星が降る、雨が落ちる
如月万葉
第1話
気づいたら、星が降って、雨が落ちる、瑠璃色の空の真ん中に立っていた。
ただ1人、私だけが立っていた。他には誰もいなくて、ここがどこなのかも分からない。
気づいたらここにいたものだから、いつからだとか、どうしてなのかとか、そんなことは覚えていない。ただ、透明のビニール傘を片手に握っていたから、それを差して歩く。
ビニール越しに見ても、この世界は美しい。私には、目で直に見るよりもビニール越しで見るほうが丁度良く感じた。
星が降る。ざぁざぁと降るわけではなく、羽のようにふわふわとゆっくり、輝きを忘れずに降る。
雨が落ちる。小さな粒を溢して、ぽつぽつぽつぽつ落ちる。だけど、空は蒼く、澄んでいる。不思議だ。
勢い良く地面を蹴ると、雨粒が作った青の水溜まりが跳ねた。水溜まりは濁ることなく、そのまま風景を映し出した。
風景は、島の海だった。白の砂浜に、どこまでも広がる透き通った青の海のコントラスト。ゆっくりとしたさざ波の音と、子どもの笑い声が聞こえる。
『ねぇ、どっちが泳ぐのが早いか、しょうぶしようよ!』
『しかたないなぁ。1回だけだよ?』
『はーい』
あぁ、この海をずっと眺めていたいなぁ、と思った。しかし、突然ぶつん、と消えてしまった。しばらく待ってみたものの、もうその水溜まりは何も写すことはなかった。
今度は、桜色をした水溜まりを見つけた。えい、と踏めば、水溜まりは、また風景を映し出した。
先程の子どもと似たような声が聞こえる。男女2人の声だったみたいだ。
『中学校、クラス離れちゃったね』
『そうだね。でも、人数多いから小学校と違って、クラス替えあるよ』
『……けど、私は寂しいな』
『何か言った?』
『ううん、なんでもない。バイバイ!』
恋なのだろうか、幼なじみとしての不安なのだろうか。クラス替えを経験したことがない女の子にとって、楽しさの半分、寂しさもあったんだろうな。私もそうだったし、とうなずく。うなずいてから、ふと我に返った。
……私も、そうだった?
私も昔、似たような経験をしたことがあるのだろうか。全然思い出せない。まぁ、どうでも良いか、と桜色の水溜まりを離れ、どこまでも続くこの世界を歩き出す。1人しかいないのに、寂しいという気持ちは起こらない。1人でいるからこそ、なのかもしれない。むしろ、ここから離れるのが怖く感じる気がする。そんな気がするだけで、確証を得た気持ちではないけれど。
ぽちゃん。
何かを踏む音がした。足元を見ると、藍白色の水溜まりを踏んでいた。水溜まりが風景を映す。雪が降っていた。
『どこ受験するの?』
『私は三河高校だよ。君は?』
『僕も三河高校』
『一緒なんだ!お互い、頑張ろうね』
『うん』
憶測ではあるが、どうやら、水溜まりは、この男女2人の成長過程を映しているらしい。まだ分からないことばかりではあるが、とりあえずすることもないので、しばらくこの男女を見守ろうと決める。決めている間に、水溜まりの色が卯の花色に変化していた。色が変わるパターンもあるのか。水溜まりは、喜んでいる2人を映す。
『合格したよ!三河高校!』
『僕も合格したよ!』
どうやら、同じ高校に行けたらしい。良かったねと、心の中で拍手を送る。親友と同じ高校に通うことはなかなかできない。大切に過ごすんだよ、と水溜まりに微笑んだ。微笑んだって、水溜まり越しにいる2人には届かないけど。
ビニール傘をくるくると回しながら、再び歩く。小学生のとき、くるくる回すのが好きだったなぁ、と思い出した。空は暗くて、雷が鳴っているときなんかは特に外に出るのは嫌だったけど、ここは明るい。日が眩しいと感じることはないが、空の蒼さが目に焼き付く。
そんな空の下で傘を回して歩いた先にあったのは、薄紅色の水溜まり。踏まずとも、過去を映し出す。見て欲しいのかな?と思いながらしゃがんで、映すそのシーンを覗いた。
高校生の制服を身にまとった女の子―彼女は、綺麗に包まれた箱を持って、顔を紅に染めている。もしや、これは……。
『私、君のことが好きです。周りに冷やかされた訳じゃなく、本当に好き……LOVEの意味で好きなんだ。だから……』
『ちょっと待って』
『えっ』
『これ以上言われると、僕の頭がキャパオーバーでパンクする。というか、告白くらい僕から言わせてよ。僕も同じ気持ちなんだけど』
『嘘……』
『なんで否定するの。まぁ、いいや。今度は僕の番だから、しっかり聞いてよね』
『ひぇっ。ワ、ワタシモキャパオーバーデス』
見てるこちらが照れてしまいそうになる。両想いかぁ……末長くお幸せに。彼女には悪いかもしれないが、このお相手の彼、本当にカッコいい。
そんな人に、私も愛されていたなぁ。
あれ、言い間違ってしまった。そんな人に私も愛されたいなぁ、と言うつもりだったのに。
もしかして、愛されたことがあるのだろうか。私も、この水溜まりの彼女のように。なら、なぜ今、その人は私の側にいないのか。急に胸が苦しくなった。
……考えたくない。
私は逃げるように走りだした。走っても走っても変わらない景色。星が降っていて、雨が落ちている。空は蒼い。この世界でたった1人なのに、寂しく思わない。本当はおかしいはずなんだ。息が切れて、足元がおぼつかなくなる。そのまま、足がもつれて、私は転んだ。握ってたビニール傘が手から離れる。痛くはなかった。でも、上手く息ができなくて苦しい。こんな気持ちになるのは、何故?
