春雷
拳や蹴り技で果たして風を起こすなどという芸当が本当に出来るのか?
見田助六は亜門の連続攻撃を巧みに捌きながらその事ばかり考えていた。
なぜならば関西の雄 亜門清之助の拳と蹴り技は嵐と比肩してもまだ足りないほど激しかったからである。
今も放たれた拳を手首で止め、腕を滑らせて外に出した。
掛け受けに近い技法で一度相手の技を手か足で受け止めてから骨に沿って滑らせて威力を体の外に出す。
「この技は相手が刃物を持っているという事を想定して生まれた」と見田の師匠である若島は語っていた、
(…アンタ以外には出来ねえよ)
亜門の拳を外枠に弾きながら見田は心の中で呟く。
「しっ‼」
亜門はガードを高い位置にしてローキックを打った。
「ひゅうっ」
見田はバック転を決めながら回避する。亜門にとってこの予想外の行動が厄介だった。今のバック転にしてもギャラリー受けを狙ったリアクションならば容易く対処出来る。しかし見田は違った。明確な意図を以って次の行動につなげている。
こうして場外ギリギリの空間を陣取って亜門の行動を制限しているのだ。
(亜門さん、本当は前に出たいんだろ?わかる、わかるよ、その気持ち。だがアンタの戦法ではそれが出来ない。これは真剣勝負じゃないんだからさ、もっと気楽に行こうよ‼)
ぎしぃぃッ‼
見田は右足の指を鉤爪のように使う。浪岡流は一対一のみを想定した格闘技ではない。複数の人間と戦う為に練り込まれた武術なのだ。そして弓弦を引き絞るが如く左脚を開き、亜門に的を絞る。
見田助六の師匠、弟子の予想外の行動を見て若島龍也は息を飲む。
「浪岡流の縮地”八卦”か。さて、付け焼刃の戦法がどこまで通用するかな?」
若島は鋭い視線で見田の姿を捉えていた。おそらく見田が本当にこの技を見せたかったのは他でもない若島なのだろう。玩具を与えれた子供は得てしてそうなるものだ。
「また外道の技を使うのか‼来い、見田。空手の底力を思い知らせてやるッ‼」
亜門が仕掛けた。これは只事ではない。この男は只者ではない。そうと知りながらも自ら見田の得意とする領域に入り込んだのである。見田もまた左右の足の鉤爪を引き剥がして撃って出た。
亜門はリーチ差という利を捨て、機先という利を得る。
見田の場合は手足の長さの不利が無くなった代わりに速度という味方を失った。
見田は亜門の顎に目がけて膝当てを狙う。浪岡流の歩法”八卦”は蹴爪で身体を固定した後、地面を蹴って敵との距離を一気に詰める荒業だが移動した後の選択肢が狭まるという欠点があった。
そして苦し紛れの膝蹴りに翻弄される亜門清之助では無く、亜門は両腕を門のように構えて見田の膝を止める。
(確かに軽量級の蹴りではないッ‼だが俺の
亜門は数歩後退するとそこで止まった。見田は亜門から距離を取ろうとしたが時すでに遅しか、亜門の手は見田の右膝を捕まえる。
「があッ‼」
獅子が如き咆哮と共に亜門は見田をぶん投げた。見田は着地と同時に床に手をつけて一回転してから起き上がる。
「らあッ‼」
見田の健在ぶりを確認した亜門は追撃にローキックを放った。
ズバンッ‼
今度は受け流しきれない。
「逃がさんッ‼」
亜門はそのままローキックを連打する。足を削る。見田助六はくせ者だが一番厄介なのは機動力、動きを止めなければ敗北は必至。
「ちょっ‼待っ‼タンマッ‼審判の人、こーいうのアリなの⁉」
見田は素っ頓狂な悲鳴を上げながらローキックを脛で受ける。フラッシュプロレスの連中から仕込まれたローキックカットという技術だが亜門が相手では分が悪い。同じローキックでもプロレスと空手では打撃の質が違う。
打撃の重さはプロレスラーの方が上だがスピードは生粋の空手家を自称する亜門の方に軍配が上がる。
(コレ、マジで嫌だよ。ムエタイのローキックとも違うって‼)
見田は助けを求めるように若島を見る。若島は見田と亜門の足元を見ていた。正確に言えば二人の立ち位置を注視している。そして見田は若島の出したヒントに気がつく。
亜門が前に出てしまえばリスクを背負う事になるのだ
「オッ…ケェッ‼」
見田は大声を出して、その場にしゃがみ込んだ。
「見田ぁッ‼‼”重爆”の本領を見せてやるぞ‼」
亜門は見田がバランスを崩した物と思い、ここぞとばかりに踏み込んだ。
そして今の今まで封印していたムエタイ式のローキックを打つ‼打つ‼打つッ‼
数分間の無呼吸連続攻撃、これが亜門清之助が”重爆”と呼ばれる所以でもあった。
(これはローキックじゃない、鉈だ。切れ味が鋭く、そして分厚い刃で肉を断つ鉈だ)
見田助六は耐えに耐えた。
亜門は警戒を解き、高見からさらにえげつない攻めに出ている。
肘落とし。襟を掴み、引き寄せてスィングブロー。喧嘩殺法顔負けの猛攻が続いた。
真っ当な空手の試合ならば即退場だろう。だが空手はオリンピック競技になるまで成長したが、本来は生き残りの為に練り上げられた格闘技であり武術である。
現に亜門は目潰しや鼓膜破り、咽頭突き、金的といった攻撃は使っていない。
