執務室(エリック・レナン視点)

コンコンとノックの音がする。


この忙しい時に誰だ、と露骨に表情に出てしまった。


「エリック様、顔」

「仕方あるまい」


「お仕事中失礼致します、よければ少しだけよろしいでしょうか?」


邪魔をされて不機嫌になるが、声を聞きがたっと椅子から立ち上がる。

従者のニコラを押しのけ、自ら扉を開けた。


「レナン、何かあったのか?」

すぐに執務室に招き入れ、ソファに座らせた。


ミューズはいないが緊急事態だろうか。


「ミューズ嬢は一緒ではないのか?」

「ミューズ様はティタン様の訓練の様子を見学しに行きました。先生に許可を得てまいりましたので、それなら私もエリック様のところをと思い…」

レナンは怒られるのではないかとビクビクしている。


「お邪魔でなければ…と思ったのですが、こちらに居させてもらってもよろしいでしょうか?」

「全く問題ない、むしろ捗る」


先程の表情など嘘のようにキリっとした表情だ。


「ティタンのところでの見学はいいのか?こちらは書類ぐらいしかしていないぞ」

見応えあるのはあちらだと思うのだが、レナンはぶんぶんと顔をの横に振る。


「実は少しだけ見学させて頂いたのですが、私には全く剣技がわからず、そしてミューズ様とティタン様の間にいるのが居た堪れなくなりまして」


それに、

「二人を見ていたら、わ、私もエリック様に会いたくなって…」


嬉しい事を言ってくれる。


エリックの目が細められ、満更でもない表情だ。

ニコラが居なければ抱きしめたかったが。


現在居た堪れない気持ちになってるニコラはさておき、集中して執務を終わらせようと思った。



(集中されるエリック様の表情、素敵。眼福)

目立たないくらいに祈りを捧げ、心の中で感謝の涙を流す。


エリックがわざわざ淹れてくれた紅茶をゆっくり飲みつつ、早くエリックの力になりたいと思う。


まだ婚約中の身なので執務の深いところは任せられない。


今は主に国の歴史を知りその土壌によって起こったことや、それをもとにした改善策を考えている。


お試しとしてエリックから陳情書を渡され、それに対する返答などを行ってもいた。


(そういえば式の話などしていたけど、婚約の話はどこまで言っただろう)


アドガルム王の許可とエリックとレナンの署名は済んでいる。しかし、レナンの実家からの署名は貰えたのだろうか。


ここに来て自分は実家に手紙すら送ってないのを思い出した。


諸々の連絡をエリックがしてくれたためにすっかり忘れてしまっていたのだ。


王妃教育の忙しさとエリック達と居られる幸せで頭から抜け落ちていたのだ。


(急に隣国の王から手紙が来て、びっくりしただろうなぁ。しかも浮いた話もなかったのに王太子と婚約だなんて)


(執務が終わったら聞いてみないとね)

今はもう少しだけ、エリックを眺めていたかった。



「あぁ、誓約書なら無事に署名をもらって提出済みだ」


そういうエリックにホッとした。


「ありがとうございます。それから私、実家に手紙を出そうかと思ったのです。連絡を一度もしてませんし、急な婚約で驚かせてしまったと思って。

本当は顔出しに行かなくてはと考えたのですが、さすがに今はまだ行ったらご迷惑ですよね」


エリックの苦い顔に無理を言ってしまったと気づく。


「すみません、情勢も不安定な中我儘を言ってしまって。落ち着いた頃や式前で大丈夫です」

「今君を返すわけにはいかないんだ。君の実家、メイベルク家は大臣によって監視されている。宰相である君を見つけるために」


「監視?」

何故そこまで?


「君の実家に手紙が届いた。早く君を仕事復帰させろとな。余程切羽詰まってるのもあるだろう、君の元自宅にも押し入ったそうだ。見つけるためになりふり構わないらしい」


遅かれ早かれ、レナンがここにいるのも知られてしまうだろう。


「何故私をそこまで…」

「君がいないと執務がまわらない事に気づいたのだ。正しくは君とミューズの二人で行っていたものだがな。リンドールは今国王が倒れた時よりも荒れている。君に仕事を押し付けたツケが大臣達に回ってきているのだ」