頬を何か温かいものが伝う。泣くのは、いつぶりだろう。拭っても拭っても、溢れて止まない。涙なのか、落ちてくる雨なのか、分からないくらい、ぐちゃぐちゃになっていく。
考えないといけない。逃げたら、駄目なんだ。震える手で、身体を支えて地面から起き上がる。腕で涙を拭った。鮮明になった視界の先には、水溜まりがあった。
もう終わりにしたい。
その一心で、朱色の水溜まりに手を伸ばす。
季節は秋のようだった。葉が、それぞれ色とりどりに染まって、ひらひら落ちている。
『私の絵、コンクールで入賞したの!良かったら、君にも見て欲しいなぁ』
『おめでとう!!もちろん、僕も見たい!』
『じゃ、明日、うちに来てね!お菓子もたくさんあるから!』
そこでそのシーンは終わった。一旦、一区切りを置いてから、水溜まりは、続きを映す。
『この絵、綺麗だね』
『君に褒められるとは。嬉しいなぁ。その絵はね、いつか私が行ってみたい場所を描いたんだ。星が降っていて、雨が落ちている。でも、空は蒼い。海の青よりも、蒼い』
『なるほど……このカラフルな水溜まりは?』
『これは、過去を見ることができる水溜まり。楽しかったこと、嬉しかったこと、なかには嫌な思い出もあるかもしれないけど、その思い出があるからこそ、今の自分がいる。だから、自分を振り返るための水溜まり……鏡かな?』
そこで、この水溜まりの映すシーンは終わった。でも、1つ大きなことが分かった。この世界は、彼女が描いた理想の世界だ。そっくりだった。けど、私は彼女ことを知らない……はずだ。
星が降り止んで、雨が強くなった。あんなに蒼かった空が曇っている。美しかった世界が崩れかけていると、直感で感じる。朱色の水溜まりは、煤色に変わっていた。再びそれに手を伸ばす。
悲鳴と、クラクションの音が聞こえた。
『事故?』
『女子高生とバイクがぶつかったって』
『バイクの運転手は無事だけど、女子高生は意識不明だそうよ』
『あら、かわいそうに』
これは、噂話……?女子高生って、まさか……水溜まりに映っていた彼女のこと?考えがまとまらないうちに、水溜まりは場面を変えた。
今度は病室だった。ベットの上で寝ている、包帯をたくさん巻かれた彼女。その隣で、心配そうに見つめる彼。
『いつになったら、目を覚ましてくれる?』
『僕は、毎日が苦しい』
『僕だけじゃない。みんなが待ってる。お願い、起きて』
その言葉で、私は全てを思い出した。
この絵を描いていたのは、水溜まりに映っていた彼女は、私だ。
幼いときからずっと過ごしてきた島。私と同じ時を歩んでくれた大切な恋人。絵を描くのが好きだった私。絵を描いて将来生きていこうと思った。そんな未来を描いていた。
だけど、1人で帰った土砂降りの雨の日。
渡ろうとした青信号の歩道に突っ込んできた、バイク。避けきれなくて、そのまま、ぶつかった。
はじめは何が起こったのか、分からなかった。でも、10秒もしないうちに、全身が痛くなった。痛くて、辛くて、立つこともできなくて、手が動かなくて、真っ赤に染まっていて。怖かった。絵が描けなくなるんじゃないか、君が離れてしまうんじゃないか、死んでしまうんじゃないか。折角描いていた未来が壊れると。そんな未来はいらない。
逃げたい。
そう願った私は、目を閉じて、逃げた。自分で描いた理想の世界に。
現実逃避をしたんだ。
曇った空が再び瑠璃色に染まって、雨が静かになって、星が降り出して、虹の橋がかかる。
「帰らなきゃ」
気づけば声に出していた。すると、目の前に、扉が現れた。ビニール傘は、銀色の装飾のないシンプルな鍵に変わっていた。
私の描いた覚えのない扉と鍵。けど、分かる。これは、ここから出るための扉。その扉を開けるための鍵。
鍵穴に鍵を差し込む。さきほどのことが嘘のように、もう何も怖くなかった。
ガチャリ。
鍵が開いた音と同時に、私はこの世界に告げる。
「サヨナラ」と。
星が降る、雨が落ちる 如月万葉 @mayou_1934
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