(嬉しい。この人は本当に空手を愛しているんだ)
その時、見田の中に芽生えていたのは亜門への尊敬の念だった。見田の瞳に精気が宿る。異変に気がついた亜門は用心しながらボディアッパーを放った。
(ガードしろ。俺とお前じゃリーチが違いするぎる。場外まで出したらそこから殴り合いにつきやってやるよ)
亜門は攻めの型を豪快な物から堅実な物に変化させる。
ジャブ、刻み突き、肘当て、ストレート…。生来の手足の長さを生かした戦法だった。
ついに見田のガードが崩れ、千鳥足になった。
(見田助六、お前は噂通りの強者だったよ。だがな上には上がいるって事を理解しな‼)
亜門は勢いに乗ったまま駄目押しのローキックを打った。
「しゃっ‼」
奥で休んでいた大久保がガッツポーズを決める。これが今まで幾度となく見守ってきた”重爆”亜門清之助の必勝パターンだった。
絶対に覆るわけがない。
だが、それでも戦いの世界は常に一寸先は闇、何が起こるかはわからない。
「不味いな。…前に出過ぎだ、亜門先輩」
薫風を纏う一人の男が呟いた。バシィッッ‼見田の両足を亜門のローキックが雑草のように刈り取る。
当事者の亜門も、羽柴の弟子たちも、亜門の連れてきた別の道場の生徒たちも亜門の勝利を確信していた。しかし羽柴と若島、そして突然の乱入者である男だけは別の未来を見ていた。
見田の顔が再び、狂喜のそれに代わる。
「うひゃひゃひゃひゃっ‼」
誰が信じようか?見田は蹴り技の威力を利用して空中に飛び上がっていた。その漫画やアニメのアクションシーンのような光景に誰もが息を飲む。
だが高性能レーダーを備えた重爆撃機の異名を持つ男は咄嗟の判断で防御に回る。
堅牢な要塞のように腰を落としての上段受け。反応、対処どれをとっても亜門には間違いは無かった。
がしぃっ‼
亜門の右肩に見田の踵が入った。死神の鎌よろしく見田の飛び踵落としは亜門の防御を崩す。
だが亜門はこの奇襲を何とか持ち堪えた。
左手を前に出して右の拳を引いて見田の追撃に備える。
「小僧、空手を舐めやがるなッ‼」
全神経を研ぎ澄まし、見田を待ち構える。亜門の佇まいは、居合の構えによく似ていた。
「にひっ‼そういうのは勝ってから言えよ‼」
「浪岡流の”
男は白い掌を投げ出して首を横に振った。浪岡流の影重ねとは相手の影と一体化して気配を遮断し、交叉の瞬間に敵を討つ技である。
見田は床を足の指で掴んで”八卦”の構えを取る。亜門はまだ動かない。
「しゃっ‼」
見田はダッシュと同時にジャブを打つ。亜門は額と頬をそれでも殴られたが動かなかった。
「せいっ‼」
亜門はカウンターで逆正拳突きを撃った。ドッ‼見田はの右胸に鋼の拳が突き刺さる。それはまともに当たれば重量級の選手でも重傷は免れない一撃必殺の拳だった。
「にひっ‼継続は力なりってね‼」
だがこの局面で”月輪”が功を奏して胸部骨折という最悪の事態を回避。見田は後方に威力を逃して猛獣のように蹴爪を立てる。そして、そこから前方に飛び上がり何と空中で身を反らした。
「空手の試合でオーバーヘッドキックかあ…。やるなあ」
男は驚きのあまりドレッドヘアをかく。
だだんっ‼
見田の蹴りが稲妻のように亜門の肩に当たった。亜門はそれをまともに食らってよろめきながら尻もちをつく。見田助六の性格は破天荒と聞いていたがこれでは度が過ぎるというものだ。早くも若島の近くに来ていた羽柴が見田の技について尋ねた。
「あの、若島君。あれは浪岡流の技なのかい?」
羽柴の知る若島龍也という男は自身の身につけた技について妙なこだわりを持っている為に、例え直弟子の見田であろうとも無手勝流な振る舞いは許さないだろう。
だが当の若島といえば落ち着いた様子だ。
「あれは新月無影蹴り。濱岡流の”巻打ち”の一種です。それより相手の彼、大丈夫かな?」
若島は頬を掻きながら尻もちをついている亜門を見る。腕が肩のあたりからダラリと垂れていた。
「続ける?」
びっ。見田は拳を前に出して残心の構えを取った。
「当然。おい、下がってる。肩を入れる」
亜門は後輩たちを後ろに下がらせた後、床に拳を立てた。
「ぬんっ‼」
がこっ‼
亜門が声を上げたと同時に外れた肩の骨を強引に入れ直した。
後で本部の人間から色々と文句を言われるには違いないが
今はこれでいい。空手家、亜門清之助はまだ終わってないのだ。
「続行だ。もう搦め手は通用しないぞ、見田助六」
パチパチパチ。
見田がテープ内まで戻ろうとすると拍手が聞こえてきた。
黒人の若い男は見田のすぐ近くまで移動している。
涼やかな笑みを口元にたたえながら見田と亜門の間に入ってきた。
「へえ、ようやくメインディッシュの到着か。会いたかったぜ、渕上門下で最も強い男”勇心”掛川紫苑さん♪」
男は口元に涼やかな笑みを浮かべながらゆっくりと見田の姿を眺めていた。
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