くて、と、そこまで考え、もしかして自分の車の上に木が倒れて来たのではないかと思った。だとしたら、木下さんの申し上げにくいのですが、や、お車が、の言葉の意味もつながる。


「うそでしょ? そんな、まさか」


 そうだとしたら、大変なことになる。今日乗って来ている車はお母さんの車で、二泊三日で旅行に行きたいからと貸してもらった車なのだ。


「もしそうならどうしよう。それこそ保険会社とか、すぐに連絡しなきゃじゃん」


 駐車場に向かって、状況を確認するべきだ。もしもそれで昨日のパーティーにいた人たちと会ったとしても、きっと昨日のようなことにはならないはず。


「だよね。もう朝だし、それにパーティー会場はもうなかったし」


 武山さんだって、お店にくる時は紳士的で、きっと昨日は飲み過ぎていたに違いない。それに、木下さんの慌てようだと、いつまで経っても私のところにスマホは返ってくる気がしない。


 ——駐車場、行くしかないよね?


 ティーシャツの上に薄手のパーカーを羽織り、スマホをジーパンのポケットに入れて私は部屋を出た。


 部屋からエレベーターまでの廊下には、人の姿はない。このフロアには見たところ渓流の方を向いて二部屋しかないようだった。


 ——であれば、もうその部屋の人はいないのか、それとも寝てるのかだよね。


 廊下に誰もいなかったことに胸を撫で下ろし、エレベータに乗る。一階のレセプションホールにも人の姿はない。が、どことなくさっきまで人のいた気配を感じる。胸がざわつくのは、その気配のせいだろうか。


 急いで駐車場に行かなくてはと、玄関を出るときに、自動ドアの前に置かれている傘立てから傘を一本抜き取った。外は雨がさっきよりも大粒になっている。茶色いその傘をさして一歩屋根の外に出ると、ぼたぼたっと雨粒の大きさがわかる音が聞こえ始め、その音は足を進めるごとに止めどなく、そして大きな音となって傘の内側で反響した。


 やな感じだ。

 本当に雨強くなってくる。

 早く車に乗って、家に帰らなくては。


 ——でも、その車は大丈夫なの?


 急いで足を進め、駐車場の入り口にたどり着いたところで、私は言葉を失った。クリスマスツリーを巨大にしたような大きな木が、縦真っ二つに割れていて、蒸気のような煙がゆらゆら辺りに漂っている。倒れた木は、片方は、山の方へ、もう片方は駐車場の真ん中にと倒れ、駐車場から出る道が今いる位置からでは見えない。


「私の車は……」と、駐車した場所に視線を動かすと、どうやら木が倒れて潰れたわけではなかった。視線をもう一度倒れた木の方に向けると、倒木の向こう側で何人かの人が茶色い傘をさしているのが見える。


 ——とりあえず、帰るためにはどうしたらいいかを聞かなくちゃ。


 急いで駆け寄り、倒れた木の先端をまわり込んでその人たちのところに駆け寄ると、武山さんの姿が見えた。いつもと違って、グレーのスウェット姿だ。きっと寝ているところを起こされて、急いでやって来たのだろう。


「武山さん! これは一体?」


「ああ、霧野さん」と武山さんは恐怖に満ちた顔で私の方を向き、「今ちょっと大変なことになっていて」と言って、視線を元の場所に戻した。その武山さんの顔の動きに合わせて、私も視線を動かす。そこで目にしたものの光景に思わず「ひぃっ」と声を上げ、口を手で覆った。


 きっちりとしたパンツルックの女性が、雷に打たれたのか、木のそばで倒れている。髪の毛は縮れ、真っ黒に焼けた顔は醜く歪み、肌が所々溶けて赤い肉片が見えていた。見ていられないと顔を背けようとした瞬間、何か刺激があったのか、顔がガクッと動きこちらを向くと、飛び出そうなほど盛り上がっていた目玉がどろりと目から落ちた。


「なんでこんなことに……」思わず声が漏れ、顔を背けた。こんなひどいことが起きるだなんて。傘の中には雨音が反響して聞こえている。その雨音に混じり、「御面様に祟られる」と、誰かの呟く声が聞こえた。

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