第31話、言い訳

「落ち着いた?」


 俺はソファーに座る純白にコーヒーの入ったマグカップを差し出す。まだ少しだけ頬が赤い純白はこくりと小さく首を動かして答えた。


「はい……。落ち着きました……」

「そっか。それは良かった。このコーヒーは純白の大好きなミルクたっぷりに砂糖多めの、お兄ちゃんスペシャルブレンドだ。それ飲んで落ち着いてくれ」


 純白は頷いた後、俺から受け取ったマグカップに口を付ける。


 一口飲んだ後「美味しい」と呟いて、それからほっこりと頬を緩ませた。緊張で硬くなっていた表情が和らいでいくのを見て俺も自然と笑みが溢れる。


 俺も純白の隣に座った後、テーブルの上に置いていたマグカップに手を伸ばす。


 砂糖やミルクの入っていないブラックコーヒー、すっとした酸味と苦味が心地いい。


 純白は小さな口でふぅふぅと息を吹きかけながら飲み進めていく。その姿は小動物のように愛らしくて見ているだけで癒される。


 そうやって純白を眺めていると不意に目が合った。純白は慌てて目を伏せて、照れを誤魔化すようにもう一口、二口とコーヒーを飲んでいく。


「兄さん……このコーヒーとても美味しいです。甘さも一番わたしが好きな加減で、とっても香りも良くて、ミルクもちょうどいいです」

「純白の事を考えながら作ったからな。少しでも美味しいものを飲んで欲しくて、気に入ってもらえたなら嬉しいよ」


 純白はこくりと喉を鳴らしながら、もう一度俺の作ったコーヒーを口に含む。両手にマグカップを持ってゆっくりと丁寧に飲んでいるだけなのに、ほっと息をつくその仕草は絵になるほど綺麗だった。


「ねえ、兄さん……」


 コーヒーカップを置きながら純白は俺の方に向き直す。その瞳は不安げに揺れていて、俺の顔色を伺うように見つめていた。


「兄さんは、どうしてそんなに優しいのですか……? わたしから変な事をされても、可愛いってなでなでしてくれて……落ち着くまで傍に居てくれて、コーヒーまで用意してくれて……」


 純白はさっきの事を思い出している。夢の中でしていたつもりが現実の世界で俺に甘えていて、兄妹の関係を超えるような事をしてしまったと。


 突然の事で俺に嫌われていないかと心配しているのだろう。妹である自分が兄の首筋に甘噛みをして、口付けをしてキスマ―クまで付けてしまった。


 それは純白にとって大失態だったはずだ、いくら思ってもいくら願っても決してあってはいけない事、兄妹だからこそ許さない行為だと純白は思っている。


 俺は首筋のキスマークに触れながら答える。純白に優しく微笑みかけていた。


「どうして優しいか。それは相手が純白だからだよ。他の人からなら嫌だし拒否するけど、純白は特別だから受け入れて離れず傍にいた、それが理由じゃダメかな?」


 この言葉は紛れもない本心だった。包み隠す事なく明かした俺の気持ち、大好きな純白だからこそどんな事をされても受け入れるし、むしろああやって純白から甘えてもらえて嬉しいくらいだった。だから俺は純白を責めたりしないし、ましてや嫌うなんてあり得ない。


