第2話 公爵令嬢の婚約歴
意識してゆったりと歩くフィオナは、広間を出て人の少ない廊下を抜けていく。
すれ違う使用人たちは、すでに広間での騒ぎを知っているようだ。フィオナを見ると一瞬息を呑んで、しかしすぐに丁寧に礼をする。
そして、わずかに急ぎ足で通り過ぎていった。
(これは……かなり気を遣われているわね)
別にフィオナが悪いわけではないのだが、なんだか申し訳ない気分になってこっそりとため息をつく。
でもフィオナは歩みを止めない。さらに歩き続け、涼しい風が吹く中庭へと出た。
こまめに配置された照明によって、中庭はほどよく明るい。給仕の格好をした男たちが通る静かな場所だ。
そんな中庭を、フィオナは慣れた様子で歩いていく。
やがて噴水にいたり、燭台によって照らされたベンチに座った。
少し離れた場所に、槍を持った兵士の姿が見える。
実は、中庭を通る給仕たちも警備兵だ。それを知らずに酔って暴れると、あっさり押さえ込まれることになる。
もちろんフィオナはよく知っているから、このベンチを選んだ。この中庭は一人でいても安全で、でも人が少なくて、少しだけ気を抜くことができる場所なのだ。
「……本当に、なんてことをしてくれるのよ」
ため息と共に、フィオナの口から愚痴が漏れる。
いつも通りに表情が薄く、気持ちも落ち着いているとはいえ、心から愚痴を言いたい気分にはなる。不満をぶつけたい相手は、もちろんカイルだ。
婚約をしている身で、フィオナではない女性を愛してしまったのは良いことではない。でも、フィオナにとっては許されざる大罪ではない。
『好きな相手ができた。その人と結婚したいから婚約を解消してほしい』
カーバイン公爵家の屋敷に来て、そう言ってくれるだけでよかったのに。
母親同士が友人で、ハブーレス伯爵家とは長く良好な関係を築いている。だから、今さらこじれるようなことにはならないはず。
なのに、カイルは真面目に己の不実を人々の前で懺悔する道を選んだ。
立派な心掛けだと思う。
ただ……フィオナはこれまで六回の婚約解消を経験していて、カイルとの婚約解消が成立すれば、通算で七回目。
ゆえに、フィオナは婚約者の恋に寛容だ。
心無いものたちが「人形令嬢」と嘲笑うほど、これまで婚約が白紙に戻っても感情を見せたことはなかった。
◇
フィオナはカーバイン公爵家に生まれた。
幼い頃から美しく、王国の明るい未来を象徴しているようだと讃えられ、十歳の時には王太子の婚約者に内定していた。
だが、その「完璧」と思われたフィオナの人生は、どうやってもケチがつく運命だったらしい。
王太子の婚約者として貴族たちに披露されるはずの日は、国外で紛争が勃発した日に重なってうやむやになった。
隣国間の紛争は周辺国の関係を掻き回し、その結果として王太子はある国の王女と婚約することになった。
これが、フィオナにとっての最初の婚約解消だ。
二人目の婚約者は年の離れた王弟。
王太子との婚約解消の代償として王家が用意した縁談だった。親子ほど年の離れた婚約者は優しい人だったが、運命的な恋をして婚約解消を願い出た。
激怒したカーバイン公爵に対し、王家は新たな縁談を用意した。
それがフォルマイズ辺境伯の長男。
大貴族同士の縁組に国内は騒然としたが、この長男との縁談は、貴族たちが気がついた時には辺境伯次男との婚約にすり替わっていた。女性問題が絡んでいた。
この四人目の婚約者には、しかし長年想い続けた女性がいた。
それを教えられたカーバイン公爵は、婚約破棄と莫大な賠償金を求めると息巻いたが、フィオナが「そんなに好きな人がいるのなら、その人と結婚すべきではないでしょうか」と言ったことで、なんとなく円満な婚約解消で終わった。
その後も、五人目、六人目の婚約者ができたが、彼らは運命の恋をして婚約解消を願い出た。
この頃になると、父カーバイン公爵も達観して、フィオナが心から祝福すると、慰謝料をむしり取って円満に婚約解消に至った。
だが、ついにフィオナの縁談の相手が枯渇する。
もともと公爵家の娘と釣り合いの取れる独身男は少ないのだ。フィオナもついに二十歳を越え、周囲から「運命の恋を呼ぶ令嬢」とか「結婚できない女」などと囁かれるようになり……。
フィオナの母である公爵夫人エミリアが、ついに最後の札を切った。
エミリアの親友ローザの息子カイルとの縁談だ。
お互いに幼い頃から面識があり、お互いに「どうして結婚できないんだろうね」と気楽に笑い合っていた相手だった。
母親たちから婚約を勧められ、お互いに「本当にいいの?」「本当にいいのか?」と心配そうに確認し合い、恋ではないけれど静かな信頼感情は愛情と言ってもいいのではないかと考え。
ハブーレス伯爵次男カイルと、カーバイン公爵長女フィオナの婚約が成立した。
今度こそ、結婚するだろう。
そう思っていたのに……カイルが運命的な恋をして、全面的な謝罪と共に婚約解消を願い出てしまった。
◇
「カイルって、こういうところは真面目すぎるわよね。このまま結婚したとしても、私は愛人がいても怒ったりしないのに」
カイルが幸せになって、フィオナの権利もきちんと守ってくれるなら。
貴族の家族の形は、歪であることは普通だ。愛人が生んだ子が気に入れば、フィオナの個人資産を相続させる未来だってあった。
本当に、誠実すぎる。
でも、そういう人だからフィオナは一緒にいて心地よかった。ひとときだけであろうと、具体的な未来を思い描くのは楽しいものだった。
ただし、それを引きずるほどでもない。
婚約が解消されるのは七回目で、カイルはいい友人なのだ。
(こうなったら、カイルの幸せのために手をつくさなければいけないわね。婚約祝いは何がいいかしら。あ、でもカイルはまだ相手の気持ちを確かめていないかもしれないわね。とすると、今は相手が萎縮しないように、私が全く気にしていないことをアピールして……)
噴水を見ながら、フィオナは今後のことを計画しようと真剣に考え込んでいた。
「カイル君のことは、残念だったね」
突然、声をかけられる。
不意をつかれたフィオナが慌てて顔を上げると、背の高い男性が歩いてくるところだった。
その姿を見た途端、反射的に浮かびかけた愛想笑いが、すぅっと消える。普段は笑みを絶やさないフィオナの顔に、あからさまにうんざりした表情が浮かび上がっていた。
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