シャチ
浅草萌木
第1話
沈む。沈む。沈む。暗闇しか見えない世界で触覚だけが沈むという感覚を汲み取る。水が体に触れる。体温が奪われていく感覚はせず、ただ心地良い。
ばしゃり。
「おい海斗、お前何してんだよ」
友人である友樹に腕を思い切り引っ張られる。ああそうか、今は水泳の時間か。
「大丈夫か?突然プールに潜ったと思ったら底で寝そべってるし。熱中症か?」
「ううん、大丈夫。」
無理すんなよ。という友樹の言葉の後、すぐに終わりの号令がプール全体に響く。もう終わりかよ。ぜってぇ肌焼けてるわ。などの男女の声を無視してそそくさとプールサイドに上がる。
「あー腹減った。プール二時間ぶっ続けは流石にしんどいな。」
「体力持ってかれるよな。この後昼だからまだましじゃない?5,6組なんか1,2時間目だよ。そこからの授業地獄だよ。」
「言えてるな。それ。」
他愛もない話をしながら一年で歩き慣れた廊下を歩く。
「今日部活ある?お前」
「いや、今日は休み。プールの設備点検に入るし、他のグラウンドとか別の部活が使ってるから、今日は部活休みだー、て顧問が言ってた。」
「いーなー。俺今日は6時まで練習だぜー?」
「気合入れなよ。陸部全国だろ。」
「うるせー水泳。」
なんて笑いながら小言を言い合う。あ、今日数学テストだった。
車が通り過ぎる音。解散時刻になっても灯らない街灯。人気の少ないコンビニで百円台のアイスバーを買う。本当はだめだけどそれは許してほしい、この暑さだ。プールがあった日のちょっとした楽しみだ。
「ただいまー」
間延びした声に間延びした返事が帰ってくる。キッチンにおいてあるゴミ箱に棒を放り込む。その流れで階段を上がり、自室へと足を運ぶ。扉を開け、2,3歩進んで荷物を勉強机の方へカバンを放り投げる。無駄に重いだけの教科書が肩からなくなってだいぶ楽になる。大きく伸びをすればパキッという関節の音とミシミシと背中の筋が伸びる感覚がする。汗がひどい、とっとと風呂入ろ。
やっぱり昼より夜のほうが元気な気がする。面倒な校則もないし、些細なことで口うるさく叱ってくる教師もいないからか。家ならスマホ触り放題なの最高。でもそろそろ眠くなってきたな。寝るか。
ああ。またこの夢か。肌に水が触れる感覚がする。でも手足が動かない。というか手足の感覚がない。ないというか、なんというか、重いというか、不思議な感覚だ。しかも目が見えない。水の中?ていうことだけはわかる。夏になるといつもこの夢をみる。それともう一つ。隣?上?それはわからないけど何だか誰かがいるような気がする。君は誰なの。
ピピピピッ
スマホが朝だよ、とまだ眠い自分をはたき起こす。まだ寝ていたい体にムチを打ち、体を起こす。眠い目をこすり、今にも転びそうな足取りで階段を降りる。顔を洗い、朝食を取り、着替えが終わったら家を出る。空は澄んでいて、所々に半透明な雲がかかっていた。
朝練が終わり、机に突っ伏す。夢見が悪いせいで、夏場はこうなりがちだ。
「おーい海斗、生きてっか。」
「生きてまーす。」
友樹も朝練が終わり、自身の一つ前にある席に座る。
「最近どーしたんだよ、昨日のプールといい、なんかずっとぼーっとしてんぜ?やっぱ体調悪いんじゃねーか?」
「いや、なんか、夢見が悪くてですね。」
「あーん?夢だぁ?食い殺される夢でも見たんか。」
「ちがうよ。もっとこう、沈んでいく夢?」
「なんで疑問形なんだよ。」
「ホームルーム始めるぞー。」
と、体育教師の野太い声がクラス全体に響く。今日も一日が始まる。
始まってすぐにプリントが配られる。教員誰か辞めんのかなー。なんて友樹がふざけ混じりに言う。しかし、内容は全く違うものだった。校外学習の手紙だった。なんでも水族館に行くらしい。男子が騒ぎ立て、女子は仲間とヒソヒソと計画を立て始める。
「お、水族館だってよ!なあ海斗、班自由だったら一緒に回ろうぜ。」
「うん、いいよ。」
