第8話 リンゴ


「突然、ごめんなさい。少し、皆様に伺いたいことがありますのよ」

「は、はい、何でしょうか!」


 手近な青年が、ガチガチになりながら姿勢を正す。

 フィオナはちらりと見上げる。家柄こそあまり良くないが、性格と頭脳は良判定とした。


「皆様、リンゴはお好き?」

「……え?」


 予想外の質問に、若者たちは目を瞬かせた。

 だが、すぐに用心深い表情を取り戻す。その反応の良さに内心満足しつつ、フィオナはあえて子供っぽい拗ねたような顔を作る。

 これも、シリルの助言の賜物だった。


「私の弟は、リンゴは緑色の物が好きだというの。でも私は赤いリンゴの方が美味しいと思いますのよ。皆様はどうかしら?」

「青リンゴと……赤リンゴですか?」


 若者たちは戸惑っている。

 しかし同時に、必死で考えていた。

 カーバイン公爵令嬢は無邪気そうに口にした言葉だが、それを文字通りの言葉だと思うような脳天気で浅はかな人間はここにはいない。

 まだ若いとはいえ、彼らは貴族の家に生まれている。

 それほど家格が高くないからこそ、いかにして貴族社会を生き抜くかをいつも考えている。そういう環境で育ってきたものばかりだ。


 だから、彼らは真剣に考えた。

 青リンゴと赤リンゴ。

 何かの隠語の可能性がある。あるいは、何かを暗喩しているのかもしれない。

 もしかしたら本当にリンゴの好みを語っているだけだとして、どう反応するのが正解なのか。


 次期カーバイン公爵となるシリルは、自分たちと同年代だ。

 将来を見越せば、自分も青リンゴが好きだと追従することで未来が開けるかもしれない。

 だが公爵令嬢フィオナには、今は婚約者がいない。それはつまり、将来誰と結婚するかがまだわからないということ。それに何より、圧倒的な美人だ!


 公爵となる青年につくか。

 あるいは、いかなる可能性もある公爵令嬢の取り巻きを目指すか。

 貴族の若者たちの間に、張り詰めたような緊張感が漂った。


「……姉さん、急にそういう話をされて、困っているようだよ?」


 話を合わせなければと思いつつ、シリルはため息をついた。

 確かに、姉フィオナとリンゴの好みについての論争はした。

 昨夜の話だ。青リンゴ派としては、論争の場を移しても主張を譲るつもりはない。

 だが、なぜ今それを話題にしたのだろう。……家族の中だけの、間の抜けた話題ではないか。


 シリルが心の中で頭を抱えているのに、フィオナは突然隣のテーブルへと顔を向けた。

 エメラルドグリーンの目が、所在なさそうにしていた年若い令嬢たちを見回す。

 令嬢たちにも緊張が走る。

 しかし、フィオナは令嬢たちに対して屈託のなさそうに明るく笑いかけた。これもシリルの指導を受けた渾身の笑顔だ。


「ねえ、あなた方はどんなリンゴがお好き? そういえば、右端の黒髪のお方はリンゴの産地が領地ではなくて? もしかして、王都では見かけない種類のリンゴもあるのかしら?」

「……あの、それは、たくさんあります」


 指名された黒髪の令嬢は、真っ赤になりながらも控えめに主張した。

 その様子に、シリルは密かに感心する。

 公爵家の令嬢と令息が揃っていて、しかもこの空気だ。なのに飲まれずに対応できるのは、意外に気が強いのかもしれない。

 そんなシリルの内心に頓着する様子もなく、フィオナは目を輝かせて手招きした。


「ねえ、こちらにいらして。他の方々も。王都にないリンゴの種類について教えてくださる?」

「え、えっと、私の領地では黄色いリンゴがよく採れます。甘くて美味しいのですが、香りはあまりなくて……」

「あら、香りが少ないものもあるのね。もしかして、赤いリンゴにもいろいろあるのかしら」


 フィオナは演技とは思えないほど自然に興味を示し、無邪気そうに首を傾げる。

 黒髪の令嬢は、少し元気になって笑った。


「もちろん、赤リンゴにもいろいろありますよ! 王都近郊では加熱に向く種類が多いと思います」

「……そういえば、僕の領地では果肉が柔らかいものが多いな。輸送が難しいから、ほとんど領地の外には出せませんが」

「実は、俺の領地では緑色のリンゴは何種類かあるんです。シリル様がお好きなのは、どの青リンゴだろうかと悩んでいました」

「えっ、そうなんだ。僕は香りが強いものが好きなんだけど」


 笑顔を浮かべているものの、内心ではもう帰りたいと思っていたシリルだったが、青リンゴの情報に思わず身を乗り出した。

 その反応に励まされたのか、青リンゴ情報を出した青年は少し自信を取り戻したように顔を上げて笑った。


「ではバーロン種でしょうか。でも少し香りは弱いけれど、独特の芳香がある青リンゴもあるんです。もしかしたらそちらかな」

「シリルが好きなのは、少し縦長の形をしたものよ。それがバーロン種?」

「縦長でしたら、クロンド種ですね。あれはとてもいい香りですから」

「へぇ、あれはクロンド種というのか」


 フィオナの相槌は、自然で楽しそうだった。

 そのせいで、ついシリルまで本当に興味が高まってきて、しばらくリンゴ談義を楽しむ。

 なんと言っても、シリルはまだ十九歳。年頃の近い若者たちとの会話は気楽だ。多少の追従を感じつつも、大貴族たち当主たちとの腹の探り合いで味わう陰湿さとは無縁だし、どうでもいいことに笑うのは楽しいものだ。


 ついでに全員の顔と名前を覚え、領地の話題の中で出てきた珍しい産物を記憶し……しばらくそうしていて、シリルはふと周囲を見回して首を傾げた。

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