大臣に言われた事を思い出す。


愚図、のろま、愚鈍。可愛げがない、女のくせに執務など。

仕事を与えられるだけ感謝しろ。


「民は、国民は大丈夫でしょうか?」

真っ当な執務が滞っているのならば皺寄せは民に来るはずだ。


「大丈夫とは言えないな、城に入り込ませた密偵が言うには税を上げる算段をしているらしい」


今年は冷害もあり、作物も不作のはずだ。そこで増税などしたら…

「私、一度国へ戻ります!エリック様、絶対に戻ってきますので許可を!」


自分だけ温々と過ごすわけにはいかない。


ミューズの母である王妃ーリリュシーヌ様の残した大事な国だ。このままにしては置けない。


「ダメだ。許可しない」

ゾクリとする低い声。


何者も許さないその声はレナンは初めて恐怖を覚える。


「君は俺の妻になるのだ。それはこの国の王妃になるという事。君の命はもはや君だけのものではない、アドガルムの物だ」

「それは、理解しています!ですので、せめて情勢が落ち着くまでと期間限定で、」

「一度戻れば監禁され、死ぬまでこき使われるだけだ。過労で倒れるまで働かされたのだからな。それに君が戻って何になる?ミューズ嬢の力も借りないと執務をこなせなかった君が」


「そ、れは」

グサリと言葉が刃になって突き刺さる。

涙が出そうだ。


「でも、少しは力になれますよ!微々たるものものかもしれませんが、救える人はいるはずです!」

「今君がすることはそんな不毛な事ではない。俺があの国の膿を出しきる。レナンが出来ることはない」


役立たずと突き放されたようで、へなへなと力が抜け膝から崩れ落ちる。


悔しいー自分では何も出来ないと言われ、歯痒い。


倒れたことも、ミューズに手助けしてもらったのも本当だ。自分だけでは国を救えない。それでも力になりたいのに。


唇を噛み締め、涙をこらえる。やはり女だからエリックも自分を蔑んでいるのだろう。


「わ、わた、しが、女、だからですか?」

嗚咽をこらえ、そう訴える。


レナンが女だから、出来ないのだと。


「だから、や、役立たず、なんて…」

ふぅと溜め息をつき、ニコラを呼んだ。


泣いているレナンを見て動揺しているが、今日の授業の取りやめを伝えに行ってもらう。


部屋を出たのを確認し、鍵をかける。

静かに泣くレナンは気づいていない。


グイッとレナンを立たせると、そのままソファに押し倒す。


驚きと痛みに悲鳴を上げそうになるが、その口をエリックは手で塞ぐ。

レナンの体に跨り自由を奪い、エリックの左手がレナンの胸元に置かれる。恐怖と羞恥で振り払おうとするが除けられない。


「国に戻るということは、こういう事だ。君はもう少し自分を客観的に見ろ」


エリックと婚約を交わし、王妃教育を受け、レナンはだいぶ変わった。


髪や肌も手入れされ、所作も美しくなった。食事もきちんととり、体つきも女性らしさを取り戻している。


そして王位継承者の婚約者となったレナンに不埒を働いて、脅してくるものも出るだろう。


婚約者すら守れない間抜けな王太子だと。


「女であるから、というのはある。君もミューズもここに来てとても美しくなった。それは今まで君たちが感じなかった悪意をも集めるようになってしまったのだ、望むと望むまいとな。

大臣は大変な好色家だと聞くな。

そんなところに君を戻したらどうなる?

俺の婚約者とはいえ、君はまだあの国の宰相だ。何かあってもすぐに駆けつけられるわけではない」


ここでなら自分もすぐ傍にいられる。


「そろそろ計画も頃合だ。もう少し自由にさせたいと思ったが、勝手をされては困る。王宮への引っ越しを早めよう」


別邸への移動も危険になるだろう。なるべく外部との接触を絶ちたい。


「王宮の外に出ようとはしないと思うが、レナンに何かあればミューズ嬢も後を追おうとするだろうな。危険な目に合わせたくなければ大人しくしていなさい」


諭すような声で言うと、ようやく手をどける。


「こんな人だと思いませんでした…」

涙混じりの声で変な声だと自分で思う。


表情も変えず見下ろしたまま、無言でレナンを見つめている。


「…俺を厭うか?」

「わかりません…」


エリックが言いたい事はわかってるし、言って聞かない自分に力で示したのだろう。

事実抑え込まれた際はいくら力を入れようと逃げられなかった。


圧倒的な差はどう頑張っても変えられないのだ。


理屈でわかっても感情がついて来ない。


「嫌がっても憎んでもいい。今は君を行かせられない」

そっと血が滲んだ唇にキスをして、離れた。


計画に自信はある。しかし失敗しないかと言われたら保証はできない。


万が一戦争になった際は、何とかレナンだけは逃がそうと思っている。



愛しているのだ



聞かれたら素直に答えようと前々から思っていた。

言えば帰りたいと言うのもわかっていた。

だから力で制圧した。

嫌われてもいいから行かせたくなかったのだ。

逃げ出そうとすれば自分の側で監視する。


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