明日行き切符は売り切れた

@ebifuramingo

第1話


 目を開けると、そこは見知らぬ駅のホーム。突然の出来事に、寝ぼけていた頭が一気に覚醒する。

 ここは何処だと思案を巡らせ、今日の自身の行動を振り返る。その途中でおかしなことに気が付いた。学校に行ってからの記憶が全くないのだ。 何故だ、といくら思い出そうとしても思い出せない。これ以上考えても埒が明かないと思い、なにか帰る手掛かりがないかと、このホームを探索することにした。

 いくらか歩くと駅名標が見えた。謎が一つ解決すると思い安堵したのも束の間、私は駅名標を見た瞬間目を見開いた。

 そこには、《2022年 5月26日》と書かれていた。どういうことだ。何で今日の日付が。頭をフル回転させ考える。

 混乱する脳内を落ち着かせようと、ポケットに入れておいた飴玉を探す。手をポケット入れると、指先に薄い紙のようなものが触れる。取り出すとそれは切符だった。

 《2022年 5月26日⇒2014年 3月13日》と書かれたのを見ると息を飲む。それは、私の母が亡くなった日。

 切符を眺める私の視界が、ワントーン暗くなる。何か大きなものの影がかかったようだ。後ろを振り返ると、電車が来ていた。行き先は…《2014年 3月13日》。


 目の前で開いた扉から、電車に足を踏み入れる。中は特に変わったところはない。やはり人の気配はしない。

 座席に座ると、扉が閉まり、電車が出発する。向かいの窓を見つめるが、とても濃い霧でもかかっているかのように何も見えない。

 ホームでもそうだった。あそこには、私のいたホームと線路が、ポツンと置かれているだった。この世界は、雲のような光のような、何か暖かなものに包まれているようだ。

 そんなことを考えていると、電車が大きく揺れた。突然の出来事だったため、私はよろけて隣の席に手をつく体勢になった。

 視線を戻すと、私は目を見開き、困惑を口から漏らす。

 車窓に映っていたのは、私の住んでいた街だった。だが、電車は走っているのにもかかわらず、景色は全く動いていない。まるで、映画でも見ているようだ。

 カメラが下を向く。そこには、パンジーが文字になるように植えられた花壇、誰もいない殺風景な校庭。

 プツン、と映像は途切れしばらく真っ暗な画面が続くと、雑な編集のように場面が切り替わる。 目の前には、罵りが書かれた机。周りからは嘲笑とひそひそ声。

 そそれからも、場面は切り替り続ける。どれも誰かの一人称視点のようだ。しかも、いじめを受けている現場の…だ。

 時には、物を隠されたり、頭から水を掛けられたり、殴られたり蹴られたり。言葉に表せないほど、悲惨なものもあった。

 映像が切り替わるたびに、その記憶が蘇っていく。この映像の、いじめを受けているのは私だ。知りたくなかった、思い出したくなかった記憶に絶望する。

 電車が私の目的地で停車する。あれから、車窓には高校、中学、小学校と、私の学校生活が映し出されていた。それは要するに、私のいじめられていた日常。

 全ての記憶を思い出した私は、はあまりの衝撃に立つことが出来なかった。


 私はしばらく放心状態だった。それでも電車は発車しない。

 重い体を持ち上げ、ゆっくりと電車から降りる。すると、電車の扉は閉まり発車した。

 ゆっくりと歩いていく。階段を上り、改札をあの切符を使い通過する。階段を下り、駅から外に出た。

 すると、目の前には総合病院が建っていた。私は何も考えず病院の中へ入っていく。慣れた道を進み、一つの病室に行き着く。

 《205号室》と示されたそれは、お母さんがいた病室。

 中に入ると、そこにはベッドから上半身を起こした母と、ランドセルを背負った私がいた。幼い私の顔にはいじめの痕が。

「どうしたの、その顔?」

痩せ細り、骨ばった手が幼い私の頬に添えられる。

「大丈夫だよ。ただ転んだだけ。」

下手な笑みを浮かべ幼い私が言う。母は微笑み返したが、それはどこか悲しそうだった。すると、母は幼い私を抱き締めた。

「どうしたの?大丈夫?」

「何でもないの。」

 今思えば、母はいじめのことに気付いていたのだろう。そして私が、心配を掛けまいと嘘を付いていることも。

 母は抱き締めるのをやめると、小指を立てた右手を私の前に差し出す。

「一つ、約束して欲しいことがあるの。」

 私は驚いた。それは私が覚えていない出来事だったから。

「約束?」

「そう。それは…頑張り過ぎないこと。頑張ることはとっても大切よ。人生は頑張りの連続だもの。でも、だからこそ、子供の時は大人に甘えなさい。少しくらい不真面目になっても誰も怒らないわ。」

 頑張らなくていい、ありきたりなその言葉は、今の私が一番言って欲しかった言葉。

「そして、もう一つ。…生きて。」

母としては、私に生きて欲しいのは当然だ。だけど、正直言って欲しくなかったその言葉に、出てきそうになった涙が引っ込む。

「矛盾していることを言ってごめんね。生きて、なんて頑張れって言われているようなものよね。でも、生きていたら必ず良いことがあるわ。特に、大きな不幸にあった時はね。」

 そんなの……

「そんなの、分からないよ。」

私が言おうとしていたことを、幼い私が代弁する。

「分かるわ。だってお母さんがそうだったもの。」

 私は驚いた。お母さんがそうだった?それってどういうこと?

「私も、たくさん嫌な目にあってきたわ。消えてしまいたいくらいに。でも今はね、消えなくて良かったと思うくらい幸せよ。お父さんとあなたに出会えてもの。」

母は満面の笑みで言った。

 母はもう一度、幼い私を抱き締めると、

「だから、あなたも生きて、私に負けないくらい幸せになって。」

私は大きな声を出して涙を流した。母の言葉と優しさに、こんなにも大切なことを忘れていた自分の愚かさに。

 母は近くに置かれた引き出しを開けると、飴玉を取り出した。それは、ピンク色にいちごのマークがあしらわれた、母と私が大好きないちご飴。

「これは約束の印よ。」

 それが私の耳に入った時には、病室も病院もなくなっていた。代わりに、目の前にはあの駅があった。

 私は階段を上がり、券売機の前に立つ。私は慣れた手つきで、画面をタップしていく。出てきた切符を受け取る。それは《2022年 5月27日》行きの切符。

 もう一度画面を見てみると、真っ黒の背景に白い文字で《売り切れ》の文字が映されていた。

 私はその切符を改札に通し、ホームに向かう。もうこの世界にくることはないだろう。あの売り切れの文字がその証拠だ。

 そんなことを考えていると電車が来た。私はそれに足を踏み入れる。


 それは私が幸せになるための超特急だ。


 とある病院の《205号室》。一人の少女が目を覚ます。隣のベッドのテレビから《一週間前に自殺した女子高校生》のニュースが流れている。

 少女は手を動かすと、何かに触れた。腕を持ち上げ確認すると、ピンク色にいちごのマークがあしらわれた飴玉が握られていた。

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