行く場所は隣の県のテレビとかでも取り上げられるような有名な場所だ。平日とはいえ混んでいるだろう。最近テレビで見たけど、シャチのパフォーマンスが有名だとか。
「せんせー、班とかってどうすんですかー。」
「ああ。班は今座っている席順で決める。ちょうど6等分できんだろ。」
ええー。いよっしゃ。ふざけんなよ。班一緒だね。などなど、一瞬にしてクラスが阿鼻叫喚の嵐。
「阿鼻叫喚だね。」
「それは言い過ぎじゃねーか。」
「いいのいいの。それより友樹と一緒の班だね。」
「お、そうだな。後一個前の席だったら分断されてたな。どこ行くか決めようぜ」
日付は一週間後の今日。みんな浮き足立っている。楽しみだ。
一週間というのは遅いように感じたが、意外にも早かった。遅刻常習犯のクラスの問題児も今日ばかりは時間通り学校に到着していた。
「おっすー海斗。いい天気ですなー。」
「おはよー友樹。」
「なんかいつもよりやつれてね?楽しみで寝れなかったん?それともまた夢か?」
「うん、ちょっと、ね」
今日はいつもより見ている時間が長かった気がする。時間感覚がないから何分、何時間いたかはわからないけど。なんでだろ。
「おーい聞け!全員揃ったからバスに乗るぞー。」
バスに揺られて約一時間半。ようやく目的地に。点呼が終わり、そして直ぐに班活動に。先生が他の客に迷惑かけんなよと、その場にいる中で一番大きい声で言う。
「よーやっとついたー!背中いてー。」
「ずっと座ってたから腰が痛いや。」
「しっかし随分でかいな。流石全国有数の人気水族館。」
「全部回れるかな。」
「速歩きしよーぜ。バレない程度に。」
「また怒られるよ。」
「大丈夫だって、バレなければ。」
今日もいつもと同じように小言を言い合う。同じ班の人も仲がいい人がいるみたいで一緒に行動しながらも別行動をしているようだった。それでもみんなでしっかり話し合って回る順番を決めたから喧嘩が起きることはなかった。他の班は男女合同ってだけで愚痴を言っていてまともに話し合いになってすらいなかった。ガラストンネルに大水槽、海獣エリアに触れあいコーナーと、予定よりも回れた箇所は少し減ったが気にはならない。元々大分カツカツスケジュールだったし。
そして今回の大目玉、シャチのショーへと足を運ぶ。歩き回って疲れていたはずだが、足取りはバネのように弾んでいた。早めに移動していたため最前席ど真ん中を取ることが出来た。
「いややっぱ興奮すんな!」
「早めに来て正解だったね。」
「だな!かっぱ持ってきてなかったけど席で配ってくれるんだな。」
「しかも無料。学生にはありがたいねー。」
「さすが、大手は違いますなー。」
「それは関係ないでしょ。」
その会話を遮るようにアナウンスが流れる。注意事項と禁止事項、それからショーの楽しみ方まで。アナウンスが止まるといよいよショーが始まる。
音楽に合わせてシャチたちが登場する。シャチは合計三体。それぞれトレーナーと一緒にパフォーマンスをする。完璧にタイミングを合わせるその動きは正に圧巻。海のギャングである彼らはとても力強く、それでいて繊細だ。
「すごい…」
思わず口から溢れた。瞬間、一頭のシャチに目を奪われる。わからない、目が離せない。同じパフォーマンスをしているはずなのに、なんで、なんで。
「それでは、夏の限定のサービスタイムです!」
そうアナウンスが流れると、シャチがこちらへ近づいてくる。水へ潜ってジャンプする。着水した瞬間に水しぶきが大きく上がる。顔をそらしたり、体を縮こめたりする中で、自分だけ何もせずに真正面からそれを受ける。魚類特有の匂いと海水とは違う独特の味がする。近づいてきたシャチは自分が目を離せなかった子だった。あの子は、一体。
「いやーショーすごかったなー」
「うん、そうだね。」
「大丈夫かー、ちょっと休んでからバス行くか?」
「…いや、大丈夫。バスに行こう。」
その思いを胸に押し込んでバスへと向かう。
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