灰の聖女

梨本モカ

第一部 聖女の遺灰

第1話 剥奪

 フローレンスは生来の感情に乏しい表情で、その宣告を受けた。

「残念だが、君から聖女の肩書きが剥奪されることが決まった」

 淡々と告げる枢機卿ミカエラ・ガブリエルからは、口調とは裏腹に、忸怩たる思いがにじみ出ていた。

「評議会を構成する十二人の枢機卿のうち、私以外の十一人が賛成した。こうなっては、私一人がどう動いたところで、評議会の決定を覆すことはできない」

「気にしないでください、ミカエラ。評議会にわたしを擁護する理由がないことは承知しています。あなた以外の十一人とはほとんど接点がありませんから、始めからこうなると思っていました」


 ミカエラを安心させようと、フローレンスは微笑んだ。感情に欠けた笑顔だった。実際のところ、彼女には大した感慨もなかった。

「フローレンス、諦めるには早すぎる。そもそもが不当な話だ。君のこれまでの働きを考えれば、たった一度、少しばかり攻撃性のある魔術を使ったくらいで問題視される方がおかしい。攻撃魔術は邪法でも何でもない」

 ある程度の訓練を積めば、基本的な魔術は誰でも扱うことができる。それはフローレンスを含む聖女たちにも当てはまることだったが、通常、魔術に類するもので聖女が使用するのは、〈神世の灯火〉と呼ばれる白い焔だけだった。

 〈神世の灯火〉は素質ある者に先天的に備わるものであり、多くは幼くしてその力を発現させる。教会はそうした子女を探し出しては、聖女に任じていた。


 フローレンスは黙ってミカエラの話を聞き続けた。

「さらに重要なのは、君の行動が魔物から人々を守るためのものだったことだ。なぜそれが咎められる? 聖女が魔術を使ってはならないという決まりなどない」

「聖女らしさを損なうということでしょう。あなたも分かっているはずです。普通、聖女は〈灯火〉以外の術を使いません。そのように指導されますから。治癒術ですらやむを得ない場合のみの例外にされているくらいです。攻撃魔術を使う聖女など、存在してはならないのでしょう」

フローレンスは溜め息をついた。

「所詮は肩書きだけのことです。聖女に相応しくないと判断したなら、やめさせるのが当然でしょうね」


 本物の聖女と言えるのは、数百年前に存在したとされる初代聖女だけだった。歴史上、初めて聖女と称された人物だが、その名は今に伝わっていない。神に祝福された彼女は多くの人々を救ったとされているが、詳細は不明だった。

 それ以降の聖女は、伝説的な初代聖女という理想像にあやかって教会が打ち立てた広告塔だった。もちろん、初代と同じ〈神世の灯火〉を扱えることを最低条件として、聖女という一種の理想化された存在に相応しいだけのものは要求される。

 しかし、それ以上に重視されるのが、容姿や所作、礼儀作法といった、それこそ印象や演出のための要素だった。そのせいか、子女に箔を付けるために、聖女の肩書きを購入しようとする貴族もいる。教会側にも私腹を肥やしたい者がいて、過去には、〈灯火〉を持たない完全に肩書きだけの聖女もいた。

 現在ではそうした極端な不正は払拭されているものの、聖女が広告扱いであることに変わりはなかった。


 ミカエラは語気を強めた。

「それがどうした? 君は、本来の意味での聖女の役割を立派に果たしてきた。君の価値を否定する権利のある者など、教会には一人もいない」

フローレンスは中流家庭の出で、特に身分がある訳ではない。彼女が幼少の頃に〈灯火〉を発現した際、両親が教会に相談したことでその存在を知られた。成長すると能力を見込まれて、雇用という形で聖女になった希少な事例だった。

「自らの責務を果たすのは当然のことです」

「それでもだ。君は正当に評価されていない」

「そうは言っても、広告としての役割の必要性も否定はできませんよね。それを十全に果たせないのなら、欠陥があると言われても仕方ないでしょう」

フローレンスの言葉に、ミカエラは呆れたように応じた。

「君はどちらの味方なんだ」

「特にどちらという訳でも。本来の意味がどうであれ、人々から求められる役割には意味があるはずです」


 現代における聖女の存在は、救済の象徴――神の愛が人の世にもたらされていることの証としての意味合いが強い。優れた力があることよりも、聖女が存在するという事実が重要だった。だからこそ未だにその肩書きが廃れることはなく、だからこその広告塔だった。

「わたしは本来の意味での聖女の役割を果たしていると言ってくれましたよね。確かに、ある程度なら、わたしは上手くやれていたかも知れません。しかし、力及ばないことも少なからずありました」

フローレンスは自嘲気味に口の端を歪めた。

「いくらなんでも、わたしの代わりが誰にもできないはずがないでしょう? それなら、汚点の付いたわたしを教会が抱え続ける理由はありませんよ」


 ミカエラが押し黙り、フローレンスは目を伏せて彼女の言葉を待った。怒られるのだと察しはついていた。

「君は納得していると言うのか? これまでの貢献を全て踏みにじられ、実質的に君は追放されることになる。それを大人しく受け入れるのか」

「働いた分の給与はいただいています。両親が亡くなってからは使い道もなかったので、当面の生活に十分な蓄えもあります。教会からの扱いがどうなったとしても、街や国から追い出される訳ではありませんし、路頭に迷うことはないです」

フローレンスの気のない返答により、ミカエラは毒気を抜かれたようだった。彼女は声を落とし、気遣わしげな様子になった。

「そういうことを言いたい訳ではないんだが……まあ、これ以上はやめておこう。実際のところ、聖女の肩書きを剥奪するとはいえ、君の今後の処遇は確定していない。希望する道があるのなら、できる限り協力しよう」

「お気持ちだけ。あまりわたしに肩入れすると、あなたの立場が悪くなりますから。心配しないでください。両親が住んでいた家はもう人手に渡って帰る場所もないので、わたしは身一つでどこへでも行けます。今後の身の振り方は、落ち着いてからゆっくり考えます」

「分かった。しばらくは宿舎で待機してもらうことになるが、いつでも遠慮なく連絡してくれていい。君が私の立場まで気にかける必要はないからな」


 フローレンスはミカエラの執務室から退出しようと席を立ち、ドアに向かった。ミカエラが見送りについてきた。

 ミカエラは枢機卿であり、今までは聖女という立場があったからこそ、気軽に話すことができていた。今後はそうもいかなくなると思うと、フローレンスは気が沈んだ。ミカエラ自身が何と言おうが、立場上、安易に関わることはできなかった。


 フローレンスは振り返った。

「これまでありがとうございました。ミカエラ、あなたのことは、年の離れた姉のように思ってきました。この先もそう思っていて構いませんか?」

「年の離れた、は余計だ。そう言ってもらえることは嬉しく思うが、どうして今生の別れのような言い方をする?」

理解できない訳ではないだろうに、と思ったものの、それがミカエラの気遣いであることは分かっていた。フローレンスは質問に答えず、別れを告げた。

「さようなら、ガブリエル猊下」

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