けものプリンスとスタンピード

カイユ

スタンピード

第1話

 僕は木々の隙間から朝陽が差す森の中を走り、山の中にある泉を目指している。


 セルリアンス共和国の片田舎、人口1万の街メイクーン。皇都エレファンティスから遥か西にあり周囲を森に囲まれた辺境の街。人口二百万と言われる皇都と比較にならないぐらい小さな街。

 ここで僕は生まれた。


 名前はハク・メイクーン。

 メイクーンの街を治めるメイクーン子爵家の三男として生まれ、メイクーンの血統を濃く反映した白く長い毛足の猫人ワーキャット

 濃い藍色の瞳で、三角の耳先が銀色に輝いている。


 先月八歳になり、あと半年ほどすると西公都バスティタの上級学院に通うことが決まっている。

 上級学院では歴史、商学、剣術、魔術を学ぶことになるので、半年ほど前から体力をつけるために森を走っている。


 目指すのは小さな泉。

 一筋の小川の先に大きな白樫の木があり、その根元に小さな泉がある。


 メイクーンの街に恵みをもたらす大白樫の泉を恵みの泉ファヴァールフォンスと言った。

 泉は透明度の高い水をたたえていて底には小さな翠色の砂利が見える。

 泉から湧き出す小川は幾筋もの湧水が合流して西の森から流れる深翠河ウィリディフルフィになり、メイクーンの街の人々の生活水になっている。


 精霊が住んでいると言われる泉には、小川が流れ出す淵に大理石で造られた祭壇があった。

 僕はいつものように恵みの泉ファヴァールフォンスに到着すると、祭壇の脇で手と顔を洗い息を整えた。


「精霊の加護と恵みを、清き水の流れと共に」


 祈りを捧げて、大白樫に礼をすると泉の水を掬い喉を潤す。


「さてと、始めるか」


 腰に提げた鉄の片手剣を抜き正眼に構えると、真っ直ぐに振り下ろし、素振りを始める。


 兄さんたちは父さんから水影流剣術シャドウアーツを習っているけど、僕はまだ身体ができていないから習っていない。


 何回か剣を振るとすぐに息が荒くなる。

 それでも素振りを続ける。


 やがて腕がパンパンに張ってきて腕の上げ下ろしがキツくなってくると、剣先がぶれ始めたので素振りを止めて腰を下ろす。


 はぁ、はぁ、はぁ。


 肩で大きく息をして呼吸を整える。



『ニゲテ!』



 何処からともなく高い声が聴こえた。


 …ニゲテ?


 …逃げて?


 声の主を探そうとして左右を見渡すけど、何も見当たらない。


 気のせいか?



『ニゲテ!』



 耳を澄まして周囲の気配を探っていると、再び声が聴こえた。

 今度はハッキリと。


 何だ?


 声が聴こえても、周囲に変化は無い。


 どういうこと?


 祭壇と大白楠を見たけど誰もいない。


 !!!


 腰を落として周囲に目を凝らしていると森の奥、山の上の方から寒気を感じた。


 ゾワリ。


 急に雲が流れて来たかのように薄暗い陰がかかる。


 ブワッ!


 背筋に冷や汗が伝い、首筋から上の毛が逆立つと、小川の反対側の方から圧倒的な気配を感じる。


 腕の毛が波打ち、脳内を警報が鳴り響く。

 ここにいたらマズい。

 圧倒的な何かが来る。

 まるで空気が重たくなったかのようだ。

 気温が下がり、吐く息が白く霞む。


 ドクン!!


 刹那、身体が熱くなる。

 血液が沸騰し身体中を一気に巡っているようだ。

 筋肉が張り、すぐにでも森をかけ抜けられるぐらい力が漲る。

 目が充血し視界が紅く染まる。


 ……何が起きた?


 一瞬の悪寒、その後に圧力を感じると同時に、僕の体内にも力が湧き上がった。


『モウマニアワナイ』


 再び何かの声。


 右手を見ると、いつも通り白い毛に覆われた腕に肉厚な五本指と鋭い爪が見える。

 動きやすいように肩を剥き出しにした白地の服はタイトで尻尾を隠すように背中側が長くなっている。


 高い襟をしっかりと留めているので胸元の綺麗な毛並みは隠されているけど、その礼服を引きちぎらんばかりに筋肉が張る。

 いつもはゆったりとしているこの服がとても窮屈に感じた。


 何度か掌を開いては握りしめ、自分の手が動くことを確認する。


 ……大丈夫だ。


 ちゃんと思い通りに動く。


 突然の身体の変化に違和感を感じると同時に、何が原因なのか、と悪寒を感じた山の奥に向かって目を凝らし、耳を澄ますと、微かに唸るような暴れるような音が聞こえた。



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