 そしてそんな俺の本心を聞いた純白は恥ずかしそうに目を逸らす。


「……ずるいです。そんな事言われたら……わたし……っ。もっとしたくなっちゃうじゃないですか……っ」

「いいよ、しても。というわけでほれほれっ、お兄ちゃんの膝の上においでー」


「も、もう……っ!! 兄さんのいじわる……! 急にからかってくるんだからっ!」

「ごめんって。だって純白が可愛いから」


 ぷくーっと頬を膨らませて怒る純白は拗ねた顔をしながら、ぽかぽかっと俺の腕を叩いてくる。決して痛くない、むしろ心地良い純白とのスキンシップに俺の心は温まる。


 俺が冗談っぽく謝るとようやく機嫌が良くなったのか、今度はくすっと笑った後に純白は俺の膝をさすった。


「お膝の上においでって兄さんが言ったんだから、遠慮なくお邪魔しますからねっ」

「はいどうぞ。いつでもお越しくださいませ」

「それでは失礼します」


 そう言って純白は俺の太ももにちょこんと乗っかるように座ってきた。向かい合う形になり俺と純白の目線が近くなる。


「ふふっ、これなら兄さんと目線の高さが一緒ですね。いつもより近くに感じます」

「小さい頃は純白の方が高かったのにな。気付いたら追い越してた」


「ほんとです。いつの間にか追い越されてました。兄さん、小さくて可愛かったのにっ」

「今は純白が小さくて可愛いな。よしよし、撫でてあげよう」


「も、もう……っ、また子供扱いして……っ」

「ははは、悪い悪い」


 むぅっと不貞腐れた表情をする純白だが、頭を優しく撫でてあげるとすぐに嬉しそうな笑顔を見せる。そして純白は猫のように俺の胸に体を預けてきた。


「兄さん。わたし、この時間が大好きです。わたしが何をしても兄さんは優しくしてくれるから、安心出来て幸せになれるんです。だからもっともっと甘えちゃいます」


「ああ、遠慮しなくて良いから。いつだって好きな事していいんだよ。純白のやりたい事なら何でも受け入れる。まあでも、今の純白はお目目ぱっちりだし、寝ぼけてたって言い訳は使えないから要注意だな」


「言い訳は使えない……ですか」

「まあな。でも純白は俺がどんな事でもしていいよって言っても、照れて恥ずかしがって結局はいつも通りだろ?」

「えへへ。どうだと思います? 当ててみて下さい」


 純白は悪戯っ子のような小悪魔的な笑みを浮かべて、俺の顔を見上げてくる。


「そうだなぁ……。やっぱり何も出来ないまま終わりそう。俺には顔を真っ赤にして何も出来ない純白しか想像できないよ」

「ふふっ、残念。不正解ですっ」

「え?」


 まさかの不正解という言葉に思わず驚いてしまう。純白が俺の反応を見て楽しそうにクスッと笑ったその瞬間だった。


 ――ちゅっ。


 純白は俺の首筋に吸い付くと柔らかな音を立てて唇を離した。一瞬何をされたのか分からずに呆然としていると、妹は再び俺の首を捉えて口付けを繰り返す。今度は強く吸われた感覚がして思わず声が漏れる。


「……ま、純白っ」


 名前を呼んでも純白は俺から離れない。純白は俺を抱きしめながら、首筋に何度も何度もキスをしてきた。柔らかな唇で俺の首筋を何度も甘噛みして、舌先でなぞるように舐めてくる。その度に体が跳ねて無意識の内に俺も甘い吐息を漏らしてしまう。


 それから純白はそっと体を離してぷいっと視線を逸した。頬は赤く染まって耳たぶまで赤くして、指先を絡め合わせてモジモジしながら恥ずかしそうに呟く。


「言い訳は……しません。これは、寝ぼけたわたしがした事じゃなくて、わたしの意思で……兄さんにしたいと思った事です」

「じゃ、じゃあ純白は……妹としてじゃなく俺を――」


 そう言いかけると純白はつんっと俺の唇に指を当てる。それから俺の言葉を遮って言った。


「な、内緒です……言い訳はしないですけど……それより先は内緒、です……っ」


 今までで一番顔を赤くして部屋を飛び出していく純白。


 俺はそんな妹の背中を見つめながら、心を落ち着かせようとテーブルの上のブラックコーヒーを飲み干す。


 砂糖の一粒も入れていないはずなのに、はちみつを入れたような甘くて優しい味が俺の口の中に広がった気がした。

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